第四章 「災難の正体」




 第二特務部隊別働暗殺小隊が二手に別れて行動する時は、任務の達成まで大詰めに来ている時だ。
 だからこそ、バシルは一人でナカイ・リョウイチの抹殺に向ったのである。
 監視班からの報告で、ターゲットの帰宅時刻は理解している。相手の車が何処を通過したかを聞き、バシルは戦闘場所へと移った。
 戦うのは彼一人。それだけで充分だと思える相手だ。他の二人は、既にもう一人のターゲット――ヤザキとか言うガキの死体を始末している最中だろう。バシルはそう考えた。多分、ヤザキ・シュウと一緒に居たと言うナカイの娘は、アリトゥが刻んでいる筈だ。あの可愛い顔が、原形も分からないほどにズタズタにされている事だろう。
 戦闘場所に選んだのは、公園だった。この間アリトゥが女を八つ裂きにして居た場所だ。それと、人形を壊した場所。警察による現場検証も済んだ後だ。VANの特権で裏から操作してここに人を近づけない様にした。
 だからまぁ、心配は要らない。思いっきり相手を殺す事が出来るであろう。
 バシルの耳に車のエンジン音が聞こえてきた。遠くから、何やら焦ったようにして移動する排気音。それが途中で止まると、夜の公園に静けさが戻る。
 ここに明かりはない。街灯は沈黙していた。邪魔だから、潰しておいた。バシルには必要以上の光は要らない物なのだ。
「来たか……」
 ふうっ、と溜息を一つ。腰掛けていたベンチから身を起こし、体を解す為に少し見を捻る。準備体操終り。今の彼に、特に気概はない。
 直後、空気が動いた。慌ただしい騒音に続いて、バシルの目の前に着地する影がある。
 長身痩躯の中年男だった。逞しい身体をスーツに包み、鋭い眼光を周囲に配っている。
 その男の周囲に、二つの影が新たに姿を現わした。中年――ナカイ・リョウイチをここまで連れてきた二人だ。確かもう一人居た筈だが、ここに来るまでに殺されたのだろう。
 バシルは、特にどうとも思わなかった。二つの影が傷ついているのを見て、おやおや、と思っただけ。そいつらはバシルに対して敬礼すると、疲弊しきった動きで戻っていった。
(やれやれ……)
 心の中で嘆息する。役立たずなグズ共を連れてきてしまった事に対して、少し嘆いているのだ。三人で行動して、何故追いつめられるのか。それでも目的を達成したのは素直に褒めるが、本来ならば無傷で達成していなければならない目的だ。それが出来ない、愚図な傭兵上がりなどを使った事に対して、自分にすらも嘆息する。どんなに戦場での実績があろうとも、所詮は非覚醒者しか相手をした事がないような奴等ではこの程度か。
「わざわざ悪いね、こんな遅くに」
 バシルは、目前のターゲットに声をかけた。時刻は既に丑の刻を過ぎている。日付変更線を越え、日曜日の早朝だと言うのにこんな時間まで何をやっていたのか。
「悪いと思うならばもう少し考えて欲しかったのだがね」
 返ってきた答えは、特に感情を持っては居なかった。鋭い視線がバシルを射るが、彼は別段気にしない。こちらの日本語が完璧だった事に、少し満足しただけだ。
「ナカイ・リョウイチ、だな?」
「そうだ。そちらは?」
「見当が付いてるんだろ」
「VAN、か」
「御名答。第二特務の別働小隊。バシル・ザルフってもんだ。よろしく」
「日本人ではないのだな。ロシア系か?」
「ああ。日本語のイントネーションも間違いないだろう」
「確かにな。第二特務隊と言うのは外交向けかね」
「いいや。特務隊の別働員は全員、十ヶ国語以上を喋れる事が必須事項なんだ」
「ほう。何故だ?」
「まぁ、仕事の都合上、仕方ないんだわな。英語と日本語は必修だぜ」
「日本語が?」
「今、世界で一番VANに対する抵抗が厚いのがこの国だ。お前みたいなのも沢山いる。猿は金回りが良くなった途端に、自我に目覚め始める物だからな」
「成る程な。お前の言い分は分かった」
 リョウイチが頷くのを見て、バシルは少し喋り過ぎた事に気付く。本題に入る事に決めた。
「分かったか? だったら仕事だ。ナカイ・リョウイチ――VANに敵対してきた事を悔いてもらう為に、その首を頂く事になった」
「日本的な言い分が好きだな」
 やれやれ、と言う動作をしたリョウイチだが、その瞳が別の色彩を帯びた事をバシルは見逃さなかった。同時に、自分自身も能力を起動する。深夜の公園に、突如として昼間のような明かりが灯る。それはバシルの視覚の中だけの話だ。彼の特異な能力が、それを呼び起こした。
 視界の中、リョウイチの身体が光のような物で包まれているのが見えた。彼も具現力を起動したのだ。同時に、バシルの身体も光に覆われているだろう。防護膜が身体を保護しているのだ。
 開始は一瞬。リョウイチが行った動作に対し、バシルが回避と言う方法を取る。夜気に響く炸裂音。火薬が割れた後の、あの独特の匂いが空気中に満ちた。リョウイチの掌中から勢い良く発射された閃光がバシルの脇を通って地面に穴を穿つ。
 バシルは跳んだ。リョウイチが拳銃を構え直す前に、彼へと接近して行く。銃口がバシルに向いた瞬間に、彼は掌をリョウイチに向けていた。
 閃光。彼の精神力が力場となり、体外へと放出される。それを捕らえ、リョウイチが回避行動に入る。その瞬間に、バシルは彼の懐に入っていた。
 まずは下段への鋭い蹴りから。そのローキックを、軽い飛びで回避される。カウンターとばかりに、空中からの姿勢制御で顔面を狙った蹴りが来た。踏ん張りの利かない態勢だが、リョウイチに関してはそれは杞憂。充分すぎるほどの破壊力がある事を知っているバシルは、背を逸らしてすれすれで躱す方法を選んだ。
「くっ……!」
 圧されている。その実感はあった。体術に関しては向うの方が上。それを試したのだが――情報通りだった様だ。
 後方への、大きな跳躍。距離を取った瞬間に、リョウイチの右手で再び咆哮が上がった。が、奴は既にバシルの術中に嵌まっている。
 弾丸は逸れている。それを確認し、自分の能力が正常に機能している事を悟った。具現力では珍しい、閃光型ではない光使い。彼は、光を操る自然型である。自分自身で閃光を作り出す事はないが、周囲に力場を発生させる事によって可視光線を自在にコントロールできるのだ。
 今、リョウイチの目には、別の部分にバシルの姿を見ている筈である。視界に入る光を操作して、バシルの部分の光を屈折させているのだから。
 立て続けに三発、銃声が響いた。が、バシルは避ける事をしない。彼の左を大きく逸れていく弾丸は、脅威にはなる筈もない。
 感心したように、一つを頷いた。監視員の情報は正しい。ナカイ・リョウイチの能力は防護膜強化。通常型の変異系、と言う事だ。肉体強化にのみ具現力が発揮される能力。長距離攻撃や防護膜変化能力はなし。純粋に、肉体強化にのみ具現力を使う事しか出来ないと言う事。
 が、必ずしもだから肉体能力が誰よりも高いと言う訳ではない。所詮は通常型、一部攻撃系の自然型や特殊、閃光型と比べると肉弾戦でも勝ち目はない。
(つまりは失敗作、て事だ)
 確かに強力でない事はない。が、素人相手にしか戦った事のない傭兵崩れを追いつめる事は出来ても、本格的な能力者戦闘を主に行う主力部隊員ならば、恐れる事はない。VANの三つの区分の中で戦闘能力が比較的低いと言われる特務部隊ではあるが、別働隊として特異な能力を持つバシルには勝てない相手ではないのだ。
「さよならだ!」
 バシルは前に跳んだ。同時に分身。残像をそこに残す。いや、そこだけではない。公園の中に、五つの分身を残して相手を錯乱させるのだ。他の攻撃は全て通常型と同じではあるが、これらの力が付加されているだけでも彼は一般隊員達とは離れた強さを持つ。
 掌に力場を発生させ、腕部の防護膜を強化させた。接近。相手はこちらを見失っている。大丈夫だとそう思い、バシルは身を屈め、次には大きく伸ばしていた。狙うのは、首。そこに貫手を突き入れようとした。



 錯覚か、と思った。自分の目の前には、同じ敵が五人。それぞれがバラバラに、こちらを見ている。戦慄が背筋を駆け上り、良一がそれぞれに対して身構えた時だ。
 ドツッ、と鈍い音が、真下から聞こえた。
 その瞬間に、今まで見えていた五人が一斉に消える。音のした方向に首を向けると、頭に穴を開けた男が倒れていた。
「なんだっ!?」
 目前に存在していた敵だった。五つの分身を残していた本人に懐に入られていた事を知り、良一は背筋に冷たい物を感じた。
 同時、その相手を仕留めた存在が誰なのかを知る。
「少路、居るんだろう」
 出てこい、と言う意味である。その言葉に、公園の茂みが反応した。
 カサッ、と音がして、長身の男が姿を現わす。夜の迷彩服は見分け難いな、と思いつつ、良一はその男に対して口を開いた。
「すまんな。借りが出来た」
「いいえ、気にしないでくださいよ総監。未来のお父さんに、そんな野暮なことは言いません」
「今、必要以上に失礼なことを言ったな貴様」
「えっ? なんでですか?」
「貴様に有希はやらん。何度でも言うぞ」
「それでも僕は諦めませんよ、総監」
「そうか。では、叶わぬ恋をいつまでも追いかけているが良い」
「僕と彼女の気持ちが大事です。きっと、駆け落ちしてでも結ばれる運命なんですよ」
「何故そう言いきれるのだ」
「だって、有希ちゃんは僕に懐いてくれてるじゃないですか。OH、マイスィート!」
「皆に同じように接しているぞ、あの娘は」
「ふふふっ、そんな訳がありませんよ。あの、僕を見る時の恋する乙女の眼差しをどうご説明なさるのですか?」
「有希はお前の事を『良い人』止まりだと言っていたが……」
「またまたご冗談を。はははっ。総監は面白い人だなぁ」
「冗談のつもりもないな。それにな。この前に本人に聞いたが、有希はどうやら本命を見付けたらしいぞ」
「何っ!?」
「なんでも、絡まれている所を助けてもらったとか。その少年の家に、一昨日辺りに行ってきたようだ。送ってもらうほどの仲だとか言う話だが……」
「そんな……そいつ、許さん! 総監はそいつの顔を見たんですか?」
「いや、帰宅する前だったから見てないが。帰ってきた時、男物の服を着ていたぞ」
「そ、そんな仲にまで!? 殺してやるー!」
 一人暴走を始めた少路一尉を見て、良一は溜息を吐く。ふうっ、と額を押さえて、自分のこれからの未来に不安を持った。
 日本に五人存在する陸上自衛隊方面総監。その中部方面総監を任されている良一の部下の中で、最も戦闘能力の高い男が目の前で暴走している男だからだ。
 行く末に不安を抱きつつ、彼は少路に対して声をかけた。
「早く死体を片付けるぞ」
 しかし少路は、それが聞こえていない様子であった。厄介な事になってきた、と今さらながらに嘆く良一。それしか出来ない自分が少し悲しくなってきた。



 朝の空気の中、修がまず目覚めたのは嗅覚だった。
 甘い香りが鼻孔を擽るのである。その気持ち良い空気に瞼を開くと、眼前に存在している物が視界の中に映った。
(………………………………へっ?)
 有希の寝顔だった。
 次に、修の皮膚が反応する。自分の両腕が、何かを触っているのだ。
 当然のように、それは有希の小柄な身体だった。彼の両腕は、有希の背中へと回っているのだ。その柔らかい感触に、修は大慌てで起き上がろうとする。
 しかしそれも敵わず。
(いっ!?)
 有希の両腕が、修の背中に回っていたのだ。
 今、有希は修の腕の中で、スウスウと安らかな寝息を立てている。彼の胸に顔を埋め、母親の腕の中で安心しきった幼女のように、修に身を寄せていた。
「えっ、え〜っ………とぉ……」
 修は混乱していた。
 何故かと言うと、昨日の朝よりも凄い状況だからである。
「んっ……」
 有希が小さく身じろぎした。
「は、はいっ!?」
 修は小さく悲鳴を上げた。
 その頃には、今の状況とその理由も頭の中に浮かんでいる。あーっ、と思った。随分大胆なことしたもんだなぁ、と自分に感心しているのだ。
(とりあえずシャワーだな……)
 彼は昨日、風呂に入っていないのだ。
(風呂に入らずに寝ちまうとは……)
 有希に悪い事をしたな、と思えた。肌荒れが心配である。
 修は、指先で有希の頬を撫でた。柔らかく、木目細かい肌は暖かい。若い有希の肌は荒れてなど居ない様だ。ほっ、と安心していると、えへへっ。少女は気持ち良さそうに笑った。
「えっ?」
 疑問に思った直後、幸せそうな笑みを顔に残したままの有希が、その面を上げた。それに修は慌てる。
「あ、あの、今のは決して卑らしい事を考えたのではなく、ですね、えっとその、純粋にイタズラ心が湧き起こり、小生の精神をマントルが這い上がるが如く湧き出し吹き出し粘性の低いマグマが地表に吹き出した訳でありまして、至急キラウェア近郊の住民に避難勧告を――!」
 修は自分で何を言ってるのかが分かっていなかった。
「どうしたんですか?」
 クスクスッ、とリスが鳴くように背中を揺らす有希を見て、純粋に可愛いと思った。
 その彼女の瞳が、未だに神々しい白銀の輝きを放っているのを見て、修はニコリと微笑む。
「その目は戻さないの?」
「戻さないです。今これを解除してしまうと、修さんの中で血液の代役を果たしてる光が消えちゃいます。そしたら修さん、貧血ですよ?」
「貧血くらいなら何とかなるけど……」
「失血死ですよ?」
「……そんなに血がないですか、今」
「はい。見付けるのが遅くなってしまったです。すいません……」
「いやいや、項垂れる必要はないけど。早く血を採らなければならないのね」
 有希は、そうです、と頷いた。
 修は、そうか、と吐息を一つ。
 とりあえず、飯を食おうと思うのであった。だって、結局は昨日の夜は食べれなかったんですもの。



 時刻は夕方。
 修は、有希を連れて近くの河川敷に来ていた。
 いつもは登下校する時に光と共に通るサイクリングロード。そのすぐ脇を通る川を、二人並んで眺めていた。
(ここは……)
 思い出深い場所だ。二週間くらい前だろうか。その時、修は光と共にとんでもない事に巻き込まれ、ここでとんでもない事をしていた。
 他人との、命の取りあいである。
 そうは言っても、凡人でしかない修には何も出来なかった。あの時、光が戦う事を決意してくれたから、だから修は今、ここに居る。ここでこうして、再びこの景色を眺める事が出来ている。
 思い出し、そうだ、と思った。ならば、隣に居るこの少女に、聞かねばならない事があるのだ。
「有希ちゃん」
 そう、声を出した。が、視線を向ける事はしない。いや、出来ない。今、彼の心の中には恐怖があった。この疑問を言ってしまうのは良い。だが、その結果、出てくる答えが恐い。
 声を発した時、隣の空気が震えた。有希が肩を震わせたのだ。それは明らかな怯えである。何故、その様な反応を示すのか。理由を、修は知っていた。だから彼は問う。今、最も気掛かりな事を。
「君は、VANの人間かい?」
「えっ?」
 有希の反応に、少なからず安堵を持つ。一番の気掛かりを、解消できた。
「VAN、ですか? あの、それは何……?」
 そっ、と少女の唇に人差し指を近づける。少しばかり恥ずかしい行為だが、夕焼けが映える、人気の無い河川敷でならば良いだろう。
「違うんなら良いんだ。俺はそれだけで充分だから」
 微笑みを浮かべる。勇気が出たのだ。有希の顔を直視する勇気が。
 後は、別段知る必要は無い。今、一番気になっていたのはVANの動静。昨日見た限りでは、高次が覚醒している。特に監視が厳しくなったような印象はなかったが、奴等が攻撃を仕掛けてきた可能性の方が高い。
(私怨にしては様子がおかしかった)
 修が心の中に抱いているのは、その思いなのだ。高次はそんな唐突に人を殺そうとするだけの根性はない筈だ。ならば、何らかの思惑が働いていると見て良いだろう。そして、それをやる理由があるのは一つしか思い付かない。
(まさか親父や御袋が俺を殺そうとしてくる訳も無いだろうに)
 その思いを、自嘲の笑みで打ち消した。とにかく今回の黒幕は読めたのだ。
 だから、有希の疑いが晴れたのならば、修にとっては他は良い。課題としては高次の対策を考えるだけなのである。
「あのっ……!」
 有希の声が聞こえた。それに振り向くと、少女の瞳が揺れているのに気付く。今は正常に、日本人の茶色を含んだ黒の瞳が、修を不安そうに見ている。その澄んだ美しさに修は見惚れた。
「なに?」
 聞くと、有希は戸惑ったように一度、目を逸らした。不安そうに俯いて、しかし意を決したように顔を上げる。その、毅然とした瞳を修は頼もしく思った。
「どうして……、何も聞かないんですか?」
「聞いたじゃないか。その結果、俺の疑いは晴れた。それで良いんだ」
「でも、この力の事は聞かないです。何でですか? こんなおかしな力を持ってるのに、何で貴方は私を変わらずに見てくれるんですか?」
 その表情が必死なのを見て、修は一つ、息を吐いた。この子は説明を求めているんだな、とそれだけを理解している。その気持ちも分かる。確かに、あいつもそれを求めたのだから。
 だから、修は口を開いた。
「その力――具現力、て言われてるらしいんだけど、俺はそれについては今更になって驚けないんだよ」
「えっ?」
 修は、クスリと笑った。
「俺は覚醒してないけどね。近くに一人、覚醒した奴が居るんだ」
 思い出す。あの時は、確かに自分は恐怖した。でも、それよりも大きな感情が自分の心の中にあったのだ。
「俺は光の事が心配だったよ。あいつはさ、強く見えて実は結構、思いつめる節があってね。むりやり目覚めさせられてさ。しかもその後で酷い目にあってな。一緒に居たけど、巻き込まれた俺の方があいつの事を心配してるくらいだったんだよ。しかも、信じられない事にあいつの強さは半端じゃなかったらしく、色んな所からちょっかい出されちまって、気が滅入ってたんだ」
 修は笑った。それは、ただの思い出になってしまっている過去を見詰めて、安心しているのだ。自分の心には、それほど重石になってはいない。それくらいでなければ、光を補佐する事など出来ないだろう。そういう気持ちがあるからこその安堵だ。
「結局の所、一応の終息は見えたんだけどさ。覚醒してる事に代わりないんだよ。光はさ。だからあいつ、まだまだ不安定でね。見てられないんだよ。あいつの気持ちは、覚醒してない俺には分からないんだけどさ。伝わってくるんだよ。だから、俺は君の事を知ってると思ってるし、差別する必要性もないんだって、分かってるつもりなんだよ」
 今度は有希に向けて、笑んだ。少しはにかんだ笑みは、照れ。喋りすぎたかな、と思えたのだ。今日はいつに無く饒舌になった。疲れは出てる。
「これで良いかい?」
 修が言うと、有希は頷いてくれた。そのまま彼に寄り添って、胸に顔を埋める。修も有希の背に腕を回した。流されてるな、と自分の行為に対して冷静な自分が居る。でも、それで良いだろうと言う気持ちがあった。それは、安心だ。夕焼けが、多少の感傷的な気持ちを湧き出させているのだ。雰囲気に飲まれるのも、たまには良い。
 いつまでそうしていただろう。夕陽が山の中に沈み込もうとしている時だ。修は、背中に気配を感じて有希の背を叩いた。
 顔を上げた有希は不思議そうな顔をしたが、素直に修の胸から体を離してくれた。その温もりの残滓を感じながら、彼は背後へと視線を投げる。
 影は五つ。河原の上で、逆光を浴びている。しかし、その視線が二人に向っているのは明白である。
 殺意だな、と直感した。その中に見覚えのある影を見つけ、やっぱりな、と思うのみ。
「野暮ったいこって。今の雰囲気が掴めなかったのか?」
 皮肉っぽく口を歪めてみた。今の状況は、絶体絶命。五人の覚醒者に囲まれれば、自分に勝ち目はないだろう。
 だが、その内心の不安を見せてはならない。修は精一杯に余裕の態度を取ろうとした。
「さぁ来いよ。相手にはしてやるから」
 五人の顔が、修一人に注目していた。その口元が醜く歪んでいる。笑っているのだ。恐らくは嘲笑。陰気な笑い声が、修の耳にも届いている。
 ザッ。相手が一歩を踏み出した事で、逆光から離れたその顔が確認できた。高次だけではなく、全員に見覚えがある事に修は眉根を寄せる。
 一週間前の男達だった。有希に絡んでいたチンピラ共。それぞれが特徴的なナリをしているので分かりやすい。が、
(何でこう、知ってる奴が覚醒してんだよ……!)
 心の中で毒づく。その瞬間に、男達の瞳が変質した。
 来る――そう、直感する。土手を下りて、男達が修に向けて殺到してきた。全員が同じ表情をしている。下卑たそれではなく、純粋に歪んだ憎悪の顔。
 あれ、と修は疑問に思った。予想していたスピードではない。彼の目でも充分に追いつける速さ。
 一番始めに到着したのは、やたらと顔にピアスをつけた顔。奇妙な歪みを顔にへばり付かせながらも、修に向って拳を振るう。それを屈んで避け、疑問は更に強くなった。
(避けれた――?)
 男の薄い紫の瞳を見上げながら、固めた拳を顎に叩き込む。予想外にも直撃し、鈍い感触を残してそいつは倒れた。
「えっ?」
 疑問の声は、一瞬の油断を生む。背中に回り込んだ高次が修を羽交い締めにし、残りの三人が突撃してきたのだ。
(くっ……!)
 無駄だろうと思いながらも、肩に力を入れる。同時に大きく後ろに反って、ドレッドの拳を回避しようと試みて――
 抵抗は少なかった。高次の、筋肉の無さそうな痩躯がひっくり返って、修の下敷きになったのだ。ぐえっ、とくぐもった声を上げ、高次は動かなくなった。
(どうなって、んだ……)
 混乱。具現力を使っているにしては、弱すぎる。これでは目の色が変わっただけで、実質的には何一つ変更点が無いのではないか?
 試しに、前につんのめったドレッドに足払いをかけてみた。その細い脛に足の裏をぶつけると、ボキッ、と生々しい音を立ててドレッドは転がる。
「えっ? えっ?」
 起き上がり、後方に下がる。スカスカなのだろう、折れた足を見て、ドレッドはしかしこちらに向おうと這っている。
 不気味な光景だった。だから修は、地を這っているドレッドの頭に蹴りを入れる。それだけで気を失ったように動かなくなった。
 確信する。コイツ等は、身体的な能力向上が成されていない。
 かつて、具現力の説明をある少年より聞いた事がある。具現力は精神エネルギーを力場として、物理的な力を生じさせる物である、と。その精神エネルギーが常に体を覆い、身体能力と治癒力を向上させているらしい。かつて覚醒した光は、その能力で普段とは考えられないほどの格闘能力を発揮した。が、今目の前で修を襲っている彼らは――
「丸っきり、普通の人間だ」
 しかも、普通よりも体力の無い人種。どんな人間でも具現力に目覚めれば、常人では考えられないほどの戦闘能力を有する――修は、そう思っていた。だから、今彼が戦っているもの達は、
(覚醒してない……?)
 そうなんだろうな、と思った。いつの間にやら二人になった敵を見て、彼らに防護膜――体を覆っている筈の力場――が無い事を確かめ、自分の思考に確信を得る。
 ならば戦慄する必要性はないだろう。そう考え、向ってきたデブに蹴りを出す。が、突き出された右足を掴まれ、逆のもう一人に打撃を食らった。
(くそっ!)
 転がり、立ち上がる。拳を頬にくらい、少しよろめいた。結構キツイ。
 繰り出される蹴りを腕で受ける。靴底がゴムで良かった、と思いながら、後ろに下がった。距離を取って二人を睨み付ける。ダルマのような体躯の肥満体と、反対に痩せぎすの不健康体。蹴ってきたのががりがりの方で良かった、とも思った。
「くっ!」
 と、呻く。同時に、機先を制してがりがりにアタックした。こちらに向けて前傾姿勢を取っていた男は、修の肩をまともに食らって倒れ伏す。咳き込んだ相手に追い討ちをかけようとして――
(うわっ!)
 覆い被さってきた影に、咄嗟に右に転がった。
 そこに巨体が突っ込み、強力なエルボーががりがりの腹に突き刺さる。胃液を吐き出して失神したがりがりに、修は顔を青くするだけ。
 正直に、ヤバイと思った。
「修さん!」
「案ずるな!」
 有希が叫ぶ。修も負けじと、後ろに向って声をかけた。昨日、彼女は泣きながら能力の説明をしてくれた。それによると、有希に戦闘能力はない。具現力を起動しても、戦いに関しては普通の女の子でしかないのだ。
 だから、修はこの戦いを全て自分で受けるしかないのだ。大丈夫、相手はもう一人だけ。一度勝てた相手だ、今回も勝てる見込みはある。
「おらぁ!」
 気合を込めて飛び込んだ。拳を振り上げて、アッパー。だが、直撃してもデブは耐えた。そのまま、今度は痛烈な張り手を浴びせられる。これを耐え、今度は蹴り。至近距離からのローを見舞うと、バランスを崩した敵に対してもう一度拳を握る。
 その間に、腹に一撃が来た。くっ、と呻いてうずくまると、顔面に対しての膝蹴りが見える。横に倒れ込む事で避け、河原の小石に肩をぶつけた。痛い。
「ぶおっ!」
 デブの口から呼気が漏れる。くそっ、と思った。最初に相手をした時は、こいつは喧嘩をする事に迷いがあった。だが、今のこいつには迷いどころか感情すらも篭もっていない。ただ、修に向けて攻撃をしてくるだけ。それが厄介だった。多分、この中では一番戦闘力があるんだろう。四人の中で一人だけ、危ない薬はやってないのかもしれない。
 ガッ、と頬に衝撃が来た。拳は思ったよりも痛くはない。殴り方は、修と同様になっていなかった。他の者達も、喧嘩の仕方に慣れがなかった事から、戦うと言う事は経験としてはなかったのだろう。
 だが、修はそれなりに気をつけていた。今まで、とりあえず知識を身につける為に大量の『色んな物』に手を出してきた。文庫系では、時々パンチの打ち方まで書いてある物がある。その知識に従って打てば良い。
 それが彼の余裕を助けていた。ぎこちなくではあるが、それなりに様にはなっている筈だ。そう、信じていた。
 じんじんと痛む頬は、何度も殴られた証拠。腹に鈍痛が残るのも無理はない。足がふら付いてきた事に、自分自身を鼓舞して、修は近づいてきた男に対して、更に間合いを詰めた。
 繰り出されたのは、拳。それをしゃがんで避け、全身のバネを収縮させる。それを伸ばす時、修は掌を贅肉の溜まった顎に叩き込んだ。
「げっ!?」
 奇怪な声を残し、男は倒れ伏す。ハァハァと荒い息でそいつの顔を見やると、瞳が裏返っていた。気を失っている。それに安堵。生まれて始めて放った掌底は、何とか成功してくれたのである。
「あ、はぁ……!」
 安堵の息をつき、修はその場に座り込んだ。何とか撃退したのだ、と言う思いが、修を心底から安心させてくれた。この間は凶器があったからなんとかなったが、今回は丸腰で、怯えも迷いもない相手とまともに闘った。それを思い、達成感が体の力を抜かせてくれた。
「修さん!」
 有希が近づいてくる。少女に視線を向けるべく首を巡らして、頬に痛みが走ったのに眉を顰めた。
「大丈夫ですか?」
 屈んで、有希は修の顔を覗き込んだ。心配そうに眉根を寄せた有希に、思わず笑顔を向けて、
「ん、ダイジョブ……」
 そう言った修の頬が、有希の両手で挟み込まれた。
「ギャース!」
 叫ぶ。
「大丈夫じゃないじゃないですか!」
 有希は、叱り付けるように言うと瞳の色を変化させた。
 あの、ミスリルの輝きへと。それに伴って、修の肌を同色の光が包む。頬の痛みが和らぎ、腹の鈍痛が消えた。
「ありがと」
 素直にお礼を言うと、元に戻った有希が、嬉しそうに笑顔を浮かべた。どう致しまして。そう、彼女の唇が動いたのが見え、修は再び笑む。
 彼が立ち上がると、有希は修の胸に飛び込んだ。
「心配しました……」
 その声が涙に掠れているのに気付き、修は慌てるのを止める。代わりに、優しく有希の肩に手を回した。
「大丈夫だよ」
 ポンポン、と優しく、背中を叩いてやる。まるで幼子を安心させるような手つきで擦ってやると、有希の肩から力が抜けた。安心してくれているのだ、と分かり、修は顔を綻ばす。
 有希が上目遣いに修を見上げた。その顔を直視する事が出来る。その美しさを護りたい――修は、昨夜の有希の涙を見て感じた思いを再び胸に蘇らせた。護りたい。心の底から思える事。それを、彼は誓いに変える。俺がこの子を護る。決意した眼差しで、有希の潤んだ瞳を見返した。
 その場に音は存在しなかった。誰も居ない場所で、二人だけの空間が在る。川の流れる音が、さらさらと耳に届いている筈だ。だが、頭はそれを認知しない。人の視線はない。それを確信した上で、二人は互いを見詰め合う。
 緊張はなかった。少し上気したように見える有希の頬を優しく撫で、掌で挟み込む。少女は瞼を閉じた。それに答えるように、修は顔を近づける。長い睫毛が震えていた。少し濡れた瞼に艶を感じ、修は少しずつ目を細める。ゆっくりと、その誓いを心に刻み付ける為に、二人は互いへとその心を開こうとした。
 ――俺が、護るよ……。
 小さく呟く。瞳は閉じている。すぐ近くにある有希の顔が上下した気配が伝わり、それに堪らない喜びを感じた。ゆっくりと、時間が過ぎ去る感覚。コンマの時間が永遠に引き延ばされる不思議な気持ちを味わいながら、修は有希へと口付けした。
 と、思ったが――
「貴様にくれてやる訳にはいかん」
 予想していた、柔らかい少女の朱唇の感触はなかった。代わりに、聴覚が声を認識する。低い、男の声だ。えっ、と疑問に思った直後に、それは来た。
 ゴッ――
「ぐっ……!」
 肺から絞り出された呼気を耳元で感じながら、腹部に来た衝撃を『認められない』。気がついた時には、全身に痛みが来ていた。主に背後に、ゴツゴツとした感触を得る。大小様々な石の感覚に、自分が倒れている事を知った。
(んなっ……!)
 腹に鈍い痛みを覚えて、そこを押さえた。一瞬の混乱の中で、今し方までの戦闘が頭の中に残っている事に安堵し、自分を取り戻す。まだ熱は冷めていない。
 顔を上げた。素早く――とまでは行かないが、腹を押さえたままでも立ち上がり、状況を確認する。正面、有希までの距離が二メートル近くある事を視認し、心の中で驚愕する。
「ちぃっ……!」
 油断した、と思った。腹を押さえた前屈みの状態ではあるが、修はそいつを睨み据える。有希の前に立つ、長身痩躯の中年。無駄無くスーツを着こなした、隙のない男であった。その冷然とした瞳が修を見据えている。普段の彼ならば腰が引けている所だが、覚悟を決めた少年はその瞳を睨み返す事を可能としていた。
(まさか、接近されるまで気付かないなんて……!)
 第二波攻撃か、と奥歯を噛んだ。今までの経験上、VANは波状攻撃などしてこなかったのだ。今回もないだろうと考えたのが甘かったと言う事なのか。
(甘かったんだろうよ!)
 意思のある瞳を見、こいつが本物であることを確認した。男は操られているのではない。恐らく、そのままでも充分なほどの戦闘力を持つ手練。
 身構えた。全身の打撲を堪えながらも、男を睨む瞳をよりきつい物とする。
「修さん!」
 有希が叫んだ。彼女の手が男の腕を取っているのを見て、ヤバイ、と思う。
 逃げろ――そう言おうとして、口を開きかけた。が、
「どいていろ、有希」
 声が聞こえた。先程も聞いた、低く威厳のある声だ。男が発したのだろうと思え、少女を呼び捨てる事に疑念を感じる。
 それに答えるかのように、有希は男を掴む手を止めない。そして男は、その手を振り払おうとはしなかった。
 止めて、と有希が叫んでいる。男は依然として修を睨んだまま。その態度に業を煮やしたのか、少女は決定的な言葉を口にした。
「お父さん!」
 空気が、揺れた。それは風。吹き抜けた大気の流動を感じながら、修は思う。
「お、おとおさ、ん……?」



「バシルはしくじりましたか……」
 スィンスは呟いた。それは、誰にともなく呟いた独り言のつもりだったのだが、予想外にも隣の男は反応してくれた。
「ナカイ・リョウイチが予想以上の使い手だったと言う事か。それとも、単なる油断か?」
 多分後者でしょうね、とスィンスは笑った。苦笑だ。
「『人形』隊も全滅ですしね。どうしてヤザキ・シュウに恨みを持つ人間はあんなにひ弱なんでしょうか」
「さあな。五人掛かりで全滅とは、日本人は本当に軟弱な種族だ」
「まぁ、多少の作戦変更は、やむを得ませんしね。とりあえず、明日には終わらせましょう」
「その為にここまで来た、か……。で、どいつを殺るんだ?」
 聞かれ、バシルは上を見上げた。そこにあるのは、校舎。公立波北高校の大き目の校舎が眼前で幾らかの窓が点々と明かりを映していた。
「日曜日だと言うのに、ご苦労ですね」
 日の沈んだ時間、休日の夜にまで仕事をするとは、日本の学校教師とは分からないものだ。そう考えながら、職員玄関を入ろうとした。
「んっ? なんだい、あんた達」
 その声に足を止めると、玄関から男が一人、こちらに寄ってきた。年齢は三十前後。少し高めの上背に、がっしりした体つき。どうやらこの学校の教師のようだ。
「駄目だよ、部外者は立ち入り禁止。って外人さんかい? え〜っと。ドゥー、ユー、スピーク、ジャパニーズ?」
 つっかえつっかえの、イントネーションがバラバラの英語。それを聞きながら、スィンスは微笑んだ。
「喋れますよ。安心してください」
「ああ、そうかい。じゃ、ここは学校なんだ。そろそろ閉めようと思ってるから、用がないんなら帰ってくれ。特に用はないだろう?」
 ふむ、と思う。丁度良いか、と。
「この人で良いでしょう」
 スィンスは言った。それに、訝んだ顔で男が近づいて、
「何が良い……」
 それ以上の声が出ない事は、スィンスの目には明らかであった。喉に突き刺さったのは、流れるような動作で抜き放たれた長めの刃。アリトゥが放った一撃は、相手の言葉を完全に封じている。
「ここで良いのか?」
「ええ、大丈夫です」
 驚愕に目を見開く教師の瞳を見下しながら、アリトゥが右手を振りかぶる気配を感じた。瞬時に暗闇の中に銀線が映え、男の胴に新たな刃が突き立つ。肉を切る鋭い音が響いた。
 その後はいつも通りだったろう。アリトゥの手が素早く動き、人の肉体がその度にズタズタになっていく。人体から吹き出すあらゆる奇音が鼓膜を震わせ、男が切り刻まれていった。三刀目で、生命は失われたのだと思える。その時に瞳は力を失ったのだ。
 その様を見詰めながら、スィンスは溜息を一つ。明日はどのような舞台を用意しようか。それだけを考えながら、今日もゆっくりと休息を取らねばなるまい。
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