第十章 ――ありがとう。


 全身のエニグマが形を変えて行く。頭部は鋭利さのある、鳥に近いものへとエニグマが鎧を形成し、全身を朱色の光を放つ装甲が覆った。背後の翼は光を増し、強大なものへと変化する。
 拡大した感覚は全てを理解した。周囲を取り巻く空間の枠による性質と、それを無視する力を得た事を。
 麻衣が驚愕に目を見開いた。そこへと右腕を叩き付けるように振るう。右腕から伸びたブレードが朱色の閃光を放ち、麻衣へと叩き付けられる。麻衣がそれを腕で受け止めるが、聖司はそれを力任せに振り払った。
 真横へと麻衣が吹き飛ばされ、建物に激突する。
「な――!」
 麻衣が喋る暇を与えず、聖司はその麻衣の目の前に転移する。
 空間の枠の制約を無視し、自分のいる場所を変えていた。それと同時にブレードを突き出す。
 麻衣が自分の位置を転移させ、聖司の背後に回り込む。回り込んだ麻衣の繰り出す蹴りを転移して回避し、麻衣の背後に移動すると同時にブレードを振るった。
「くっ……!」
 呻き、麻衣が距離を取る。手にアフェクト・クリスタルを握り締め、麻衣が聖司の周囲の空間を隔離するのが解った。
 そのエニグマのエネルギーの流れを読み取り、身体から見えないエネルギーを放出し、アフェクト・クリスタルへ逆流させる。その瞬間、空間の隔離が解かれ、逆流した膨大なエネルギーによってアフェクト・クリスタルが砕け散った。
 人の意志との関わりの薄いアフェクト・クリスタルでは、意識と密接に関わっているエニグマの本当の力には及ばない。
「第三形態……私も使わせてもらうわ」
 呟きが聞こえた瞬間、聖司のエニグマが脈動する。
 麻衣の身体の全てが聖司同様にエニグマに包まれる。ドレスがプラチナの光を放つ滑らかな鎧へと変化し、二枚だった翼が六枚へと増加し、頭部には羽飾りのようなものがついた兜が生成された。両手にプラチナの長剣が生み出された瞬間、麻衣の身体が掻き消え、聖司の背後に回り込む。
 エニグマが発する特殊な領域が見えた。その領域に包まれた麻衣が高速で聖司の背後へと回り込んでくる。その領域が空間の制約を無視するための結界なのだ。
 聖司はその麻衣の動きを追った。自身の身体も同様の領域に包まれているのが解る。麻衣の動きに身体の正面を合わせ、麻衣が振るう剣を腕の刃で受け止める。
 凄まじいまでのエネルギーが爆発的な衝撃と閃光を周囲に撒き散らした。二人の前後にある建物が吹き飛ばされ、崩れ落ちる。だが、聖司と麻衣の二人にはその影響はない。展開された領域がその物理的な効果を打ち消していた。
「――!」
 接触の瞬間、聖司の身を包むエニグマに変化が起きた。それに麻衣が目を剥く。
 全身の鎧が鋭く変化し、脚に刃が生じ、それと同時に腕のブレードが厚みと長さを増し、更には頭部の兜の後ろから覗く聖司の黒髪が朱色に染まり、燐光を纏う。
 麻衣のブレードを弾くように振り払い、もう一方の刃を突き出した。それを片手の剣で受け流し、麻衣が蹴りを放つ。軌道を見切り、後方へ蹴りの範囲の分だけ退くと、身体を回転させるようにして両腕の刃を振るう。麻衣が剣で受け止めるが、刃の圧力によって弾かれた。翼を左右に展開し、回転を止めると直ぐに麻衣へと突撃していた。
 右腕の刃に纏わせた燐光を放ち、それをかわした麻衣が剣を投げ付ける。持ち主の手から離れたエニグマの剣は光に変化し、聖司がそれをかわすと燐光の粒となって周囲に霧散した。
 朱色に染まった髪が靡き、次の瞬間にはその場から消える。エニグマの領域に包まれた聖司が麻衣の背後に回り込む。横合いから叩き付けられるブレードを六枚の翼が光を放ち、押し留めた。残った剣を逆手に持ち替え、背後の聖司へと突き出された刃を、朱色の光を帯びた聖司のブレードが受け止める。
 瞬間、接触したエネルギーが行き場を失って周囲に発散され、左右にあった建物が吹き飛ぶ。
 麻衣の刀身を受け流し、六枚の翼へとブレードを突き出せば、麻衣はそれを身体を反転させると同時に退いてかわした。その瞬間には、聖司が麻衣の懐に飛び込み、ブレードを袈裟懸けに振り下ろしている。麻衣の剣がそれを打ち払い、回し蹴りに転じる。その脚を右手で掴み、手首を捻って脇にかかえるようにし、そこへ左腕のブレードを振り下ろした。その寸前に間に差し込むようにして聖司の胸へ突き出された剣を、聖司は上体を反らして避ける。振り切れなかった腕を引き戻し、右腕も脚を放すと同時に右足を蹴り上げ、宙返りをするようにして体勢を戻す。
 兜の下から覗く麻衣の表情が歪んでいた。敵意と焦りが見える。
「……くっ!」
 呻き声が漏れ、その音だけがその場に残る。麻衣の身体は空間を超越して聖司の背後へと転移し、剣を振り下ろしていた。聖司の身体は、その動きについていっている。
 ブレードで剣を打ち払い、突き出したもう一方のブレードを麻衣が片手で向きを逸らして受け流す。一回目の接触で聖司に対して右側の建物が二階の辺りで斜めに切断されて崩れ落ち、二度目の接触で左側の建物に穴が穿たれた。その周囲の建物の崩壊を無視し、麻衣が高度を上げる。それを追う聖司が放った光弾を麻衣が剣で叩き割り、生じたエネルギーが衝撃波となって周囲に降り注ぐ。
 六枚の翼からプラチナの光を帯びた羽根がいくつも周囲にばら撒かれ、それが麻衣の周囲で渦を巻くようにして集まった。麻衣が剣を聖司へと向けた瞬間、プラチナの羽根が聖司へと向けて放たれる。プラチナの光が尾を引き、一直線に飛んでくるもの、迂回して横合いから狙ってくるもの、それぞれの羽根が美しいまでの軌跡を描いていた。
 聖司の背にある朱色の翼が、閃光を周囲に放出する。弧を描き、前面へと先端が向けられた閃光はその全てが麻衣へと向けられていた。
 二種類の閃光が、互いに打ち消しあい、交錯し合う。聖司はプラチナの羽根を高速で転移を繰り返し、避け切れないものを左右のブレードで振り払う。麻衣は羽根を更に撒き散らし、それを防壁にして聖司の放った朱色の光を防いでいた。
 途中でぶつかり合った攻撃が、周囲に爆発的なエネルギーを衝撃波と閃光として振り撒き、空中にいくつもの光の爆発が起こった。
「……そんな…これが、『神薙』だとでも――っ!」
 麻衣が振り撒いた羽根の防壁を、両腕の剣を身体の前面で交差させた聖司が突破する。
 その聖司へと、麻衣が右腕を引いて掌底を繰り出す構えを取った。
(……藍璃……!)
 一瞬、脳裏に藍璃が吹き飛ばされた情景が浮かんだ。
「――なっ!」
 その直後、聖司の纏うエニグマから、燃え立つように朱色の光が湧き上がる。爆発的な力が身体の外側から、内側から湧き上がり、聖司の知覚する速度が急激に遅くなる。
 麻衣が繰り出す掌底を、聖司は自らの掌で受け止めた。
「――!」
 驚愕に、麻衣の表情が凍り付いた。
 聖司が掌を握り締めた瞬間、麻衣の手が砕ける。麻衣が苦悶の表情を浮かべるよりも早く、聖司は麻衣の腹部に回し蹴りを叩き込んでいた。聖司に掴まれたままの手に、麻衣の身体は吹き飛ばず、その衝撃が全身を襲った。掴まれた右腕の付け根、右肩の間接が砕け、蹴りによって打ち抜かれた衝撃が麻衣の身体に穴を穿つ。
「――がぁっ!」
 吐血する麻衣を、上空へと放り上げる。
 空中で六枚の翼を広げ、それと同時に麻衣はいくつもの羽根を放出した。そして、二枚の翼で身体の前面に回し、腹部の傷口を多い、治療する。気絶するようなダメージを受けても、エニグマがその痛覚を和らげ、意識を保つ事が可能であるためにできる自己治療だ。
 振り撒かれ、向かってくる羽根を、聖司は真正面から受けた。
 鋭く細めた視線、研ぎ澄まさせた意識と、明確な意志に、全身のエニグマが力を引き出す。
 ――……見つけた、って事か……。
 白虎の言葉が脳裏に蘇る。今ならば、その意味を理解できた。
(――見つけたさ……!)
 爆発的なエネルギーが渦を巻く。それを身体の周囲に纏い、聖司は空間の性質を超越する。
 身に纏ったエネルギーが羽根を打ち消し、周囲に朱色の光を放ちながら聖司が麻衣の目の前へと転移した。右腕を、水平に、真横へ掲げる。その腕に、身を纏うエネルギーが移動し集約して行く。麻衣が行動を起こすよりも早く、聖司の右腕が転移する。
 朱色の閃光が弧を描き、麻衣の身体を守る四枚の翼が切り裂かれた。麻衣が奥歯を噛み締め、その強い思惟が翼を一瞬で再生させる。返す刃がその羽根を切り裂き、聖司は一歩奥へと身体を押し込んだ。離れようとする麻衣に、構わずに左腕を振るい、右腕を引く。
(俺がこの空間を守る理由はただ一つ……!)
 砕かれた肩と手を治癒させた麻衣が、その手に剣を生み出して聖司の攻撃を受け止めた。受け止められた左腕のブレードを引くと同時に、右腕のブレードを突き出す。凄まじいまでのエネルギーが渦を巻き、まるで陽炎のような揺らぎを右腕が纏っていた。
 左右の剣を交差させ、更に六枚の翼全てを身体の前に回して麻衣は防ごうとする。
「――くぅっ!」
 しかし、朱色のブレードは二本の剣を貫き、六枚の翼をも貫いた。ブレードは麻衣の身体の中ほどまでにも食い込み、麻衣の表情に恐怖が浮かぶ。
 そして、右腕に渦巻いていたエネルギーが放たれる。
 凄まじいまでのエネルギーが、伸び切った腕の周囲を何重にも螺旋状に渦を巻いて腕を伸ばした方向へと移動してゆく。貫き、折られた剣の破片を巻き込み、更に細かく破砕した。翼を抉るように、一回り大きな穴を穿つように削り取り、その奥の身体へも到達する。朱色の刃が突き立った身体に、一直線に破壊の力が流れ込み、身体を抉り、勢いを衰えさせずに背中まで突き抜ける。
 振り上げた右腕が、麻衣の身体を、穴を穿った腹部から左肩までを切り裂いた。一瞬遅れて右腕が纏うエネルギーが麻衣の身体を大きく削り取る。
 血を吐き、麻衣が落下する。その見開かれた瞳に、戦意は残っていなかった。
 エニグマを第三形態まで発動させられるのであれば、そのダメージも修復できる。すぐにそれをしないのは、何度戦ったところで勝つ事ができないと悟ったからだろう。麻衣の意志が戦闘による勝利を諦めたのだ。
 落下していく麻衣を最後まで見ず、聖司は背を向ける。
 藍璃が吹き飛ばされた方角へと視線を向け、エニグマの力で視覚を拡張した。
(――そこか!)
 それが見えた瞬間、聖司は視覚を戻し、翼を大きく羽ばたかせると同時に空間転移を行った。
 街の中央から離れた、住人達が非難している場所やや近い場所に、藍璃は倒れていた。周囲にはそれを見つけたのであろう人だかりと、救急車がある。
(――待ってくれ!)
 瞬間、足が地面に着けられる。物理法則を超えた空間転移に、空気の移動、突風は起こらない。ただ、聖司がそこに現れた事による、聖司の身体の分の大気が押し広げられたために生じた風だけが起きる。
 朱色の光を放つ、聖司がその場に現れた事で、周囲の人間達が警戒し、ざわめいた。そのざわめきを無視し、聖司は藍璃へと歩み寄る。その途中で、兜が上へと開き、聖司としての顔が周囲に晒された。
 その、人間の顔を見た事で周囲の人達に驚愕が伝播する。
 倒れた藍璃の傍には、コンビニで藍璃と共に働いていた青年がいた。その青年が、藍璃の元へと歩み寄ってきた聖司を見上げた。その背後には救急隊が控え、突然現れた聖司に動きを止めている。
 藍璃の腹部からは夥しく出血しており、周囲のコンクリートを紅く染めていた。
「あんたは……?」
 青年の呟きは、聖司の耳には届いていなかった。
 跪き、聖司は両手で藍璃の身体を抱き締める。その身体からはもうほとんど体温を感じなかった。呼吸も、酷く細いものになっている。命の灯火が失われようとしているのが、はっきりと解った。
(――くそっ……折角…っ!)
 噛み締めた奥歯が音を鳴らし、きつく閉ざした瞼から涙が溢れ出す。頬を伝い、藍璃の頬へと、涙が落ちる。
 それに、向かいに座り込んでいる青年が息を呑んだ。
(……死なせるものか……)
 脳裏に、朱色の光が閃いた。
 目を開けた聖司は、左腕のブレードを掲げると、その刃へ、右腕の刃を振り下ろした。左腕のブレードを中ほどから切断し、そうして切り出した欠片を両手で掴み、刃が掌に食い込むのも構わずに強く想いを込める。
(……死なせやしない――!)
 真っ直ぐな視線を握り締めた刃に注ぐ。
 握り締めた朱色に輝く刃が、手の中でその形を変えて行く。球状へと変化したエニグマの欠片が、強い輝きを放つまで、聖司はそこに意志を注ぎ続けた。
(――俺の、戦う理由!)
 傷口に球体を掲げ、聖司はエニグマから手を放した。
 適正がなければ扱えないとされるエニグマだが、聖司が詰め込んだ想いがある間は、藍璃の身体の中でも力を発揮してくれるはずだ。そう、聖司は確信していた。適正がなければ、戦闘用の力を使う事はできないとされている。だが、今の聖司には、藍璃に適正があるなしに関わらず、その命が救えるだけで良かった。
 藍璃の傷口の中にゆっくりと降りて行くエニグマの欠片に、周囲が息を呑む。その光景に誰もが動けないでいた。
 傷としての穴よりも直径の小さな欠片は、傷の中央で降下を止めた。そして、周囲に光を放つと、砕け散るようにして藍璃の傷口に張り付いた。傷口から飛び出す事をせず、傷の表面、皮膚があった場所でエニグマの粒子は留まり、藍璃の身体へと浸透して行く。
(――藍璃っ!)
 聖司は藍璃の身体を抱き締め、その身体を通してエニグマに意志を送る。
 瞬間、エニグマが脈動するのを感じた。
 藍璃の身体の中に浸透したエニグマが傷口を修復し始める。力を放ち始めた欠片が、その親である聖司のエニグマと共鳴したのだ。藍璃の身体の体温が徐々に戻り始めたのを感じ取り、聖司は安堵の息を漏らした。両目から一滴の涙が頬を伝い、落ちた。
(――良かった……)
 藍璃が助かる。傷口を癒すために藍璃に分け与えたエニグマの共鳴が、聖司にそれを伝えてくれた。
 見れば、傷口が縮まり、それを覆う光が少しずつ少なくなっている。藍璃の身体の修復が進んでいるのが、解る。体温も既に元に戻り、か細かった呼吸も安定したものになっていた。
 光が生み出す奇跡に、聖司以外の全ての者が言葉を失い、行く末を見守っていた。
 そして、藍璃の傷口を覆っていた光が消え去る。その下に傷痕はなく、完全に治癒されていた。
「……ぁ……」
 吐息と共に、藍璃がゆっくりと瞼を開いた。
 その瞬間、聖司の目からまた涙が溢れた。藍璃を抱き締めた聖司の顔に柔らかな笑みが広がる。
「……聖……司…?」
 藍璃の声に、聖司は藍璃を強く抱き締める事で答えた。
 ――もう、俺は大丈夫だ……。
 藍璃の中に浸透したエニグマが、聖司の意志を伝える。
「私……確か……」
 藍璃が自分の腹部に手を当て、傷口がなくなっている事に気付く。
 ――俺のエニグマの一部を割って、藍璃に埋め込んだ。
 それが傷を癒させたのだと、伝えた。麻衣の掌底を受けた藍璃は、身体を引き裂かれたのではなく、身体の一部を失った。現代の医療技術でも治療できないその傷を治療するために、聖司はエニグマを使った。
 エニグマに空間の枠の制約を無視する力があるのならば、それに順ずる生命体の受けた致命傷を癒す事もできる。
「……でも、これって……」
 ――ああ、委員会の規律には触れるだろうな。
 藍璃の言葉に、聖司は答えた。
 委員会の規律である、守秘義務と欠片ではあるもののエニグマの無断譲渡。その二箇所には大きく抵触しているだろう。ユニオン・デバイスの登場と、特殊対処員との戦闘は大目に見れても、ここまであからさまに人目のある場所に出てきた事は規律違反と言えた。そして、自身のエニグマの一部を藍璃に譲渡した事も、規律違反だ。委員会もそういった使い方は知らなかっただろうし、想定していなかっただろうが、それでも、委員会の掲げる掟を考えれば、違反に含まれるに違いない。
 ――けど、構わない。
 胸の中から藍璃を解放し、視線を合わせる。
 人目に触れられる事も、規律に触れる事も、聖司にとってはどうでもいい事となっていた。自分の奥底にある『理由』に気が付いてからは。
 ――君さえいれば、それでいい。
 その思惟に藍璃の頬が赤く染まる。
 もっとも、聖司にはそれ以外にはもう何も考えられない状況であった。今まで、戦う理由を見つけられず、声も失い、果ては仕事のパートナーすらも失った。残されたのは戦う力と、藍璃。
 たとえ全世界の全てを、局だけでなく委員会までをも敵に回しても、藍璃が聖司の傍についていてくれるのであれば、それでも構わないとすら思えた。その強い意志が、聖司にあれほどまでの戦闘能力を引き出させたのだ。凄まじい戦闘能力を持つ麻衣ですら、あしらえる程の力を。
 だから、聖司は周りに誰がいようと構わない。何を言おうとも構わない。ただ、藍璃が生きているだけで良かった。
(……!)
 瞬間、聖司の知覚が気配を捉えた。
 そこには、六枚の翼を広げた麻衣がいた。傷は癒えているが、その表情には今までのような闘志は見えない。
「……ユニオン・デバイスが発動するわ」
 その言葉に、聖司は鋭い視線を返す。
 麻衣が、聖司の腕に抱かれた藍璃を見て、その表情を曇らせた。哀しみが表情に表れ、頬を一筋の涙が伝っていた。
「あなたは、その娘を選ぶのね……私の負けだわ」
 涙を拭い去った麻衣の視線には、闘志とは別種の鋭さがあった。憎悪だ。
「いいわ……もう、全て吹き飛んでしまえばいいのよっ!」
 麻衣が叫ぶ。
 聖司はそっと藍璃から手を放すと、一瞬で麻衣との距離をゼロにしていた。
 麻衣の瞳に、それに対する驚愕はなく、ただ憎悪の篭った視線で聖司を睨み付けている。恐らくは、その背後の藍璃にまでも、その憎悪は向けられている。
「私は……朱雀が好きだったのに……!」
 聖司の目の前で、涙を流しながら麻衣が呟いた。今まで聖司が見てきた麻衣らしくない声だった。
(……すまない、麻衣)
 涙を滲ませた瞳を見つめ返す。聖司の表情に、麻衣が唇を噛んだ。
(……俺は、聖司だ――!)
 瞬間、振り上げた右腕を麻衣へと振り下ろした。
 朱色の閃光が柱となって、麻衣の足元から湧き上がる。麻衣の身体に縦に深い傷が走り、次の瞬間、朱色の光の奔流に飲み込まれた。
 ユニオン・デバイスを見上げた聖司は、その異変に気が付いた。
 デバイスが発する電撃のようなエネルギーがその密度を増し、封じ込めておくための透明な防壁の中で暴れまわっている。そして、防壁が脈動するかのように定期的にブレては、デバイス本体が収縮していた。
 聖司のエニグマによるトレースでは、稼動が始まっているのだと結論付けられた。恐らく、枠を破壊するためのエネルギーを放出し、それを押さえ込む事で圧縮すると同時に、増幅させているのだ。既にかなりのエネルギーが溜まっているように見える。
(――あれが、発動したら……)
 全てが吹き飛び、消滅してしまう。
 エニグマがあれば存在し続けられると白虎達は言っていたが、それはエニグマを発動している状態に限ってだ。エニグマは発動させていない状態では、ただ少し丈夫な人間、という程度でしかない。ユニオン・デバイスの発動には耐え切れないだろう。
(……藍璃が――!)
 対処の方法を考える。
 停止させる事を考慮に入れられていないユニオン・デバイスの発動が始まってしまっている。攻撃をぶつければ、その時点で爆発が始まるに違いない。その瞬間のエネルギーですら、この空間を崩壊させる事は可能であろう。
 聖司の持つエニグマで、ユニオン・デバイス程の純度を持つエニグマを抑え付けられるだろうか。普通に考えて、まず無理だ。
(けれど……)
 今、この場で聖司があれを止められなければ、藍璃を筆頭に全ての生命体が死んでしまう。
 折角命を救った藍璃を見殺しにはできない。それをするくらいならば――
(……俺がここで止めてみせる)
 覚悟を決めた。
 そして、振り返る。藍璃の前に歩み出て、聖司は立ち上がれるまでに回復した彼女に微笑みかけた。
「……行くのね?」
 不安げな瞳を、藍璃は聖司に向けた。
 ――藍璃、俺は行くよ。
 頷き、聖司は藍璃に意志を伝える。
 ――あれを止めなければ、全てが消えてしまう。
「でも、そうしたら、あなたは……?」
 ――さぁな。俺がどうなるかは、判らない。
 首を左右に振る。結果など解り切っていた。ユニオン・デバイスによる膨大なまでのエネルギーを全身に浴びるであろう聖司はまず助からない。
「……私は、あなたが好きなのに、あなたいなくなるなんて……!」
 ――いなくなりはしないよ、いつだって。
 涙を溢れさせる藍璃の肩に、聖司は優しく手を置いた。
 ――いつだって、俺は藍璃と共にいる。
 藍璃の身体の中には、聖司が彼女を救うために埋め込んだエニグマがある。それは、紛れもなく聖司の一部だったものだ。それを持つのだから、藍璃は常に聖司と共にいるようなものだ。
 その想いが伝わったのだろう、藍璃が俯く。肩が振るえ、涙がコンクリートの道路に落ちた。
 聖司が行くのを止められないという事への無力さが、藍璃の中のエニグマから聖司へと伝わってくる。それに、聖司は胸の奥が熱くなった。
 ――じゃあな。
 一度だけ、軽く口付けをして、聖司は藍璃に背を向けた。
「待って! 行かないでよっ!」
(――!)
 聖司の長い髪を、藍璃が掴んでいた。その想いが痛いほど伝わってくるが、聖司はそれだけ自分が幸せだと感じた。
 後ろ髪を引かれた聖司は、右腕の刃を背中に回すと、それで髪を切断した。
「……ぁっ!」
 藍璃がそれに膝を着いた。
 ――藍璃……。
 身体を少しだけずらし、顔だけで振り返る。呼びかけた瞬間、藍璃が聖司を見上げた。
 ――ありがとう。
 声は出ない。それでも、聖司は口を動かし、意志を伝えた。喋れないという事をこんなにももどかしく感じたのは初めてだった。それでも、想いは伝わった。
 藍璃の目から涙が溢れる。それを見て、聖司は微笑むと歩き出した。
 ゆっくりとした歩調が、少しずつ早まって行く。駆け出し、走り、翼が光を放っては、身体が物理法則を超えて動き出す。転移を繰り返し、飛翔し、聖司はユニオン・デバイスの防壁の前に辿り着いた。
 意志を高め、聖司は右腕を後方へと引き、身構える。全身が朱色の光を放ち、陽炎のようにエネルギーが奔流となって聖司の身体から溢れ出す。
 思い切り突き出した腕を伝った本流がユニオン・デバイスの防壁を貫き、電撃のようなエネルギーを振り払って本体へと到達した。瞬間、莫大なまでのエネルギーが白い閃光となって溢れ出した。
 全身がいたるところからばらばらになって崩壊してしまいそうなエネルギーの圧力が聖司に降り掛かった。
(くぅっ――!)
 目を見開き、歯を食いしばる。
 聖司の周囲を陽炎のようなエネルギーが溢れ出し、ユニオン・デバイスが発するエネルギーを受け止める。じりじりと圧されつつあっても、聖司の視線に諦めはない。
 ユニオン・デバイスが放つエネルギーは起爆剤として注入された生命体達の意志だ。実際に受け止め、それを理解する。ならば、同じ意志を根源とするエニグマの力で抑え込む事も不可能ではないはずだ。聖司でも、抑え込めるかもしれない。
(守るんだ――藍璃をっ――!)
『とまれぇぇぇぇぇええええええええええええっ!』
 意志が叫ぶ。音のない叫びを上げ、聖司が身体をユニオン・デバイスへと突き動かした。
 朱色の翼が拡がる。ユニオン・デバイスの発する白いエネルギーを、翼が受け止め、包み込む。凄まじいまでの力に全身が引き裂かれそうな痛みを味わいながらも、それでも聖司は前へと進んでいた。
 翼はもはやユニオン・デバイスの周囲を包み込むほどまでに拡大し、ゆっくりと圧力を抑え込んで行く。聖司の身体から放たれるエネルギーが聖司の身に纏う鎧を拡張し、ユニオン・デバイスは大きな『朱雀』によって包み込まれて行った。
 エネルギーを内側に包み込んだ聖司はそのエネルギーを自らが放つエネルギーで打ち消して行く。
 ユニオン・デバイスの力は衰えず、絶えず聖司を吹き飛ばそうと圧力をかけていた。抑え込んではいても、そのままではいずれエネルギーが聖司を吹き飛ばして周囲に放たれてしまう。
 聖司は白い閃光を放つ球体に左腕を伸ばす。思い切り突き込んだ左腕に凄まじいまでの圧力がかかり、その構成物質が削り取られていくのが解った。
 それでも、全力を込めて右腕を更に突き込む。
『おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――っ!』
 叫び、藍璃を心に思い浮かべる。
 全身のエニグマが脈動し、爆発的な力が身体から湧き上がり、左腕が、右腕がユニオン・デバイスの本体にまで到達した。右腕のブレードがデバイス本体に突き刺さる。
『――!』
 その直後、放てるだけの全エネルギーをブレードを伝わせ、デバイス本体の内部に流し込んだ。
 瞬間、凄まじいまでのエネルギーがぶつかり合い、朱色の閃光と白い輝きが内側から外側から混ざり合う。凄まじいまでのエネルギーが流れ込み、至るところで暴れまわった。
 デバイスに込められた想いと、聖司の想いがぶつかり合い、混ざり合い、打ち消しあい、反発し合う。
 そして、聖司は光の中に飲み込まれた。

 その瞬間、街の上空にあったユニオン・デバイスは凄まじい閃光と衝撃だけを撒き散らし、空間を崩壊させる事なく消滅した。
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