第12章 「永劫不滅のトーチライト」


 ――約束を守るため? いいや、違うよ。君が好きだ。だから、助けるのさ。

「何……?」
 ウェインが愕然としていた。
 俺はただそれを見つめていた。
「いや、だから、メルダって誰かって言ったんだヨ」
 俺の意志を代弁するかの如く、キュウタロウがあっけらかんと言う。
「冗談だろ……! この都市の惨状を生み出した人物だぞ……!」
 ウェインの様子がおかしいと感じたのだろう。キュウタロウは周囲の部下に尋ねたが、返ってきた答えは同じだった。
「あれ、副団長。今回の作戦はクーデターを起こした都市ηの守備隊の鎮圧じゃなかったんですか?」
「そ、そんな……!」
 ウェインの焦った声に、俺達は困惑するしかなかった。
 彼が言うには、俺達はベレンをさらい、ブルートローゼと都市ηを対立させて双方の全てを破壊せんとしていたメルダ・メルギスという人物がいるという。しかも、その人物は市長であるというのだ。
「何が……どうなっているんダ……?」
「分からない……。だが、何かがおかしいのは確かだ」
 戸惑うウェインを、キュウタロウや部下達もまた戸惑った視線で見ていた。
 何だ。この記憶の齟齬は一体何なのだ。
 時間をかけて積み重ねられた思い違いなどではない。
 まさか、この状況で嘘をついているということはあるまい。
(そうだ、レイは……?)
 状況が掴めないなりに、悪化していることだけは何となく悟った俺は、ふと基地に居る仲間のことが気になった。
「レイ……お前は……どうなんだ?」
「何だこれは……」
 天才少年から返ってきたのは、質問に対する返事ではなかった。呟くような、囁くような、誰に聞かせるでもない、ただただ困惑した声が通信を介して耳に届いたのだ。
 どうした、と言おうとして口を開きかけた時だった。
「エギル! すぐにそこを離れろッ!」
 次の瞬間、鼓膜に突き刺さったのは叫びだった。
 普段の冷静な様子からは想像出来ない、大声だった。
「レーダーに異常な反応がある! 近くに『何か』がいるッ!」
「何? 『何か』って何だ!」
「分からない! だが、間違いなくいる!」
 俺は自分の額に嫌な汗が噴き出してきたのが分かった。
 レイが悲しい表情をしたのを見たことはあった。怒りも先程あらわにしていた。しかし、今まで彼が取り乱すような場面にはついぞ、出くわしたことはなかった。
 だから、危険な状況下に放り込まれたことだけは即座に認識出来た。
「この反応は……。実空間に虚数から情報が書き込まれているだと……! 普通なら、こんなことあり得ない! マズいぞ、絶対にマズい!」
 言葉に混じって、狂ったようにコンソールを叩く音が聞こえてきた。それは不安を増幅させるには十分過ぎる情報だった。
「キャアアアーッ!」
「うわあーっ!」
 突然、悲鳴が後方から響いた。ベレンのものが混じっていた。
 不安を振り払い、俺は負傷者を乗せていた車両のある隊列の中央へと走った。
「ベレン!」
 俺がそこに辿り着いた時、ベレンは車両から飛び出して尻もちをついていた。
 見れば、彼女の他にも車両から飛び出した負傷兵や、護衛の傭兵達がいた。
 だが、彼らの視線は皆一様に荷台の上に注がれている。ベレンも驚き、恐怖しながらも目をそらせない。
「……ッ!」
 俺の視線も釘づけになった。
 荷台の上には、負傷した守備隊員の青年がひとり立っていた。
 だが。
 彼の身体は上半身と下半身が真っ二つに裂けていた。不思議なのは裂けた身体は空中に浮かんだまま落下せず、血が一滴も出ていないことだった。
 そして、裂けた上半身と下半身の間には、まるで畳んでいた折り紙を広げるかのようにこの都市ηとは違う景色が広がっていた。少しずつだが、徐々に広がっている。
「い、嫌だ! 俺はまだ……!」
 隊員は意識がしっかりとあるようだった。怯えきった瞳と震えた声が、周囲の者に伝播する。
「死にたくないぃ! いぃ……嫌だぁーっ!」
 彼の断末魔を待っていたかように、身体の間にあった空間が一気に展開した。広がった空間は彼の全身を覆ってしまった。
 広がった向こう側の空間には、無機質な壁面があった。その壁面の表面には光のラインが走り、サイバー空間とでも言うべき領域が存在しているようだった。
 この時、俺はベレンを抱えて即座にその場を離れるべきだった。
 なぜならば。
 【それ】が。
 この場に。
 顕現してしまったからだ。
「うッ――!」
 【それ】を目にした時、俺の口から呻きが漏れた。
 一瞬だが、強い恐怖感に駆られたのだ。まるで心臓を後ろからわしづかみにされたような、恐ろしい感覚だった。本能的に危険なものに遭遇してしまったと分かる。
 そして、覚悟を固める間もなく俺の中に、記憶が流れ込んできた。
 いや、違う。外部から流れ込んでくるというのは間違いだ。元々、パズルは完成しているのに、誰かにいくつかのピースを空白に見えるように塗りつぶされていたような感覚だった。ペンキがはがれ、俺は本来の記憶を取り戻したのだ。
 都市ηに住む者ならば、誰もが知っているハズの名前。この事件の元凶にして、俺達が倒した存在。
 説得しようがない程に、悪意に染まっていた人間。救いようが無い程に、絶望してしまっていた女性。
 メルダ・メルギス市長。忘れたくても簡単には忘れられるハズがない名前。
 それをこんなにあっさり忘却していたのは、俺が目にした【それ】のせいなのか。
 ベレンも瞠目したまま、両肩を抱いて震えていた。
 周囲の者も同様だったらしく、後ずさりをした者もいた。
「何だ……コイツは……!」
 眼前には、展開した空間を介して現れた何かが見えた。
 外見は、巨大な眼球のようだった。だが、生物的ではない。左右対称のそのシルエットは機械的で、映写機で投影された映像のように平面的だった。その、立体感の無い目玉がひとつ、空中で静止しているのである。
 やがて、展開していた空間はその目の背後でパタパタと閉じていき、元の景色が戻った。
 だが、守備隊員の青年はそこから完全に消失しており、戻ることはなかった。
 その場の全員が茫然自失としていた。何が起こったのか、理解出来ている人物はこの場に一人としていなかった。
 分かるのは、厳然たる事実のみ。守備隊員がひとり、その場から消えたという事実のみだ。
 だから、次の行動を起こしたのは【それ】だった。
 後になって思えば、愚行としか言いようがなかった。
 なぜなら、俺達はその正体不明の目玉に先手を取られたばかりか、次なる一手まで明け渡してしまったからだ。
《実空間への実体化完了/ 実体化地点における生体反応の消失を確認/ 周辺の生体反応81》
 機械音声が【それ】から発せられた。一切の感情を感じない無機質なアナウンスだった。
《計画を続行する》
 次の瞬間、閃光が走った。
「……ぐふッ!」
 目玉から光が発射されていた。その光が周辺にいた傭兵の一人を貫いた。
 胸を穿たれていた。そこだけが削り取られたかのように欠損した。
 直後、欠損した円形の穴から鮮血が噴き出した。血を吐きながら仰向けに倒れて行く。
 だが、倒れて行く彼になおも数発の光が浴びせられる。
 彼が倒れた時、地面に着くべき背中はもうなかった。無残な肉塊と化し、赤が周囲にぶちまけられた。
 少し間があって、その赤は粒子に分解されて消えて行く。しまいには、人一人が死んだ痕跡全てが跡形も無く消え失せてしまったのだ。
 あっという間の出来事だった。
「やめろぉぉぉーッ!」
 背後から叫びが響き、まもなくして火炎弾が【それ】に向かって飛んで行った。
《防御機構〈ガードシークエンス〉作動》
 火炎弾が着弾し爆発を起こす。しかし、【それ】にダメージは与えられなかった。目玉の眼前に防壁が発生していたのだ。まるで薄いアクリル板のようだった。
「貴様、一体何者だ!」
 俺の横に駆け寄ってきたのはウェインだった。銃剣型のアブソーバーを構え、戦闘態勢に入っている。今の攻撃も彼のものか。この状況でいち早く行動を起こしてくれたのだ。
《設定に基づき、知性体の質疑に応答する》
 目玉がくるりとこちらを向いた。
 ウェインの怒号に対しても、あらかじめ用意していたテキストを読み上げるかのような反応だった。
 だが、意外だった。いきなり攻撃してきたにも関わらず、こちらの言葉には対応したのだから。
《総称〈ズィード〉/ 当該個体名〈レギオン〉/ 作者によって構築された設定およびそれを実行するためのシステム――》
「そんなことはどうでもいい! なぜ殺した! 何が目的だ!」
 自己紹介らしからぬ説明を遮り、ウェインが叫ぶ。
 会話が成立するのなら、対話によって止めることが出来るのではないか、と俺は思いかけていた。
 だが、そんな甘い憶測は次の返答に完膚なきまでに打ち砕かれた。
《我らの行動目的は惑星生物〈アイスター〉に存在する全知的生命体の抹殺》
「バカなッ! なぜッ!」
《それを判断する権限は当該個体には与えられていない》
「貴様に自分の意志は無いのかッ!」
《ない》
 決定的だった。絶望的に、決定的だった。
 【それ】の名前。今、『ズィード』と言ったか。『レギオン』とも。
 ヤツらは宣言したのだ。このアイスターに生きる全ての知的生命体を根絶やしにするということを。
 メルダ市長がしていた手伝いというのはコレの事だったのだ。本気で世界を憎み全てを破壊したかったのか、自身に突きつけられた死から逃れたくてそうしていたのか、今となってはもう確かめようがないが。
 ただ、ひとつはっきり分かることがある。
「「ふ、っざけるなァァァーッ!」」
 俺とウェインはほぼ同時に攻撃を放っていた。
 ヤツの暴挙をこれ以上許してはならない。
 連中が『作者』、つまり神によって創られたことは分かった。それはいい。
 だが、ヤツらの正体は『天使』などという高尚な存在ではなかった。単なる殺戮マシーンだったのだ。自らの意志を持たず、ただ与えられた命令を、生命の抹殺を行う。理由の無い殺意が、この惑星に生きる者達全てに向けられている。
 あまりにも理不尽。怒るなと言う方が無理だ。
 しかし、俺達の怒りに反して、放った火炎はヤツの防御を破ることが出来なかった。再び防御が出現し、内側には何の損害も与えられない。かすかにノイズが入ったように見えたが、まだ威力が足りないようだ。
《排他的欲求の増大と判断/ 質疑応答を中断/ 戦闘モードに移行する》
 間髪入れず、光のラインが放たれた。回避出来ずに、『遮断防壁』が展開する。光は遮られ、俺達にダメージは無い。
 しかしながら、視線がそのまま射線になっているのは思いのほか厄介だ。しかも、ヤツの攻撃には予備動作が全く無い。『見られる』が『撃たれる』に直結してしまうのだ。
 回避が困難ならば防御が消耗する前に倒してしまうのが理想的だ。
「これならどうだ!」
 一発で破れないならば、複数発を撃ち込むのみ。
 六属性全てを同時に放ち、面の攻撃を行った。シングが俺に対して使った戦法だ。
 流石に、この一斉掃射には耐えきれなかったらしい。六つの力が防壁を破り、眼球を貫通した。
 『レギオン』を名乗る個体は地面に崩れ落ちた。やがて自分が殺した者と同じように、粒子へと分解して消えていった。
 これでようやく、一息つける。
「……思い出したよ。メルダ市長のこと」
 隣で胸をなでおろしていたウェインに話しかける。
 キュウタロウやベレン、レイを含む他の者にも聞いてみると、俺同様メルダの事を忘れていたそうだ。そして、あの目玉を目にした瞬間、本来の記憶が戻ったのだそうだ。
 俺達がメルダのことを忘れていたのは、あの『ズィード』とかいう連中の仕業で間違いあるまい。
 思えば、俺はメルダが市庁舎から身を投げたところは見ていた。しかし、死体までは見ていない。俺は市庁舎を去る直前までは間違いなく彼女の事を覚えていた。あの後で何か細工があった可能性はある。
 ここまで考えて俺の脳裏に恐ろしい推測が浮かんできた。さっきヤツが現れた時、隊員の身体にゲートを開けていた。メルダも同じようにヤツの存在を内包していたのだとしたら。落下し、死亡したメルダの存在をヤツが消してしまったとしたら。
 ヤツが消した瞬間を見ていた時は、覚えている。
 ならば、ヤツが消した瞬間を見ていない時は、忘れるということか?
 ウェインだけが正常な記憶を保っていた理由は不明だが、答えに近づいている気はした。
「エギル、推理は後にしよう。とりあえず、さっさとこの都市を出た方がいい」
 確かにそうだ。先程のように襲撃されては命がいくつあっても足りない。
 しかし、時すでに遅し。
「うぅ、うわぁーっ!」
「わあ……ああっ!」
「ひいい!」
 行軍を再開しようとした時、無数の悲鳴がこだました。あの折り紙を広げるかのようなゲートが、生き残っていた守備隊員のうち、数十人から一斉に展開したのだ。
 潜んでいたのは、先程の一体だけではなかった。まさか、生存者を救助したことがアダになるとは。
「マズい!」
 あんなにいっぺんに出て来られたら、とても対応しきれない。地下施設から『レッドソウル』に供給出来るエレメントはもう残り二割を切っていた。『構成阻害』や『時間停滞』を使えるだけのエネルギーはもう残っていないのだ。一回の攻撃で一体倒すのが限界だ。
 どうする。
 とにかく、各個撃波するしかない。俺は即座にベレンの前に立ちはだかった。
《実空間への実体化完了/ 実体化地点における生体反応の消失を確認/ 周辺の生体反応68》
 あの目玉が一斉に同じタイミングで現れた。
《計画を続行する》
 眼球から光が走る。
 俺は新たな犠牲者が出るのを覚悟した。
 その時だった。
 俺達の目の前に無数の光る剣が出現した。照射された光を遮ると、その剣は意志を持つかのように、次々と『ズィード』へと突き刺さった。
 瞬きする暇など無い、一瞬の出来事だった。
「……ゥゥゥウオオオオオォォォーッ!」
 そして、咆哮がこだました。声は、上の方から届いた。聞き覚えがある。俺は、あの咆哮を知っている。
 聞こえた方角を見る。側面のビルの隙間からだ。
 直後、ビルの上層部を突き破り、声の主が現れた。
 光の竜が巨大な眼球に剣を突き立てたまま落下してきたのだ。
「存在してはならぬ者共よ! 塵に還れッ!」
 猛烈な怒気のこもった声と共に剣は深く突き入れられ、地面に落下した衝撃も加わって巨大な目玉は砕け散った。粒子と化して消滅した後には、その光る竜人のシルエットだけがたたずんでいた。
「……シングか?」
 俺はその背中に恐る恐る声をかけた。
「遅くなってすまない」
 先程の怒りに満ちた声とはまるで違う、静かな声だった。
 やはり、彼はシングだ。調停者シング・バランサイト。姿は違えど、対話の雰囲気で分かる。
「市長が元凶と分かった時、私はすぐに都市ηへ戻るべきだった。君達は、ヤツらの存在を知ってしまったのだな……」
「……ああ」
 俺が肯定すると、彼は大きく溜め息をつき、元の竜人族の姿へと戻った。
「ならば、もはや隠す意味は無い。全てを話そう」
 振り向いた彼の表情には悲しげな笑みが浮かんでいた。

 シングは語ってくれた。この世界が生まれた理由を。『ズィード』の存在理由を。そして、竜人族だけが知る真実を。
 この世界には神がいる。創造者という意味での神だ。そして、神自身は神と呼ばれることを嫌っている。だから、彼は自身のことを『作者』と言っているらし い。彼はこの世界に存続する価値があるかどうかを計るために、『ズィード』を生み出した。ここまではいい。今までで知り得た情報が主だ。
 問題なのはココからだ。
『ズィード』によって殺された者は、この世界から存在を抹消されてしまう。単に肉体が消えるというだけではない。この世界に生きる全ての知的生命体の記憶から、その人物に関する事柄の一切が消えてしまうというのだ。
「この世界の総人口は今、何人いると思う?」
「……おおよそ七十億のハズだ」
 唐突なシングの問いに、俺は現在知っている知識から返答した。だが、正解は途方も無いものだった。
「この惑星が始まって以来、総人口のピークは百億だった。だが、この世界に生きる者達の多くは、その減った三十億の事を全く覚えていないのだ……」
 覚えていない。殺された者の事を認識出来なくなる。そして、『ズィード』の存在を知った時、初めて正しい記憶が戻る。
 しかし、ウェインは知る前から正常な記憶を保ち続けていた。これはどう説明する。
「……稀にだが、生まれつきヤツらの記憶消去による影響を受けない者がいる。『作者』が意図的にそういう能力を与えた者達だ。『作者』はこの世界を物語として見た際の『主人公』と呼んでいた」
 竜人族以外にも可能性を与えるための措置とも、単なる気まぐれとも言えるという話だった。
 だったらなおのこと、皆に真実を教え一丸となって対策を考えた方が良かったのではないか。
 それを告げると、シングは声を一層沈ませ、悲痛な表情を見せた。
「……それが出来れば我々もこんな苦労はせずに済んだ」
 なんと、『ズィード』は自分達の存在を知った者を優先的に抹殺しようとするという。たとえ遭遇時に退けたとしても、定期的に次の刺客が送り込まれる。一度知ったが最後、死ぬまで連中につけ狙われるのだ。
 これでは言えるわけが無い。リコが語った言い伝えもそういう意図があって伝承されてきたのだろう。不用意にヤツらの存在を教えることは死刑宣告のような ものなのだ。元から優れた戦闘力を持つ竜人族はともかく、エレメント能力を全く持たない者が大多数を占める人間族は知ったところで手も足も出ない。一方的 な虐殺となることは明らかだ。そして、その事実に気付かぬまま数は減少していき、気付いた時には手遅れになる。そんな未来が容易に予想出来た。
「……てぇ事は、アンタらは今までずっと戦い続けてきたのかヨ?」
 横で聞いていたキュウタロウも驚きを隠せないようだった。
「そうだ……。今回、私がこの都市に派遣されたのは、人口が不自然に減少している原因を突き止めるためだった。最初から連中が絡んでいると踏んではいたが、まさか市長がそれに加担しているとは思いもよらなかった……」
 彼が言うには、竜人族には『ズィード』の存在を感知する能力があるそうだ。だが、今回はメルダ市長が連中を、守備隊員ら人間の中に匿っていたせいで、顕現するその瞬間まで感知出来なかったのだ。
「では、竜人族はいつからその事実を知っていたのですか?」
 ベレンも数々の真実を前に緊張しながらも尋ねた。
 その返答もこれまた驚くべきモノだった。
「我ら竜人族は、生まれた時から『ズィード』の存在を知っている」
 竜人族はそれを『血の記憶』と呼んでいるらしい。
 太古の昔、五つの種族が生まれたばかりの頃、『作者』がこの世界を計るために『ズィード』を生み出したこと。もし、この世界に価値があり、存続させたいという意志を持つのなら【最強】たる力を与えた竜人族が戦え、という啓示を受けたこと。
 その啓示を遺伝子レベルで刻み込まれているというのだ。
 シングはとつとつと語る。
 赤子は生まれて来る時、この世界に生まれてきた歓喜で泣くのだという。しかし、竜人族はこの世界に大いなる災禍が牙を剥いていることを知っている。だから、竜人族の赤子は生まれ落ちた時、この世を憂いて泣くのだ、と。
 今まで、竜人族とは神から寵愛を受けた種族だと思っていた。だが、今の話を聞くと、授けられた【最強】は呪いであるようにも思えてきた。最も強靭な肉体を持っていたが為に、戦いの運命を背負わされたのだ。
「それが、我ら竜人族の宿命なのだ……」
「そんな……あんまりじゃないか! ヤツらを殺し続けるのがアンタらの宿命だって言うのか……!」
 ウェインが憤慨してそう言ったのは、過酷な役目を与えた『作者』に対して怒りを覚えたからなのだろう。だが、これを聞いたシングは突然、目の色を変えた。
「……今、『殺す』と言ったのか?」
 地鳴りのような声だった。彼の表情には明らかに怒りが広がっていた。
「それは生きている者に対して使う言葉だッ! ヤツらは生命を持たない! 高度な知性があるにも関わらず、感情を持たない! 数え切れぬほどの殺戮の理由 も『意味が無いから』の一点張りだ! 殺した罪悪感すら感じないのだぞ! 心を持たないという点では悪人や狂人にすら劣る者共だ! 私は、ヤツらがそうで あることに対して怒りを覚える! ヤツらが自らをそうさせる仕組みを持っていることを憎悪する! 『ズィード』を生命と同列になど扱うな!」
 凄まじいまでの剣幕に押され、全員静まりかえってしまった。
 宿命というだけで、ここまで苛烈な感情を秘めて戦い続けるのは難しい気がする。きっと、これは『血の記憶』によって刷り込まれた生命を脅かすものに対する、根源的な恐怖があるせいだろう。
 固まっている周囲を見て、大声を出してしまったことに気付いたらしい、シングはすまない、と小声で謝罪した。
「我々はいいのだ。少なくとも私はこの宿命を受け入れている。『作者』自身もきっと生きることに惑っているのだ。生命を無意味と断じるヤツらを差し向けた のも、我々にそれを否定して欲しいからだ。そもそも、彼が迷い、悩まなければこの世界は生まれなかった。我々の場合は戦うことが、生きていく意味を証明す るための手段であったというだけの話だ。だから、いいのだよ」
「そうか。だからあの時、こちらの防御を見て貴方は激怒したのだな……」
 レイが通信音声を周囲に解放して語りかけた。
 俺はシングと対峙した時、彼が『遮断防壁』に対して仇を見るような眼差しを向けていたことを思い出した。
 似ているのだ。『遮断防壁』と連中の使った《防御機構〈ガードシークエンス〉》とやらは。
 ということは、シメオンの設計思想とレイの開発技術は、神の領域に片足を突っ込んでいると言ってもいいような気がした。
「……あの武器を造ったのは、君か?」
「開発の指揮を執ったのは僕だが、手足となって動いてくれた仲間が大勢いる」
「……そうか、私はエギル一人を相手にしていたわけではなかったのだな。たった一人を助けるために、何人もの意志が支えていたのか。あの時、私ひとりで勝てるハズがなかった……」
 そう言いつつも、優しい笑みをこぼしたシングにレイは疑問を呈した。
「……ではなぜ、先程の力を使わなかった? 僕の分析では、さっきでかいのを仕留めた際、全身がエレメントと同化し、高熱と光を纏っていた。あんな技を出されたら、こちらとて為す術が無かった」
 言われてみれば、仮に『時間停滞』を使っても、あの状態のシングに攻撃すれば『ドラゴンキラー』の刀身は溶かされてしまうだろう。
 シングは、そこまで分かるのかと感心しつつも、カラクリを教えてくれた。
「あの力は竜人族に伝わる秘技で『カオスモード』と呼ばれている。かつて、この惑星を半分破壊した伝説の竜アルゴサクスが編み出した力だ。エレメントが使 用者の感情に強い影響を受けることは君達も知っているだろう? 『カオスモード』は憎しみの感情を起点として発動する。……愛する者を救うために挑んでき た君達のことは、どうしても憎む気にはなれなかったのだ」
 そうだったのか。敵として対峙したとはいえ、俺もシングも心の根っこでは想いは同じだったのだ。あの時、どっちも救うという可能性を最後まで捨てなくて本当に良かった。
「私の口から語れる真実は以上だ。そこで、だ。改めて聞こう。全てを知って、なお我々と共に戦い続ける覚悟はあるか?」
 シングの最後の問いかけに、俺はふっ、と笑った。
 もう、答えは決まっている。
「……シング、俺とおやっさんの店で話した時のことを覚えているか?」
「勿論だ」
「なら、貴方はもう俺の答えを知っているハズだ」
 知って初めて、取るべき道を見出すことが出来る。あの時、彼にぶつけた文言が鮮明に浮かび上がって来る。
 今、俺は見出したのだ。迷いなどあるハズがない。
「シング、貴方が正しかった。俺は、立ち向かう。この惑星で生きる者として、共に戦わせてくれ!」
 俺が手を差し出すと、シングがその手をがっちりと握った。
「ありがとう。エギル、君も決して間違ってなどいなかった!」
 力強い握手が交わされた。互いの目に映る表情はすがすがしいものだった。
 万感の思いだった。壁を越えたその先で、ようやく肩を並べて戦うことが出来るのだ。
「君達も、同意してくれるか?」
 シングが今度は周囲に問うと、ウェインが苦笑しつつ答えた。
「ここまで聞かされて逃げたら、俺は『主人公』の肩書を剥奪されちまうよ」
 キュウタロウも、以前と同じ軽い態度で言った。
「ハハッ、実質コレ一択みたいなモンじゃねーかヨ。バラバラに逃げたって、死ぬまで追いまわされるんだろォ? だったら、徒党を組んで戦った方がまだ長生き出来るってもんだゼ! なあ、お前ラ?」
 彼の言葉に、生き残った部下達も口々に声を上げた。
「そうだな、副団長の言う通りだ」
「どの道、俺達は戦うことしか出来ねえ」
「ふん、相手が変わるだけさね。やることは変わんないよ」
 俺は、静かにたたずむベレンに視線を向ける。
「私はエギルについて行きます」
 全員の答えを受け止めたシングは不意に俺達に背中を向けた。
「感謝する。だが、そのためにはまず、君達がココから無事生還しなければな……!」
 目を細めた彼の視線の先には先程崩したビルがあった。
 直後、ゆっくりとビルの陰から巨大な目玉が姿を現した。しかも、一体ではない。十数体もの敵がこちらへ向かって来たのである。
「ココは私に任せて先に行け!」
 シングは剣を生み出し、両手に握りしめると構えを取った。続いて無数の剣が宙に浮かび上がっていく。
「しかしッ!」
「大丈夫だ! 連中相手なら私は気兼ねすることなく全力で戦える! 早く行くんだ!」
 彼一人だけを残していかねばならぬ状況に後ろ髪が引かれたが、今はその言葉を信じよう。
「行軍を再会ダ! 動けるヤツは怪我人に手を貸せヨ! 全員急げッ!」
 キュウタロウが即座に指示を飛ばす。
 無事だった車両に負傷者が誘導され、まともに動ける者が運転席へと飛び込んだ。
「……分かった! シング、また会おう、必ず!」
 そう背中に叫ぶと、肯定するかの如く彼の全身が輝いた。再び『カオスモード』へと変貌した彼の雄叫びを後ろに、俺はベレンを抱えて都市ηの大地を走り出した。

 俺達はシングにしんがりを任せ、都市のゲートを目指す。
 何としてもこの地獄から生還し、真実と戦う態勢を整えなければならない。
 都市部を車両と並んで爆走していると、ようやく外縁部まで来たようだ。露出した地面が増えてきたのがその証拠だ。
 あと、少しだ。
「エギル、レーダーにいくつか反応がある! ヤツらが顕現するぞ!」
 俺は思わず奥歯を噛みしめた。流石にそう都合良くはいかないか。
 まったく、メルダ市長は一体どれだけの『ズィード』をこの都市内に呼び込んだのか。
「どこから来る? 数はいくつだ?」
「後方からだ! 十二体……とても撒ける数じゃない!」
 ということは誰かが残って食い止めなければなるまい。全員で逃げたとしても、追いつかれたら狙い撃ちにされてしまう。間違いなくまた多数の犠牲者が出る。
 キュウタロウを始めとした傭兵団は守備隊との衝突で消耗が大きい。余力のある者は負傷者をカバーせねばならず、迎撃出来る者はほとんどいない。ウェインもかなり疲弊していたし、戦闘用のアブソーバーでも単発ではヤツらの防御を破れない。
 今、まともに戦えるのは俺しかいない。
「エギル……やめてくれ」
 レイが俺の思考を先回りして言った。
「こんな時だからこそ言わせてもらうが、正直なところ、僕は君以外が何人死のうがどうでもいいんだ。僕がその『レッドソウル』を開発したのは君を生かすためだ。君は唯一無二の親友。頼むから、逃げてくれ」
 酷く怯えた声だった。
 今日は普段の彼らしくない一面が多く見れたな、と喜ばしく思う反面、ここはその頼みを聞くわけにはいかない。
「……レイ、俺を親友だと言ってくれるなら、俺がどういう人間なのかも、分かってるハズだぜ?」
「……不確定要素が多過ぎる。僕でも完璧にサポート出来る自信は無い。ここから先はかなり分の悪い賭けになるぞ」
「……分の悪い賭けか。勝算が無いわけじゃあないんだな? 君のことだから、まだ切れるカードがあるんだろ?」
 通信音声を介して、彼の大きな溜め息が聞こえてきた。
「……面倒をかけるな。でも、これが俺なんだ」
 俺は車両の後方にいたウェインに接近すると、ベレンを預けた。
「エギル……!」
 ベレンが表情を強張らせる。
「ウェイン、頼む」
「分かった! 先に行く!」
 流石は『主人公』。即座に俺の意志を汲んでくれた。彼女を力強く抱きかかえると、移動速度を上げた。
「エギル! どうか死なないで! お願い!」
 ベレンの叫びを受け止め、俺は足を止めた。
 当然だ。君を太陽の下へ導くと誓った。こんなところでやられるものか。
 振り向くと、予測通り後方から目玉が音も無く接近して来るのが見えた。
「来たな……! 絶対に通さんぞ……!」
 俺はすぐに全属性を同時発射出来るように身構えた。どうしても攻撃を浴びつつ戦う形になるだろう。もう各個撃破していくしかない。後は全て撃破出来るまで『遮断防壁』が持ちこたえられるかだ。
 そう自らを奮い立たせた時だった。
「……あればあったで結局使うハメになるんだな。こんなことなら切り札なんて始めから用意しておくんじゃなかったよ。これだけは使いたくなかった」
 レイが苛立ったように呟いた。
「仕方ない、奥の手を出すぞ……!」
 やはりあったのか。どんな手を温存していたのか期待した。
 それが何を意味するのかを知りもせずに。
「……サード・フェイズ、スタンバイ!」
 レイの宣言を受けて、『レッドソウル』は隠していた最後の牙を見せた。セカンド・フェイズを上回る熱量がアブソーバーから放たれ始めた。冷却機関はフル稼働しているようだったが、それでもどんどん温度は上昇していき、汗がにじみ出てきた。
「サード・フェイズだと……! こんな機能、私は知らない! いつの間にこんなモノを……!」
 シメオンが驚愕の声を上げた。
 俺が望みさえすればアブソーバーが網膜に投影してくれる情報の中には、現在のコンディションも含まれている。だから、出力の数値が急速に回復していくという異常にはすぐに気付いた。
 いや、回復どころではない。本来の限界値である100パーセントを超えて上昇していく。
「エギル、その力はいつまでもつか分からない! しかも、プログラムとの相性が悪いせいで『構成阻害』と『時間停滞』は使えない! 速攻で片づけてくれ!」
 レイの焦ったような声に俺は大きな違和感を覚えた。彼が、いつまでもつかも分からない不確定な策を切り札にしたというのがひっかかったのだ。
 しかし、今はともかくも彼の言う通り、一刻も早く敵を倒すべきだ。
「承知した! すぐ終わらせるッ!」
 用意していた攻撃を発生させる。出力が限界値を超えていたからだろうか。六つのエレメントが集束し、一直線に強力なエネルギー波が放射された。威力は本物には及ばないだろうが、まるでシングが放ったテラバーストのような一閃だった。
 接近してきたズィードのうち、一体は防壁を張った。だが、その圧倒的なパワーはそんな守りなどたやすく貫通し、眼球は光の中に消滅した。
 後続の五体が一斉に攻撃を放ってきた。『遮断防壁』が展開する。こちらの防御力もケタ違いに上がっており、厚みの増した防壁は敵の光線を即座にうち消してしまった。
 固まっていたところに光の束をぶち込む。
 あっという間に、半数の追手を倒した。一体倒すのがやっとだった先程とはまるで違う。これなら、いける。
 希望が生まれたと思った時、レイとは違う通信音声が耳に届いた。
「……頑張ってッ、エギル君ッ!」
「……出来るだけっ、急いでくださいっ!」
 ミロットさんとリコの声だった。俺を鼓舞してくれていた。だが、どこか苦しそうな声だった。
 明らかに変だと思い、ある情報を検索し表示させた。
「……レイ、これはどういうことだ?」
「……だから使いたくなかったんだよ、サード・フェイズは」
 俺もレイも苦々しい声を上げていた。
 表示したのは、『レッドソウル』にエレメントパワーを送っている供給元の情報だ。本来なら、レイのいる地下施設で稼働しているエネルギー炉の名称が表示されるハズだ。
 しかし、今現在表示されている情報は以下のものだったのだ。

 【エレメントパワー供給元】
 ミロット・ルージェス
 リコ・アロー

 サード・フェイズとは、能力を持つ者からエレメントパワーを吸い上げる機能だったのだ。
 あらかじめクレストなどに蓄積しておいたものではなく、生体から直接エネルギーを取り出すのだ。だから、常に一定のパワーを得られる供給システムとは違い、限界を超えた出力を絞り出すことが出来る。
 しかしながら、それは燃料代わりにされる彼女らの負担を一切考慮しないからこそ可能になる危険な代物だ。下手をすれば生命を削る恐れすらある。
「……すまない。エギル、僕は君のことを友人として信頼している。だが、司令塔である以上、戦力としては完全に信用するわけにはいかなかったんだ。君が僕の指示を聞かなかった場合も考慮する必要があったから……。無論、彼女らには合意を得ている……」
 敵の光線が飛来する中、俺は黙って彼の言葉を聞いていた。
 思い返せば、『ドラゴンキラー』開発のメドが立った時、彼がミロットさんを呼んでくれと言っていたのは、この機能に関して話をするためだったのだろう。
「……いや、言い訳はすまい。全ては僕が独断で行ったことだ。ここに戻ったら、僕を好きなだけ殴れ」
 もし、彼が自身の保身や野心を満たすためだけにこの機能を開発したのなら、俺は考え得る限りの罵詈雑言をぶつけていただろう。
 出来るハズがない。彼とて、苦渋の決断を下したのだ。
 何かもが俺のためだ。今までだってそうだった。
 黙っていたのは、知れば間違いなく俺が彼女らを止めるからだ。
「……そのためには、この場を切り抜けないとな。死んでしまったら文句も言えないッ!」
 敵の攻撃が途切れた瞬間を見計らい、反撃を撃ち込む。連射した閃光が、三体の影を捉え崩壊させた。
 残りは三体。接近を待つ。しかし、迎撃しようとした矢先、そいつらは突然スピードを上げた。
 俺を無視して後方の仲間を狙うつもりのようだ。
「行かせるかッ!」
 サード・フェイズになったことで、身体能力強化の度合いも著しく向上していた。
 横を素通りしようとしていた一体を穿つ。続けて、逃した二体目を後ろから撃墜する。
 最後の一体はちょこまかと動き回り、なかなか射線に捉えられない。こういう動きをする相手の対応策は既に知っている。
「行かせんと言ったッ!」
 闇のエレメントを増幅させ、重力を発生させる。自由を奪い、地面に叩き落とした。接近し、気味の悪い目玉を踏み砕いてやった。
「……これで全部か」
「いや、まだだ……!」
 ようやく全てが終わると思ったのに、レイの忌々しげな言葉が更なる脅威を告げる。
「正面だ。反応はひとつだけだが……でかい。恐らくボスだ」
 反応が大きいという彼の言葉に従えば巨体かも知れないと思い、周囲を見回したが敵影は無い。
「全く……出来の悪いシミュレーションゲームかよ。勝利条件を満たした矢先の増援は萎えるぞ……」
 そう毒づいて目を凝らす。
 よく見れば、先程敵が来た方角から、何か小さな物が接近して来る。
 何だろう。少し大き目の石ころくらいのサイズしかない。
 それが何か分かったのはかなり近くまで接近されてからだった。
「あれは……!」
 ひしゃげて割れた赤い縁の眼鏡だった。メルダ市長がかけていたものだ。
「やはり、市長も連中にやられたのか……!」
 このボスとやらは、落下した彼女を葬り、皆の記憶からも消失させた。
 そして、潜んでいた彼女の肉体を失ったため、身に着けていた眼鏡を顕現する座標に選んだということか。
 奥歯を噛んだ俺の眼前で、その眼鏡を中心にゲートが展開していく。
 開いたゲートは先程とは比較にならないほど巨大なものだった。そこから、五メートルはあろうかという巨躯が顕現したのだ。
 巨躯と言っても、人型ではない。【それ】の姿はバカでかい手だった。ホログラフのような現実感の無い手だけが、眼前に現れたのだ。
《実空間への実体化完了/ 周辺の生体反応1/ データベースとの照合を開始》
 掌の中央についた目玉が、こちらを視界に捉えたようだ。
 機械的なアナウンスは先程と同様だったが、こいつは何かが違う。目玉だけしかなかったヤツらとは明らかに別格だ。
《データベースよりエギル・トーチライトと一致/ リスクレーティングB》
 どうやら、一度連中に遭遇するとデータベースとやらに登録されてしまうようだ。しかも、ご丁寧に危険度別に管理しているらしい。
「……名乗る必要もなさそうだな。聞きたいことは山ほどあるが、ひとつだけ答えろ。お前がここにいる『ズィード』のリーダーか?」
《当該個体〈グラスパー〉は都市η制圧に際して編成された部隊の統率を行う個体/ その質問は肯定出来ると考える》
「それだけ分かれば十分だ。お前を……破壊する……!」
 危うく、殺すと言ってしまうところだった。
 〈グラスパー〉、掴む者か。ふざけた名前だ。生命を握り潰すだけのその手に、もう何も掴ませない。
 コイツさえ始末すれば、この都市での騒動は収束に向かう。何としてもココで倒してしまわねばならない。
 今、俺の後ろにいる仲間達を護るために。
 そして、メルダのように追い詰められ、敵に加担せねばならない状況に陥る者を増やさぬために。
 怒りを内に秘め、俺は身構える。
《質疑応答を終了/ 計画を続行する》
 五本の指の先端から光弾が発射された。
 図体がでかくなったせいか、小型のものよりも動きが鈍い。若干だが、発射前に指先をこちらに向ける予備動作がある。
 かわせる。
 合間をぬって回避し、反撃を叩き込む。
 しかし、やはりボスクラス。守りは堅牢だった。方法自体は目玉の前に防壁が発生するという、今までと変わらないものだったが、防御力は大幅に増していた。サード・フェイスとなり、限界を超えた出力を得た攻撃を以ってしても貫けなかった。
 その上、守りを維持したまま、指先から攻撃を繰り出して来る。目玉だけの個体は攻撃と防御を同時に行えないようだったが、コイツは違う。回避に転じるも、攻撃が止むタイミングを待つことが出来ないので、非常にやりずらい。
「エギルさんっ! 反撃して、くださいっ!」
「多少喰らっても構わないわッ! 私達が守るからッ!」
 リコとミロットさんが促す。
 彼女らとて、連戦となり負担はかなり大きいハズだ。決着を急がねばならない。
「くそッ!」
 俺は足を止め、最大出力のエネルギーを撃ち出す。更にそれをそのまま、敵の防御面に放射し続けたのだ。
 当然、五本の指から集中砲火を浴びる形になる。何発もの光弾が叩きつけられ、『遮断防壁』がその都度遮る。
「うっ……! もう、私っ――」
 リコの声が途切れる。直後、ドサリ、という音が聞こえた。倒れたらしい。
「リコ……!」
「意識を失っただけよッ! 大丈夫だから、君は戦いに集中しなさいッ!」
 ミロットさんが一喝をくれた。リコが倒れたなら、彼女の負担は倍になっているハズだ。
 六機のアブソーバーから煙が上がり始めた。『レッドソウル』も悲鳴を上げている。
(早く……! 早く破れてくれ……!)
 気持ちだけがはやる。その時、ようやく敵の防御面にノイズが発生し始めた。
 あと、もう少しだ。
 エネルギーの放射を維持したまま、炎弾や電撃を生み出し、片っ端からぶつけまくる。
《防御機構〈ガードシークエンス〉出力低下》
 警告ガイダンスが行われた直後、ついに防壁はガラスを割ったように砕け散り、消失した。
「あと一発ッ!」
 俺は最後の一撃を撃とうとした。
 攻撃が発生しない。
「かは……ッ」
 ミロットさんのか細い声が聞こえ、倒れる音が鼓膜に響いた。
「エギルゥーッ! 逃げ――!」
 続いて聞こえたレイの叫びが途中でブツリ、と途切れた。
 まずい。まずい。まずい。絶対にまずい。
 俺はとっさに左手で前をかばおうとした。
 だが。
 左手が動かせない。
 ない。
 左腕が、ない。
「冗談だろ……」
 敵の防御を破った直後、限界を迎えたミロットさんは意識を失ってしまった。供給元を失い、『レッドソウル』は機能を停止。通信回線を維持するだけの余力 も無くなり、レイの声は最後まで聞こえずに切れた。当然、『遮断防壁』も失われた。そのため、飛んできた光弾のひとつが俺の左肩から先を削り取っていたの だ。
 おびただしい量の血が噴き出していく。
 熱い。
 ひたすらに熱い。
 痛いというよりも熱い。
 失った部位がマグマにつけられてでもいるような錯覚に襲われた。
「あッ……は……!」
 叫びたい。
 だが、声が出ない。
 息が出来ない。
 苦しい。
 死ぬ。
 このままでは死んでしまう。
 ここまで来たのに。
 あとほんの少しなのに。
 ベレンとの約束はどうなる。
「……く……そ……!」
 どんなにもがこうとしても、意識がどんどん遠くなっていく。
 霞む目には、〈グラスパー〉が放った追撃の光弾が迫っているのか、光が視界に満ちていく。
 それも徐々に暗転し、膝が折れた気がした。
 それを最後に、暗闇が俺の感覚の全てをさらっていった。

 黒一色の世界。
 永遠の虚無とも思えるそこで、誰かの声が聞こえた。
「……! し……り……!」
 聞き覚えのある声のような気がする。
 でも、かなり遠い。内容も良く聞き取れない。
「……なところで、寝て……合か! 起き……ギルッ!」
 少し近づいてきているのだろうか。さっきよりもよく聞こえた。
 俺は耳を傾けた。
「忘れ……かよ! お前、約束……んだろ!」
 やはり、聞き覚えのある声だ。
 俺は必死に耳をすませた。
「ベレンは、あの娘はお前が戻るのを待ってる! お前は生きて戻るんだッ!」
 鮮明に声が聞こえた。
 そして、その声が誰のものかも、はっきり思い出した。
 そうだ。その通りだ。ベレンが待ってる。やっと助け出したんだ。
 俺が欠けたら、彼女はまた悲しみに沈んでしまう。
 俺が彼女を助けたのは、研究対象が欲しかったからじゃない。約束をしたからじゃない。
 ベレン、君が好きだ。だから、助けるのさ。
 そうとも、ならばこんなところで倒れてはいられない。
 俺は――!

「負けるわけには……いかないッ!」

 視界が開けた。意識が戻ったのだ。
 周囲には電光が閃き、〈グラスパー〉の放つ光弾はことごとく弾かれていた。
 よく見れば、電光は細かい金属粒子が伴い、踊るように大気中を駆け巡っている。
 俺は失われたハズの左腕に目を落とす。
 すると、金属粒子が火花を散らしながら俺の左腕に集まって来ていた。痛みは全く感じなかった。次第に形を成していくそれは、メタルパーツで構成された腕へと姿を変えたのだ。
 指先から肩口までを覆う無骨なアームパーツが音を立て、動いた。俺の意志で動かせるようだ。
 何が起きたのか、全てが分かる。腕からあふれる力がそれを教えてくれる。
 俺はその手を握りしめ目を閉じる。
「ありがとう。そして、すまねえ。最後の最後でまたアンタに助けられちまった……!」
「何、イイってことよ。これは俺が自分で決めた、『生命』の使い道だ」
 肩口のメタルパーツが変形する。四分割され展開した中心に、見慣れたあの眼が現れた。
 〈ズィード〉の持つ、あの無機質な目玉ではない。
 小憎らしくも、どこか愛嬌があり、何より温かみのある視線。
「おやっさんッ! この奇跡、恩に着るぜ!」
 俺が足しげく通ったカフェテリア『ヴァンダー』の店主、フェルン・ゼーア。物質生命体族の異端児にして、誰よりも人間族に寄り添い理解を示した者。
 彼の力が左腕を通して駆け巡り、俺を奮い立たせてくれたのだ。
 彼が俺の腕の中で粒子に分解した時、俺の掌に吸い込まれるように消えていった。彼を構成していた『要素』は俺の中に溶け込み、ずっと見守ってくれていた。
「奇跡じゃねえよ。奇跡ってのは神様が起こす所業さ。お前らはよく頑張った。俺は最後に、ちょこっと手を貸しただけだ。こいつは紛れもない必然、皆でよってたかって創った必然だ!」
 どれだけ感謝を述べても足りない。あえて、行動で示すならばまずは眼前の不幸を打ち払うのみだ。
 俺は足を踏み出した。敵を正面に見据え、真っすぐ立ち向かっていく。
 そして、腕に力を込める。
 そう、力だ。力があふれて来る。身体が芯から燃え上がるように熱い。
 放出される熱量はどんどん増していく。しかし、俺自身は燃えない。燃えているのは魂、この意志だ。
 俺の闘志に呼応し、左腕にビシビシと亀裂が生まれた。その亀裂にそって炎が走り、噴き上がる。そして、噴き上がる炎を介してエレメントの力が周囲に作用していく。
《エレメントパワー上昇/ 計測不能/ 危険度増大/ 推定リスクレーティングA相当以上》
 〈グラスパー〉は攻勢を増した。指先から放たれる光弾は激しさを増し、俺に次々と降り注ぐ。しかし、その集中砲火は俺に一発も命中しない。纏った火のエレメントが炎の壁となり、攻撃をことごとくかき消したのだ。
「やはり、お前の魂の色は炎だったな!」
 おやっさんの心が伝わって来る。
 物質生命体族というのは、エレメントが自我を持ったエネルギー生命体であり、『作者』がこの世界を構成する要素そのものを切り取って生み出した存在であ るらしい。だから、扱う者の意志ひとつでどんな形の力でも取り出すことが出来る。おやっさん自身はたまたま雷属性を選んだためにあのような能力と姿かたち になったそうだが、今は純粋なエレメントに還り、俺の肉体と同化している。エレメントを操る俺の意志が強く反映されているのだ。
「やるぞ、おやっさん! あの粗大ゴミを焼き払うッ!」
「任せなッ!」
 火のエレメントを集め、足元を爆発させる。踏み出した身体が一気に加速する。
 敵もとっさに後退しようとしたらしいが、こちらの方が速い。
「うおおぉッ!」
 裂帛の気合と共に、左の拳を突き出す。
《防御機構〈ガードシークエンス〉作動》
 一度破ったハズだったが、既に使用可能になっていたようだ。再び防壁が立ちはだかる。
 防御面に構わず拳を叩きつけ、表面を爆発させる。防御が砕け、無防備な目玉は目と鼻の先にある。
 そのままぶち抜いてやろうとしたが、ヤツはとっさに開いていた指を閉じた。サイズの違う握り拳が激突する。
「くうッ!」
 硬い。弾かれたのは俺のほうだった。防壁よりも本体の方が固いとは面倒だ。
「エギル! まだまだこんなもんじゃないハズだ! もっと強い現象をイメージするんだ! この世界のルールをお前の意志でねじ伏せろッ!」
 思考を巡らせる。考える力こそ、人間が誇れる長所だ。今、可能な【最適】の攻撃方法。プラス方向に熱量を操作する火のエレメントの【最強】火力とは。
「ああ、見せてやるよ……!」
 大気がうなりを上げ、渦を巻いていた。風のエレメントによる操作ではない。空気中の物質に火のエレメントで高温を与え、相転移させているのだ。
 相転移というのは固体が液体に、液体が気体に変化するような物質の状態が変化する現象のことを言う。今、相転移させているのは、気体だ。気体を更に上の段階に変化させているのだ。
 やがて、巨大な光の塊が俺の頭上に現れた。その光の球は敵の巨体を覆い尽くせるサイズに膨れ上がっていく。
 光の球の正体はプラズマだ。別名、高圧電離気体。物質の第四の状態にして、最も大きな運動エネルギーを持つもの。
 これだ。これこそが俺の、俺達の必殺技。
「必殺技なら、叫ぼうぜ!」
 勝利を確信し、おやっさんが子供のようにはしゃいだ。
「アンタ、次は人間に生まれて来いよ。歓迎するぜ」
 脅威を感知したのか、敵はまた離れ始めた。光弾をばらまきながら遠ざかる。だが、もう遅い。
「「プラズマドラァァーイブッ!」」
 二人の咆哮が重なった。
 プラズマを〈グラスパー〉に向け、落下させる。悪あがきのように連発される光弾をエネルギーのうねりの中に呑み込む。回避不能を悟り、ヤツは防御形態を取ったが、無駄だ。掌の内側に閉じられた眼球ごと削り取る。
 プラズマが着弾した地面は、接地面にそって綺麗な穴が残された。
「やったな……」
 わずかに残った敵の躯の欠片は粒子に分解し、消滅していく。それを眺めつつ、フェルンが感慨深そうに呟く。
「いや、まだだ」
 俺は踵を返し、都市のゲートを目指す。
「油断は禁物だぜ」
「おお、俺が前言ったこと、ちゃんと覚えてるじゃねえか!」
 軽口を叩き合いながら、俺達は駆けて行く。『ヴァンダー』で言葉を交わしていた時と変わらぬ、あの二人のままで。

 大地を力強く蹴り、後方で待つ仲間達の元へ急ぐ。
 やっとだ。アダマントで出来たあの壁が見えて来た。
「……ココまで来れば、もう大丈夫だろ。敵の気配も無い」
 肩口でおやっさんが呟いた。
「……そうだな」
 俺は言葉を詰まらせた。
「……ちっと寝かしてくれや。一度、バラバラになっちまってるからな。流石にくたびれたぜ」
 フェルンの声にノイズが走り始めていた。
「そんな顔するんじゃねえよ。俺はお前の中で生きるんだ。必要になった時だけ、呼んでくれればいい」
 何も言えずにいると、彼は笑いながらこう言った。
「……それに俺がいつまでもお前の腕にへばりついてたら、ベレンとイチャコラするのに邪魔だろうが」
「……それもそうだな」
「そこは嘘でも否定しとけ! 妬ましい!」
 なぜか逆ギレされた。
 何だかおかしくなって、二人でひとしきり笑った。
「じゃあ、また会おうぜ」
「ああ、また会おう、必ず」
 交わしたのは短い別れの言葉だったが、それで十分だった。
 メタルパーツに覆われた異形の左腕は粒子となって分解し、内側へと吸い込まれていった。
 その後には俺の元の左腕があった。彼が最期に復元してくれたのだ。
 そして、彼自身は俺の中にエレメントとして完全に溶け込んだ。彼の自我を含む全てが、俺と融合したのだ。
 だから、俺には彼の想いがよく分かった。彼は物質生命体でありながら、人間の、何より俺の可能性を信じてくれていた。色々語りたいことがあるが、今はその想いを受け止め、守った者と未来を歩もう。
 必要になった時に呼んでくれればいい、とおやっさんは言っていた。だから、ここからしばらくは自分の力で進んでみよう。
 俺はゲートを抜け、仲間達の元へと急いだ。

 都市ηの壁の向こう側。
 静まり返り深夜となった荒野の中。
 壁から少し離れた地点で傭兵団達が待機しているのが見えた。
 しかし、何だか騒がしい。何があったのかと駆け寄ると、まともに動ける傭兵達が数人固まっていた。
「戻ったぞ! 何があった!」
 俺が輪の中に飛び込むと一瞬全員が湧いたが、またすぐに狼狽し始めた。
「良かった、無事だったか!」
 ウェインが仲間の間を縫って、俺の前に現れた。
「この騒ぎは何事だ?」
「見た方が早い! 来い!」
 手を引かれ、生存者がたむろする奥へと進む。
「ベレン!」
 俺に戦慄が走った。通された先で目にしたのは、他でもない。
 木に力無くぐったりと寄りかかるベレンの姿だったのだ。顔が真っ青で血色が悪い。椅子に縛り付けられていた時以上に衰弱しきっている。
 慌てて彼女を抱き起こす。
 なぜだ。どうしてこうなる。俺は助けられたんじゃなかったのか。
「……脱出出来た俺達はレイ達の回収を待つことになっタ。夜明け前には来るってんで、負傷者の手当てをしていたんダ。あらかた処置が終わった時、突然ベレ ンが倒れたんダ……。ロクに治療薬は残って無かったし、医療の知識があったヤツは運悪くやられてタ。下手に手を出せなかったんダ……」
 キュウタロウが俺の横に並び、説明する。
 俺は動転しそうになる頭を振るい、必死に思考を巡らせた。
 ベレンは代謝抑制剤を大量投与され、身体の自由を奪われていた。その上、エレメントの使用を阻害する薬物まで盛られていた。だが、ウェインが中和剤を与えたため、代謝機能自体は元に戻っている。
 そうか。代謝機能が元に戻ったせいで、かえって消費が激しくなってしまったのだ。
 メルダ市長に監禁されていたベレンは、俺と牢で最後にあってから今まで、まともな食事を与えられなかったのだろう。助け出すまでは薬で抑えられていたから良かったものの、治療を施したことで逆に首を絞める結果になってしまったのだ。
「……恐らく栄養失調を起こしている。栄養剤は……?」
 尋ねると、キュウタロウが眉毛をハの字に曲げた。
「スマン……。残って無イ……」
 どうする。このままではベレンは衰弱死してしまう。やっと脅威は去ったというのに、まだ運命は彼女の自由を阻むのか。
 思わず頭を押さえた時、俺は気付いた。
 むしろ、どうして始めからこの考えに至らなかったのか。
 まだまだ、俺も妖魔族に対する理解が足りなかったらしい。
「……ベレン、俺の血を使え!」
「……そうカ! その手があっタ!」
 助けられる。俺達は歓喜した。
 だが。
「……嫌」
 あろうことか、助けを拒んだのはベレンだった。身体が弱っているにも関わらず、か細い声で、強く強く嫌悪の声を上げたのだ。
「何を言うんダ!」
「嫌ッ……!」
 考えてみれば、彼女は『ブルートローゼ』を統べるリーダーの娘だ。そして、次なる組織の象徴となるべく育てられた。人間から搾取した血を与えられて生活し、自身はそれを知らずにいた。真実を知った時、彼女は罪の意識に耐えかねて都市ηまで逃げてきたのだ。
 ベレンにとって、他人の血を吸うことはこの上なく耐えがたい苦痛だった。
「ベレン……!」
 だが、現状ではこの方法意外に彼女の生命をつなぐ術は無い。
 俺の方も復元してもらったとはいえ、左腕を削られた際、かなりの量を出血している。正直、血を奪われるのは恐ろしい。だが、それ以上に彼女を失うことが恐ろしい。
 こうなれば言葉を尽くし、想いの限りを伝え、彼女の心を溶かすしかない。
「頼むベレン! 俺は君を助けたい!」
「や、やあっ……! 貴方の、吸うくらいなら、死んだ方が――!」
「バカを言うなッ!」
 彼女の言葉を、あらん限りの大声で遮る。言わせない。俺の大切な者が死んだ方がマシだなんて、そんなのあり得ないんだ。
 ぎゅっと彼女を抱きしめる。彼女の身体は冷えていた。だから、俺の身体の熱が少しでも伝わるよう願った。
「聞けよ、ベレン! 俺が君を助けたいのは約束を守るためじゃない! そんなのもうどうでもいいんだ! 君が好きだ! だから、助けるのさ! 自由になった君の笑顔が見たい! 君の手料理をまた食べたい!」
 俺は肩口に彼女の頭を強引に押し付けた。
「だから、何度でも頼む! たとえ俺がここで血を流すことになっても、君のいない未来なんて耐えられない! どうか、俺と一緒に生きてくれッ!」
 彼女の身体は震えていた。
 やがて、俺の首筋にチクリとした疼痛が走った。彼女が血をすすり始めたのが分かると、やっと胸をなでおろすことが出来た。
 直後、肩が濡れ始めたのが分かった。
「うっ……ふっ……うううっ……」
 噛みついたまま、ベレンは嗚咽をもらしていた。
 ごめんな。また泣かせてしまって。君を救うために、君が最も嫌がることをさせた。
 だから、これを最後にしよう。
 人間である俺が流す、最後の血にしよう。
 妖魔である君が流す、最後の涙にしよう。
「いいんだよ、ベレン。大したことじゃない。これから君にはきっとたくさん色々なモノをもらうだろう。その前借ってことにしておいてくれ」
 今度はそっと、彼女の背中を抱く。
 ベレンもそれに応えるように俺の背中にしがみついた。

「……救助が来たぞッ!」
 どれだけ時間が経っただろうか。少なくとも、まだ夜明けではない。
 後ろで仲間達の湧く声が聞こえた。
 疲労と緊張、そこに吸血されたのが重なって、少し意識が霞みかけていた。
 血相を変えたレイが真っ先に駆け付けるだろうか。
 ミロットさんやリコは無事だろうか。
 色々なことが頭の中を巡る。
 でも、もう大丈夫だ。
 この身体に寄り添う確かな鼓動だけは、はっきり感じる。
 俺は、ついに守り切ったのだ。

 それはまだ、朝日が昇る兆しが見えない暗闇の中だった。
 今はまだあの光を一緒に見ることは叶わない。
 だが、俺にはもう明確なビジョンがある。はっきりとイメージ出来る。
 決して燃え尽きることの無い太陽の如き炎が、この胸の内にある。
 きっと叶えて見せよう。
 共に、光の元で歩む未来を。

 そう、全てはここから始まるのだ。
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