Six 「強く弱い心」


 ―――人は必ずいつかは死ぬ。…だからこそ、生きる意味を見失ってはならない。

 ギルトはベッドから起き上がった。
 しばしの硬直の後、のろのろと洗面所に行き、鏡の前に立つ。特別綺麗というわけではないが、特別不細工というわけでもない。可もなく不可もない、といった顔つきの少年が映っている。しかしながら、長く伸びた黒髪はボサボサで、その上にある眉毛も少し下がり気味。折角の二重まぶたも脱力して眠たそうで、その瞳には漆黒が続いているだけだ。
 ギルトはしばらくそれを見つめていたが、やがてため息をついた。そして、顔も洗わず洗面所を出ると再びベッドに身を投げ出した。
 もうブレイカルに滞在してから一週間になる。だが、心は前に進もうとする意志を失っていた。
 今、自分は抜け殻の状態であった。

 当然、仲間達が何も言わなかったわけではない。
 ミクシーの傷は三日で治った。キザミの傷も四日目には医者の治療を受け付けるようになり、五日目には元通り銃が握れるようになった。
 六日目の朝にミクシーが励ましに来てくれた。しかし…。

 部屋の戸がノックされたのが分かった。だが、ギルトは答えない。
「入るよ?」
 ミクシーの声だ。扉が開き、足音が近づいてくる。
 ギルトはベッドに横たわり、視線を壁にぶつけていた。後頭部で彼女の声を受け取る。
「アタシとキザミはもう治ったからさ、そろそろ出発しない?」
 ギルトは黙っていた。
「…あ、あのさ、アンタが戦ってくれたんだってね。エアから聞いたよ。」
 これにも黙ったままだ。
「それに攻撃も出来るようになったんだってね。良かったじゃん。」
「…良くないよ。」
 ここでようやくギルトは口を開いた。
「こんな力あったって…結局僕は助けられなかった…。」
「それは仕方ないだろ!相手はこっちを殺す気だったんだからさあ!」
 ミクシーは少し語気を強めた。もう割り切れ、と言っているようにも取れた。
「でも、助ける事だって出来たはずだ…。結局同じだよ。君のお義母さんを助けられなかった時と…。」
 いつまでも煮え切らない態度にミクシーはついに怒り始めた。それに、言い方もまずかった。
「…ふざけんなッ!バアちゃんの時は仕方なかったんだ!!今回だって仕方なかったんだよ!!アタシはいっぺん死んだバアちゃんと話が出来ただけでも救われたんだ!アンタがそんな事言うんじゃねえッ!!」
 肩を引っ張られ仰向けにされたかと思うと、胸倉をつかまれてベッドから引きずり出された。ぐいと彼女の顔と同じ高さまで自分の顔が引っ張り上げられる。服装は以前と同じようなタンクトップと半ズボン姿だった。こちらをにらみながら歯を食いしばって震えている。それでも、ギルトは身体から力を抜いたまま、ぼんやりとそれを見つめるだけだった。
 すると、ミクシーはピクリと一度眉を痙攣させてからギルトの身体をベッドへと突き放した。
「自分が一番不幸みたいな顔しやがって…!もういい!ずっとそこでうじうじしてろッ!!」
 罵声が響いたかと思うと、扉がバタン、と叩きつけられた。

 励ましに来たミクシーの方が先に怒って出て行ってしまったのだ。そのせいで、夜に来たキザミの時は心が更に頑なになっていた。

 ノックと共にキザミの声がする。
「ギルト君、入るよ?」
 何だか彼に初めて会った時に似ている。だが、今回は全く状況が違う。
「ダメです。」
 すぐに否定した。誰とも会いたくなかった。
「そうはいかない。いつまでも君がそんな状態じゃ困るよ。」
 キザミも以前とは違う。こちらの言葉を無視して扉を開けた。
「…今、僕は誰とも話したくないんだ!!ここから消えろッ!マッハエスケープ!」
「なっ…?ちょっと待っ…!」
 入ってきたキザミをスペルで遠くへ飛ばしてしまった。宿の廊下の壁には人型の穴がぽっかり開いた。
 ギルトはドアを閉めると、ベッドに倒れこんだ。

 どうしてこうなってしまったんだろう。そう思いながら、ギルトは八日目の朝日を見た。
 僕が悪かったのだろうか。違う、僕は自分に出来る事をした。
 傷を負い戦えなくなったキザミやミクシーのせいだろうか。違う、今まで僕に出来なかった戦いをずっと引き受けてくれたからこそ、負ってしまった傷なのだ。
 戦いを薦めたエアがいけなかったのだろうか。違う、彼女が促してくれなければ皆殺されていた。
 それでは、メルダがこの苦しみの原因という事になる。なるほど、こちらを抹殺しようとしていた事を見れば、それは揺るがぬ事実だ。しかし、ギルトには彼女が苦しんでいたように思えた。自分を取り巻くものに圧殺され、屈折してしまった心。それは誰のせいでもないとも言えるし、皆のせいだとも言える。彼女の行いを責める事は出来ても、生きる事に疲れてしまった彼女の心を誰が非難出来るだろうか。
 なぜ、こんなに辛い思いをして生きなければならないのだろう。生まれてこなければ、苦しまずに済むのに。
 そして、きっと彼女はそんな思想の下に行動していたのだと気付く。このままでは、自分もそんな思想を抱いてしまう。否、既に抱き始めている。
 自分は自分探しの旅に出たのに、未だに見つからない。もう半年経った。父との約束である二年のうち、四分の一が既に過ぎてしまった。
 僕は僕を信じてくれる人に会えた。だから、人を信じようと思えるようになった。
 しかし、今ではどうだ。折角、なけなしの勇気を振り絞ってみたところで苦しんでいる人間一人救う事が出来なかった。
 僕はどうすればいい。誰か、教えてくれ…。誰か…。

「ギルトさん。」
 不意に呼び声がしてギルトはビクリ、と身体を震わせた。ベッドの縁に座ったままうなだれていたギルトには、扉が開いた事に気付く事が出来なかったらしい。
 頭を上げなくても分かってる。エアだ。
「…頼む、独りにしてくれ。」
 誰かに助けて欲しいのに、口では逆の事を言ってしまう。それがなぜなのか、自分にもよく解らなかった。しかし、心には理屈ではどうにもならない時があるのだ。
「嫌です!今、独りにしておいたら、あなたはきっと帰れないところへ堕ちてしまう!お願いです!私の話を聞いてください!あなたはそんなに弱い人ではないはずよ!!」
 エアは叫んでいた。だが、その叫びもギルトは冷ややかに受け止めてしまった。
「僕は弱虫さ…。結局何も出来なかったんだ…。だからもう…何もしたくない…。しない方がいいんだ…。」
「…バカッ!!!」
 頬がぴしゃり、と音を立てた。驚いて顔を上げると、目に涙をいっぱいに溜めたエアがそこにいた。
 そして、その背中からみるみるうちに白い翼が広がっていき、視界を光で満たした。
 気が付いた時には真っ白な場所に二人だけが立っていた。
「どうして、独りで苦しみを抱え込むんです!?私だってあなたに押し付ける事しか出来なかったのに!!私達がそんなに信用出来ませんか!?ずっとそうしていても何も変わらないんですよ!!」
 背中の翼から羽を振り撒きながら叫んでいる。エアの目が涙がこぼれる。ギルトは言葉を返せなかった。何をどう言うべきか口の中で試行錯誤していると、エアは続けた。
「それにあなたは弱虫じゃないわ!だって…!自分が戦えない事に悩みながら、それでもずっと後ろの私を守ってくれたじゃない!!」
(僕を見ていてくれた…?)
 彼女には戦う力は無い。だが、彼女はキチンと自分を見ていてくれた。目の前の戦いから目を逸らさない事、そして、自分に出来る事をしていてくれたのだ。
 気が付くと身体が震えていた。こんな暖かい震え、初めてだった。
「…あなたがこの旅をしているのはどうしてです?」
 涙を拭いながらエアが尋ねる。
「…それは…僕が…自分の未来を探すために…。」
 自然と言葉が口から溢れてくる。エアは最後まで聞かずに、しかし切実に訴えた。
「だったら、あきらめないで!努力してもいつも報われるわけじゃないけど、お願い!始める前から全てをあきらめるような事だけは絶対にしないで!!」
 目の前に彼女の手が差し出された。自分より、一回り小さいが少し皮が厚い。銃を作ったりしているせいだろう。努力しているんだ。少なくとも、彼女は何もしないまま投げ出したりしていない。
「僕は…!」
 そう言った時には既にその手をつかんでいた。そんなギルトを見てエアがうっすら笑みを浮かべた。すると、その場所は消え去り、元の部屋に二人は戻っていた。彼女の背中の翼も消えていた。
「エアさん…!ありがとうっ…!」
 たまらなくなって、彼女の身体にもたれかかるように抱きついた。そして、そのまま二人はそこにうずくまった。声を殺して泣き始めたギルトをエアは何も言わずに受け止めてくれた。服が濡れる事も構わずに、彼女はギルトが泣き止むまで、そのままずっと待っていてくれたのだ。
 起きてしまった事を悔やんでも仕方が無い。これは後悔よりも反省すべき事だ。問題はこれからどうするかなのだ。
 生きる事は辛い事かも知れない。しかし、だからこそ、生の喜びを感じる事が出来る。生命あるものが自らの生を否定するような事があってはならないのだ。今、それに改めて気付けた。
 ギルトは自らを縛っていた心の牢獄をついに打ち破ったのだ。

 やっと気持ちが落ち着いた頃、外が騒がしくなった。ギルトは立ち上がった。
「行くんですか?」
 エアが尋ねる。
「うん。もう大丈夫!」
 二つ返事で宿を飛び出した。
 恐らく、また何かが襲ってきたに違いない。キザミとミクシーの姿が無いのは、既に迎撃に向かったからだろう。追いつかねば。
 メルダと戦うために覚醒した新たなスペルはまだ他にもある。
「フィジカルアップ!」
 自らの肉体にスペルをかけた。身体能力が強化されるスペルのようだ。何だか、身体が軽くなった。
 自ら戦う事を決意したあの時から、効果が発動前に何となく分かるようになっていた。マッハエスケープを使わなかったのも、このスペルは逃げるために使ってきたものだ、という感覚がしたからだ。
 もう、逃げない。折角ここまで来たんだ。たとえ、ウムラウドで何も解らなくても構わない。残り一年半の間だけでも、自分探しを続けたい。それは決して人生にとって無駄にはならないはずだ。
 悲鳴はそこらじゅうで上がっていた。敵は複数だ。都市の中心に向かって走るギルトとは逆の方向へと住民達が逃げていく。既に都市内に侵入されてしまったようだ。自警団も壊滅状態で防衛ラインがザルのようなものだから仕方が無いが。
「フライハイ!」
 このままでは敵の規模はおろか、仲間の位置もつかめない。そう判断したギルトは都市の上空へと飛んだ。
「ゲイザーアイ!」
 更に自分にスペルを重ねがけし、視力を強化した。都市の隅々まで、虫眼鏡で拡大したように見える。敵の規模が解った。かまきりが大きくなったような小型の変異奇獣が五十体以上いる。今度は物量作戦という事か。キザミとミクシーも見つけた。それぞれ、都市の北と南に分かれて戦っている。一体一体は大した戦闘力ではないようだが、戦う力の無い都市の人間にとっては脅威に変わりない。一匹ずつ潰していたのでは、被害が拡大してしまう。
 そう思ったギルトの中で、ギルトらしからぬ大胆な発想が浮かんだ。いっぺんに処分してしまえばいい。昔の自分だったら絶対に思いつかない、いや、思いついてもやろうとはしないだろう。きっと、出来ないとあきらめている。だが、今は違う。大きく息を吸い、精神を集中させた。
「ギャザリングチェイン!」
 上空から地上の奇獣達に向けて両手から念力を放った。束縛を受けた敵は動きが止まったが、まるでクモの巣にかかったかのようにじたばたもがいている。
 複数、それも三十体近くをいっぺんに封じたのだから、連中が暴れる事でギルトにかかる負担は相当なものだった。頭の中をかき回されているようだ。意識が揺らぐ。だが、それを鉄の意志で押さえつけ、言葉を続けた。
「…プラスッ!」
 地に向けていた両手を天に向ける。
「エリアルハーツ!」
 発動すると、敵達が弾かれたように上空に飛び上がった。ギルトと同じ高さまで浮かび上がると、ピタリと止まる。周囲には驚き慌てる黒いかまきり達が浮遊している。
「全部潰れろッ!ヴォイスオブテメンニグル!!」
 叫びと共に、手を地に向けて振り下ろす。周囲に浮かんでいた者共は耳をふさぎたくなるような音を立てた。まるでプレス機で潰されたかの如く、ぐしゃぐしゃにひしゃげて地面へと落下していった。
(一丁上がりだ…!)
 そう思った途端、視界がかすんだ。まずい、力を使い過ぎた。短時間にこれほど連発したのは自分とっても前例が無い。
 突然、意識が薄れて敵に続いて落下してしまった。フライハイの効果が切れたらしい。早く発動し直さなければ地面に激突してしまう。
 喉の奥から再びスペルを搾り出そうとした時、下から影が飛来し、ギルトの身体を受け止めてくれた。
「…もういいのか?」
 ミクシーの声だ。かすんだ視界が戻ってくると、彼女の腕だと解った。
「…ああ。心配かけてごめん。」
「だったらさっさと片付けるぞ。まだ少し残ってる。」
 彼女の言葉は無愛想だったが、それはどう言葉をかけるか困っているようにも取れた。
 ギルトはスペルを発動し直し、急いで地上に降下した。よし、だんだん感覚が戻ってきた。続いてミクシーが降りてきた。降りた場所から二手に分かれて残敵を探索した。
 出遭った敵には小技を連発して倒した。ギルトが三体目を倒し終えた時、都市からは悲鳴が消えていた。

 都市を何とか守りきった後、仲間達は宿屋に戻っていた。
「良かった、良かった。立ち直りおめでとう。」
 あんな目に遭わされたのにも関わらず、キザミはギルトを責めようともしなかった。逆に、暖かい言葉をくれた。こんな素晴らしい人に向かってなんて仕打ちをしてしまったのか、と今になって胸が痛んだ。
「全く、男のくせにさあ〜…。」
 ミクシーは嫌味を言ったが、あまり気にはならなかった。それに、その言葉が本心からではないという事は解る。
「でも、ワガママなギルトさんなんて初めて見れました。そういう点では私達、ちょっと得したのかも知れませんね?」
 そう言ったエアは服装は変わっていた。ギルトの『弱さ』を吸ってくれた服を着替えたのだ。襟と袖が毛糸で覆われた寒冷地向きのドレスだった。メルダが辺りに冷気を撒き散らしたせいで、若干温度が下がったような気もするが、そのせいだろう。
「皆には迷惑かけました。でも、もう大丈夫です。」
 改めて皆と顔を合わせると恥ずかしくなって、ギルトは頭をポリポリかいた。
 しかし、エアが励ましてくれたあの場所は何だったのだろうか。幼少時に初めてエアの能力が発動した時には、暴漢を廃人化させてしまったという話だったし、ギルト達と旅を始めてからはスペルの力を増幅してくれた。ひょっとしたら、彼女はギルトの心に直接触れてくれたのかも知れない。
 その事を話題にすると、キザミは指をパチン、と弾いた。
「なるほどね…。よし、エアちゃん、君の力は人の意志を変える力、『ウィルチェンジ』と呼ぶ事にしよう!」
 まだ考えていたのかい、と他の三人が呆れたのは彼には秘密だ。
 明日こそウムラウドに向けて発つ事に決めて、荷物を整理した。メルダを倒した事で賞金が入ったため、幸いにも路銀はかなり補充出来た。生命が金に換算されてしまった事は素直に悲しいが、ギルトは自分達四人の生命をつなぐため、有効に利用する事をそっと心で誓った。

 翌日はよく晴れた気持ちのいい日だった。朝のうちに必要な食料や武器類を補充した。
 出口の門に差し掛かると、ようやく守備隊の補充が来たようで、壊れた門や家屋の修復が始まっていた。
 四人はそんな活力ある人々とすれ違い、都市の外へと出発した。目指すは伝説の地ウムラウド。ココから先は武装列車のレールがほとんど無い。徒歩がメインになるだろう。場合によっては野宿も考えなければならないが、今のギルトにとっては些細な事だ。
 ブレイカルが見えなくなった頃、突然ミクシーが提案した。
「飛んでいこう!」
 と。奇獣が三体に増えて、そのうち一体は最も使用頻度が高い、悪魔のような姿のもの。二体目は初めて完全融合に使った鎧のような姿のもの。そして、未だに使っていなかった三体目は鳥のような姿のものだった。悪魔タイプとミクシーが融合し、キザミと二体目をつかみ、エアは三体目で飛べばいい。ギルトはスペルを使って飛べばいい。これで全員空の旅が可能だ。この方法ならかなり時間を短縮出来るはずだ。
 ところで、ミクシーは三体目が飛べるという事をすっかり忘れていたらしい。そう言えば、彼女には今まで複数を操った経験が無い。都市で戦っていた時も、使っているのは融合している一体だけで、他の二体を戦闘に参加させていないようだった。もっと早く気付いて欲しかった。
「よし!じゃあ、しっかり捕まってろよ!」
 ミクシーの掛け声で、四つの影が宙に舞い上がった。
 空の旅は時間を節約する事が出来る。だが、体力の消耗は徒歩より早い。空の旅をゆっくり楽しみたいところだが、そうもいかない。
 地図の上では目的地までに武装列車のレールが途切れ途切れにいくつもあるが、ひとまず一つ目のレールまでは一気に飛んでしまいたい。全工程の三分の二を踏破し終えていると言っても、まだ後二週間弱はかかる距離なのだから。
 しかし、そこまで必ずしも安全に進める保障は無い。敵は空にも徘徊しているのだ。
 そう思った矢先、ギルトは身震いを伴う悪寒を感じた。見つめる先に次第に黒い壁が浮かび上がってきていた。更にその表面がうごめきながら接近して来るのだ。
 何と、それらはおびただしい数の黒い鳥だった。始めはカラスかと思ったが、違う。頭の部分に日が反射してキラリと光っている。光を反射するレンズのようなひとつ目。その中に踊る邪気。変異奇獣だ。
 空中での戦いは経験が無い。危険な状況だが、何とか突破するしかない。
「凄い数だな。どうする?」
 キザミが銃を空いた片手に銃を握った。
「…最大攻撃で出来るだけいっぺんに倒します!スパークオブギガンティック!!」
 返答と同時に間髪入れずに攻撃を放った。極太の雷の束が黒い壁をぶち抜いた。中心には大きな穴が開き、生き残った周囲の部分はバラバラに散開していく。
「まだだ!ギャザリングチェイン!」
 更に生き残った敵を出来る限り拘束する。
「…ヴォイスオブテメンニグル!!」
 拘束した敵に強烈な圧力を加えて圧壊させる。二度目の連発だが、今度はめまいを起こしたりはしなかった。幾分が疲労感もあるが、以前程ではない。力が以前より増しているようだ。不思議なのは、その力の成長が使うまで自覚出来ない事と、成長のスピードがいつもまちまちだという事だ。
 数多の鳥型奇獣が電熱によって溶け、押しつぶされて落下していく中、僅かに残った敵は散ったまま反撃もせずに逃げ出していた。こちらに背を向け、全速力で離脱して行く。
 妙だ。今まで遭遇した黒い奇獣は積極的にこちらを殺しにかかって来た。なぜ逃げるのだろうか。嫌な予感がする。
「…今のうちに進みましょう。」
 ここでゆっくり考えているわけにもいかない。とにかく、武装列車のレールまではたどり着かなくては。他の三人も同意し、先を急いだ。

「これで一息つけるな。終点までは丸一日かかる。それまでゆっくり休むとしよう。」
 武装列車の中、キザミは窓側の席にもたれながら帽子を脱いだ。続いてミクシーも窓側に座る。ギルトとエアは残った通路側に腰掛ける。丁度、キザミとミクシー、ギルトとエアが向かい合う形になった。
 彼が言った通り、このレールは終点まで丸一日かかる。ウムラウドのような大都市から離れた土地は、すべからく発展が遅れる。交易もほとんどないし、レールを渡す必要性が低い。辺境の地に向かう旅としては、珍しい物とも言える。
「でも、この列車って運賃高過ぎ!ぼったくりかよ!」
 それがたたって運賃もかなり高い。ミクシーが足を投げ出して不平を言った。
「そう言うなって。こういうところはレール引くにも一苦労なのさ。ここからもっと高くなるぞ。」
「はあ…。」
 二人を見ていて思わずため息が漏れた。勿論、二人の掛け合いだけが原因ではないのだが。
「ギルトさんも…疲れてます?」
 エアも寄りかかって何だか少し気の抜けた表情をしている。彼女も長く空中にいた事で緊張していたのだろう。
「うん…。ちょっと気になる事もあるしね…。」
「気になる事?」
 エアが寄りかかっていた身体を起こす。
「あの変異奇獣…逃げたんだ。」
「それが何か…?」
「どうも腑に落ちない。今までの黒い奇獣は自分が不利な状況になっても逃げようとはしなかった…。なんていうか、自分の事をまるで考慮してない戦い方をしていたけど…さっきのヤツは違った。」
 普通の奇獣は不利になると戦略的に撤退する事がある。しかし、変異奇獣は自身の崩壊などお構いなしにこちらを殺しにかかってくる。そんな連中があんなにあっさり逃げるとは考えにくい。確証は無いが、確信していた。何かある。僕達が想像も付かないような恐ろしい何かが…。
「考えすぎじゃないですか?仮に何かあるとしても、ギルトさん、強くなったからきっと大丈夫ですよ。」
 彼女は微笑んでくれた。その笑顔はとても眩しいものだった。だが、初めて彼女に会った時のように、素直に見とれる事が出来なかった。思考に巣食う闇が届くはずの光を遮っていた。
「あまり頼りにされ過ぎても困りますけど…。」
 答えつつも記憶をたどってみる。何か忘れている。闇の正体を知る手がかりを。
 逃げた変異奇獣…。自己判断で逃げたのでは無かったとしたら…。
「あっ!!」
 思わず大声を上げてしまった。思い出した。変異奇獣を操っていたメルダの存在を。
「きゃっ!」
「わっ!」
「何だ!」
 三人も驚いてそろってこちらを見た。
「…思い出した!あの変異奇獣達、誰かが操っているかも知れない!」
「どういう事だい?」
 キザミが真剣な顔つきになった。ギルトは自分の予測を説明した。
 今まで出遭った全ての変異奇獣がメルダの指示で動いていたかは判らないが、途中から―――恐らく、クレナキュルスでの襲撃から―――は彼女が指示していた可能性が高い。こちらに差し向けられる奇獣があのあたりからどんどん強くなっていった。こちらの戦力が上がっているにも関わらず、毎度苦戦を強いられていた。
 変異奇獣の中にはメルダのように連中を指揮している人間がいた。あの逃げた奇獣も誰かが指揮していたとしたら…。彼女以外にも、彼女のような人間がいるという事になるのだ。
「やれやれ、世の中すさんだもんだね…。」
 キザミは肩を落としてため息をついたが、ギルトにとってはまだここでため息をついてもらっては困る。ギルトは彼女との戦いで見た事、聞いた事から遥かに恐ろしい結論に達していたのだから。
「全くその通りですよ…。この世はどこか退廃してきている…。僕はメルダと戦い、そして勝った。でも、僕の最終攻撃で倒した彼女は助けようと思えばまだ助けられたんです。突然、天から槍が降ってきて、それが彼女を殺した…。勿論、僕も助けようとしたけど、彼女の身体は回復を受け付けなかった…。」
 それでか、とミクシーが腕を組んだ。
「アンタが勢いあまって殺したんじゃなかったんだね。道理であんなに落ち込んだわけだ…。」
 自分が殺したのなら、罪の意識を感じてそれを引きずっても、いずれどこかで自身の手で行ったというあきらめがつく。しかし、ギルトのような人間には、殺されかけている者を何も出来ずに見ている事の方が辛いのだ。何かしなければいけないのに、何かしたいのに、何をしても無駄で、何も出来ない。妹が死にかけた時の事もあったので、なおさらだった。
「なるほど。で、ズバリ君の結論は…?」
 キザミの催促にギルトは答えた。その答えにその場の全員が顔をしかめた。
 ギルトの結論は奇獣よりも凶悪な変異奇獣が存在し、更にその変異奇獣を操る人間が存在し、その上その人間を利用している存在がいる、という事だ。
「あの時、メルダは言ったんだ。自分を貫いた槍の事を『あの方の槍』だ、って…。僕はあの時、彼女を救いたかった。彼女は皆死んだらいいなんて言っていたけど、きっと死んだ方がマシだと思うくらい追い詰められていたんだ。それなのに…!」
 両の拳が硬く握られ、震える。自分の中の無念がうずく。
「ギルト…アンタは優しすぎるんだよ。アンタは助けようとして戦ったんだ。それでいいじゃないか…。」
 ミクシーが珍しく優しい言葉をかけてくれた。
「でも、僕は悔しい…。僕のした事全てが無駄にされているような気がして…。」
「やめてくれ!」
 ミクシーが叫ぶ。今にも泣き出しそうな顔をしている。思わず息が詰まった。
「アンタはアタシとバアちゃんを助けてくれた!救ってくれた!頼むからそれまで無駄だなんて思わないでくれ…!」
 あの時の言葉がここまで彼女を傷付けていたとは…。それほどまでにミクシーにとってマティアさんの存在は大きかったのだ。そうだ。僕は人を助けられる。こんなにも、自分は救われたと声を大にして言ってくれる人がここにいるではないか。
「ありがとう…。それから、ごめん。僕は君を助けられたんだよね。そうだった。」
 フン、とミクシーは窓の外を向いた。恥ずかしそうでもあり、安心したようでもあった。
「あの、ギルトさん…。」
 今度はエアが話しかけてきた。どうやら、タイミングをうかがっていたようだ。
「何?」
「ギルトさんはまだ旅を続けますよね?」
 その質問の意図が解らず、きょとんとしていると、言葉を続けた。
「今言うのも何ですけど…。ギルトさん、人の悲しみや辛さにとても敏感な人だから…。旅を続けるのか嫌になってしまわないか心配で…。」
 ああ、そういう事か。大丈夫だよ、と笑い返した。
「僕は最後まで旅を続けるよ。それにこの旅に必要なのは、自分の無力を悟る事じゃない。僕に何が出来るのかを知る事だよ。」
 皆にはずいぶん心配をかけていたようだ。
 僕は力が目覚めて以来、周囲全てを心のどこかで怯えていた。だから、心を閉ざして一人でいる事の方がマシだと思おうとしていた。それが間違いだと教えてくれた仲間達。仲間と共に行動する事の代償が、痛みを分かち合う事なら安いものだ。代わりに喜びを共有出来るのだから。
「しかし、これは厄介な事になったかも知れないな。」
 キザミが脇でポツリと呟いた。
「私達は既に『あの方』とやらに目を付けられた事になる。以後、更に攻撃が激しくなるかも知れない。出来れば常にベストコンディションで戦いたいものだが。」
 冷静な意見だ。メルダが襲ってきた時点で、もう目を付けられていると考えて差し支えあるまい。疲労は可能な限り回復しておくに限る。
 ギルトは全員に回復のスペルをかけ、少し仮眠を取る事にした。レイジから貰った睡眠薬のビンを開けた。ビンのラベルを見ると、年齢によって飲む量が違うようだ。十八歳の自分は三粒飲めば十分らしい。鞄の中から水を出して、丸薬を飲み込む。何の味もしなかったが、五分もしないうちに睡魔が襲ってきた。寝起きが良い事を祈って目を閉じた。

 最近になって何となく思うのだが、スペルドライヴの力は精神力だけを消費して行うものではないような気がする。心が疲れると身体も病む事がある。根拠は無いが、何となくそう思えた。

 目覚めてみると、すでに翌朝になっていた。
「おっ、起きた起きた。」
「よく寝てましたね。」
「いびきがうるさいっての…。」
 仲間達が一斉に話しかけてくる。
「…ん。…んげ!?僕いびきなんてかいてた…!?」
 ミクシーのぼやきにかすんでいる思考を手繰り寄せる。
「結構なもんだったよ〜。アタシが鼻つまんだの気付かなかったろ?」
 いたずらっぽい、それでいて、してやったり、といった感じの小悪魔的な笑みを浮かべる彼女がいた。うーん、まさか寝ている時に鼻を塞がれていたとは。全く気付かなかった。
「うん。さっぱり。」
「ふふっ、スペルを使い続けていたから疲労がたまっていたんですね。」
 拍子抜けしていると、エアも笑った。
 それにしても、ここまで良く眠れるとは。薬の効果は思ったより遥かに効き目があった。久々に長く、深く眠る事が出来た。ありがとう、レイジ市長。
「あ、特に何もありませんでしたか?」
「大丈夫。今のところ敵さんの気配は無いよ。それにもうそろそろ終点だ。」
 尋ねると、キザミが返事をしてくれた。列車がスピードを落とし始めている。
 まだ敵は姿を見せていないようだ。だが、そう遠くないうちに、次の攻撃があるだろう。ヤツらの存在を知っている僕達は、邪魔で仕方無いはずだ。
 そう考えている間にも、列車はガクンと音を立てて停止した。また、ウムラウド近くまで伸びている二本目のレールを探さねばならない。とりあえず、列車を降りる事にした。
 列車を降りてまもなく、巨大な断崖絶壁があるのが、判った。
「レールが途切れてるのはこういう壁のせいなのさ。地図を見れば判るが、迂回してレールを引くにも山があったり谷があったりで、金がかかるから周囲の都市も好んで開発しちゃあくれないんだよ。ここから先、こんな地形ばっかりさ。」
 キザミが岸壁を見上げながら、やや皮肉っぽく呟いた。
 なるほど、面倒な事には手を出したがらない人間の一面を如実に表している地形だ。人間の醜い、利己的で排他的な部分がこの世界にもあるという事を知らしめているのかも知れない。
 でも、人の美しい部分だって、今まで見てきたモノの中には確かにあった。メルダのように凶行に走る者と、そうでない者の違いはどこから来るモノなのだろうか。哀れな者が闇に落ちるのか、闇に捕らわれるから哀れなのか。よそう、これは答えの出ない問題だ。
「確かに、これは無理して開拓したくない場所ですね。回るにも登るにも面倒だし。でも…。」
「今のアタシ達には関係無い、っと!さっさと上がっちまおうぜ。」
 言いかけたギルトの言葉をミクシーが元気良く引き継いだ。先程の列車のところまでたどり着いた時のように、奇獣と飛翔スペルを使って上っていく。
「空が飛べるって、いいですね。」
 エアが鳥型奇獣の背で言う。
「ああ、普通の人間の人生じゃあ、まず経験出来なかっただろうね!」
 悪魔の姿の少女は、なぜかはしゃいでいた。ギルトが助けられた事を自覚したのが嬉しかったのか、鼻をつまんだ事に気付かなかったのがおかしかったのか、ただ単に朝が来たことが嬉しいのか。いや、この際どれでもいいだろう。気性の激しい彼女は機嫌が良いに越した事は無い。
「…おい、皆。崖の上にも普通じゃない人がいるみたいだぞ…。」
 悪魔に右手をつかまれてぶら下がるキザミが左手で腰の銃を抜いた。全員、一斉に崖の縁に目を向ける。
 頭上の天空には、昨日逃げたの同じカラス型奇獣の大群が集まり始めていた。
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