第六章 「本来の姿」


 早朝、ユウは四人の仲間を引き連れ、街の最奥部にある長老の家の裏手に来ていた。
 切り立った崖の中に、数人の人がやっと通れる洞窟が口を空けている。
 ユウを見送る大勢の人の中に、三人の長老はいない。彼らは普段から人前に出ないようにしている。その存在が持つ強大な力を狙う者が少なくないからだ。
「ユウ、気をつけて……」
「うん」
 微笑むシルヴィアに頷いて、ユウは洞窟の中へと足を踏み入れた。無言で見送る大勢の人の視線を背に、ユウ達は洞窟の中へと姿を消した。
 誰も喋らず、黙々と前へ進む。
 三分も経たぬうちに、五人は開けた場所に出た。
 真っ暗だった洞窟の闇が開けた場所に足を踏み入れた瞬間、一気に光が満たされる。まるで壁でもあったかのように、その場に踏み込むまで周りは全く見えなかったのだ。光が見えて、そこに入ってようやく開けた場所に出て来たのだと気付くほどだ。
「ここは……?」
 ソールが小さく呟いた。
 地面から光が溢れ出している。円形に魔方陣が描かれ、その複雑な幾何学紋様が光を放っていた。
「綺麗ねー」
 リネアが感心したように周囲を見回している。
「これが、門だよ」
「門?」
「創世樹のある場所、創世の場へ通じる、唯一の道」
 眉根を寄せるディガンに、ユウは答えた。
 魔方陣を描く事によって力を引き出す魔術が昔は存在した。創世樹の力を様々な形に変えて使役する術だ。魔方陣は力を変換する媒介であり、機構なのだ。しかし、魔術はもはや存在しないものとされている。
 科学技術の発展によって、魔術を用いずとも様々な事ができるようになったためだ。高度な魔術は今も一部に残っているが、一般の人はそれを知らぬまま一生を終える程、扱える者は少ない。
 長老達は、魔術を扱える数少ない存在だ。この、創世の場へ通じる『門』と呼ばれる転送魔方陣を管理できる存在でもある。ユウが頼んだのは、門を使用可能な状態にする、というものだ。
 魔方陣は描いただけでは発動しない。特殊な儀式や手順がある。その面倒さから、廃れてしまったとも言える。
「じゃあ、行こうか。皆、手を」
 ユウは左手を差し出した。
 首をかしげながら、四人の手がユウの左手に触れる。彼らは魔方陣の詳細を知らない。移動するものは全てどこかで触れていなければならないのだ。
 全員の手が自分の手に触れているのを確認して、ユウはゆっくりと屈み、右手を地面に押し付けた。
「――転移!」
 ユウが言葉を紡いだ直後、魔方陣が一際明るく輝いた。
 視界に真っ白な光が満ち、浮遊感に包まれる。皆、言葉を失っていた。真っ白な空間で、ただ手だけが触れている感触と浮遊感だけを抱きながら、数秒の時が過ぎる。
 視界が戻り始めると同時に足元に地面の感触も戻って来る。
 視界が戻って目に映ったのは大きな樹だった。淡く極彩色の光を放つ、大きな樹だ。ウルザルブルンの街の敷地範囲よりも太い幹を持つ樹だ。しっかりと地面に根を張り、天へと真っ直ぐに伸びている。
 その頂点は見えず、空を見上げれば枝と葉で視界を覆い尽くしている。だが、青空が見えないにも関わらず、快晴の空の下を同じような明るさと雰囲気があった。
 ガルマルド山は創世樹を守る山だ。その頂上が見えないのは、創世樹を隠すためだ。常に雲に覆われているのは、創世樹が自らの姿を晒さないためのもの。山が大きいのも、創世の場に誰も入れないようにするためだ。
「……やっぱり、先に辿り着いていたのは向こうか」
 ユウは溜め息をついた。
 創世樹とユウ達の間に、無数の影があった。地底人達だ。ただ、先頭の地底人だけは他の者とが違った。額に、深紅の結晶のようなものがある。埋め込まれたものなのか、元からある身体の特徴なのかは判らない。
 しかし、彼だけが別格であるとユウには感じられた。
「待っていた、代表者達よ」
「あなたが、長ですか?」
 先頭の地底人の前へ歩み出て、ユウは尋ねた。
「いかにも、我が名はフィルダニア」
「僕はユウ。あなた達との対話を望んでいます」
 肯定する地底人に、ユウは告げた。
「和解を望む、と?」
「はい。あなた方の意思を一方的に向けられて、言葉も拒絶されては戦うしかない」
 フィルダニアの問いに、ユウは頷いた。
 地底人達はユウの言葉に耳を貸そうとしなかった。ただ、一方的に全てを無に返そうとしている。理由も聞かなければ、現状を変えるために歩み寄る事もできない。
「良かろう、我等がこの世界を無に変えす理由を教えてやる」
 どこか蔑んだように、フィルダニアが言った。
「この世界の汚染が、我が世界に浸透しているのだ。このままでは、我が世界が滅んでしまう」
 ユウは目を見開いた。
 リネアは首を傾げ、ディガンが眉根を寄せている。理解したのはユウとソール、そしてゼアの三人だけのようだ。
 科学技術の発展により、列車や機械制御の工場が爆発的に増加した。列車や工場が出す排気は環境に悪影響を及ぼす事が確認されている。だが、それらの技術を封印する事はできない。既にこの世界の人間達にとって無くてはならない存在になっているのだ。
 森林も伐採され、汚染を浄化する自然のシステムが著しく機能低下している。大気だけでなく水質も汚染され、様々な問題が生じ始めていた。
 それが、地下にも浸透していたというのだ。
「そういう事ですか……」
 ユウは苦い表情で俯いた。
「解ったか? お前達と違い、我々にとっては深刻な問題なのだ」
「だからと言って、何も言わずに一方的に動く事はなかったのでは?」
「そう考える者もいた。だが、我に従った者は全て我が考えに賛同している」
 ざっと見て、数は百ほどか。戦うとなれば厳しいだろう。
「我等は創世樹へ直ぐにでも攻撃できる」
「それをしないのは、いずれここに来るであろう人間と話したかったから?」
 フィルダニアの言葉を引き継いで、ユウは尋ねた。
「そうだ」
「何故、最初からあなたが対話のために出て来なかったのですか?」
「いずれ、ここに来るだろう人間こそが、この世界の代表者だと考えたからだ」
 フィルダニアが答える。
 創世の場へ足を踏み入れられる者はほんの一握りの人間だ。それも、特定の問題を解決するためのみに足を踏み入れる以外に、ここに来る者はいない。
 つまり、創世の場へ入る事のできる人間はこの世界に住む人類の総意を背負っていると考えているのだ。それ以外の人間と話す気はない、と言いたいのだ。代表者と会うために、創世樹の下までユウを誘導した、と言ったところか。
「では、あなた方は、僕達に何を望むんですか? 全てを無に返す、というのは嘘だとは思えませんでした」
「この世界で汚染の原因となっているもの全てを消し去ってもらいたい」
 フィルダニアの言葉に、ユウは口を閉ざして黙考する。
 汚染の原因となっているものは、今の生活の根幹となっている。止めるとなれば、技術が進歩する以前の生活基準に戻ってしまう。それで人類が絶滅するわけではないが、難しい。魔術がまだ残っていたならば汚染原因の技術使用を縮小できたかもしれない。ただ、今また魔術を広めるには時間がかかる。
 それに、魔術は創世樹の力を引き出すものだ。使い過ぎるのも問題だ。
「そんなの無理よ。私達の世界が抱えている問題は他にもあるのよ」
 ソールが口を挟んだ。
 科学技術の発達で生活基準が向上しなければ、膨大な数の孤児が溢れてしまう。孤児や貧しい人達がどうにか生き伸びている背景には、生活水準の高さもあるのだ。
「今直ぐ、全てを止める事はできません」
 ユウは言った。生活の根幹にあるシステムを停止しては、人間達の多くが死んでしまう。
「我々の世界も辛いのだ。直ぐに止めて欲しい」
 フィルダニアは一歩も退かない。
「僕一人の意思だけではそれを決定する事はできません。皆で話し合って、それから徐々に減らしていく必要があります」
「……無自覚な人間達に歩み寄れるのはここまでだ」
 今直ぐにできないのなら創世樹を切り倒す、そう言っているように聞こえた。
「僕達の方の事情は理解しようとしてくれないのですか?」
 ユウの問いに、フィルダニアは何も答えない。
 ただ、それが合図のように周囲の地底人達が動き出す。
「数が多いよ!」
 リネアが声を上げる。
 ユウの脇を、ゼアが駆け抜けていく。その口元に笑みが浮かんでいるのを、ユウは見た。神器、翔雷を抜き放ち、多数の敵の中へと飛び込んで行く。
「無茶をするんじゃない、ゼアっ!」
 ユウがの声は空しく響き、周囲で戦いが始まった。
 ユウとフィルダニアは向き合ったまま、無言で互いを見つめている。周囲の戦いは二人を避けるように繰り広げられていた。
 大槌が地面に叩き付けられ、土が周囲に噴き出す。リネアが上空へ吹き上げられた土を足掛かりに大きく跳躍し、空中から炎を撒き散らす。
「見つけた……!」
 ソールが低い声で呟いた。その視線の先にいるのは、片腕の地底人だ。神器、息吹が光の矢を形作る。放たれた光が弾け散り、風の矢が突き抜けていく。周囲に巻き起こった風が地底人を薙ぎ払うように吹き飛ばし、隻腕の地底人の額を貫いた。
「大勢の命を奪うのが、正しいなんて思わない……!」
 かつて、国の再興騒動で大勢の人が死ぬ光景を見続けてきたソールは、人の死を嫌う。
 列車事故を起こそうとした地底人が許せない。過去の経験から、ソールは感情を押し殺しがちだ。それでも、感情豊かな心を持っている。些細な事だと周囲に見せていても、本心では重く捉えている。
 ユウはフィルダニアへ目を向けた。
 周囲に吹き荒れる戦いの余波がユウの髪を揺らす。
 雷撃が舞い、風が突き抜ける。炎が吹き荒れ、大地が揺れる。
「お前は、戦わないのか?」
 フィルダニアの言葉に、ユウは何も答えない。
「自分達の存続のために戦う意思すらないのか、人間は」
 何も言わないユウに、フィルダニアは言葉を続ける。
 この戦いを受けるというのは、どちらか勝った方が生き残る権利を得るという相手の意見を承諾するのと同じだ。ユウはどちらの意見も尊重したい。
 フィルダニアが殺気を解き放つ。それでも、ユウは顔色一つ変えなかった。
「くそっ! きりがねぇ!」
 ディガンが呻く。
 大槌を地底人に叩き付け、振り回し、接近を防いでいるものの追い詰められている。弓による単発の遠距離攻撃しかできないソールも、リネアも押されている。
 そもそも、地底人の数がほとんど減っていない。攻撃をする者と防御に徹する者が完全に二分化され、役割をこなしているのだ。四人の攻撃は防御に徹する地底人の能力に阻まれてほとんど通らない。逆に、地底人側は四人に容赦無く攻撃を加えていく。四人も攻撃をかわし続けて応戦しているが、避け切れなくなるのも時間の問題だ。
 唯一、ゼアだけが一人奮闘している。
 攻撃をかわし、踏み込んで斬る。防がれたら潔く後退して反撃を凌ぎ、また斬り込んで行く。敵の攻撃を最小限の動きでかわし、雷撃を伸ばしては回避を繰り返していた。余裕はなかったが、ゼアの口元には笑みが浮かんでいる。かなりの時間をかけて、どうにか一体を切り伏せた。
「……お前は、何故戦わない? 仲間は必死になっているというのに」
「それが、彼らの役目だから」
 ユウの代わりに戦うのが、ゼア達の役目だ。
「うっ!」
 地底人の攻撃がソールを吹き飛ばす。
「ソールっ!」
 背中から地面に叩き付けられ、無防備になった彼女の前にディガンが飛び出した。大槌を振り回すが、見えない壁がその動きを途中で押さえ込む。渾身の一撃を防がれたディガンに、地底人が放った光が炸裂する。爆発がディガンを吹き飛ばし、その手から大槌が離れた。
 素早く動き回っていたリネアも、地面から生えた手に足を掴まれて倒れ込む。無数の刃がリネアに放たれる。足を掴まれたまま、自由な両手と片足を使って器用に身体を入れ替えて刃をかわした。だが、地面に着いた右手を掴まれ、動きが封じられる。
「やばっ……!」
 地底人の拳がリネアの脇腹に打ち込まれる。丸太を突き込まれたような衝撃に、リネアが目を剥いた。
「ぎぃっ……!」
 二発目を食らうと同時に手足が解放され、軽いリネアの身体が木の葉のように舞った。仰向けに倒れたディガンの傍まで転がり、リネアはうつ伏せに倒れ込んだ。
 立ち上がろうとするソールの右肩が裂け、鮮血が噴き出す。肩を押さえてよろめいたソールの右腿を閃光が貫き、転倒する。
「一人、別格な者がいるようだな」
 フィルダニアがゼアに視線を向ける。
 途端に、地底人全員が攻撃を止めてその場から退いた。まるで、フィルダニアとゼアに戦場を明け渡すかのように。
「……退いた、という事はお前が一番強いんだろうな?」
 多少呼吸を乱していたが、ゼアはさほど汗をかいていない。
「お前もこれだけの数を相手に立ち回るとはな」
 フィルダニアが目を細める。
 ゼアは深く息を吐き出し、神器を正眼に構えた。ゼアの顔から表情が消える。ただ、口元にはまだ笑みがある。
 先に動いたのは、ゼアだった。駆け出し、神器を横に一閃する。雷撃が刃を伸ばすかのようにフィルダニアへ目掛けて迸る。
 だが、フィルダニアの足元から突如吹き上がった土砂が雷撃を防いだ。同時に、土砂の中から先端の尖った岩石がゼアへと無数に放たれる。岩の槍が降り注ぐ中へ、ゼアは駆け出していた。
 雷撃は土を貫けない。翔雷が持つ神器としての特殊能力は、フィルダニアの力とは相性が悪い。ならば、神器として鍛えられた刀身そのものの切れ味を用いて戦う以外に術はない。刀身が届く間合いであれば、例え土が相手でも切り裂ける。
 突如、岩の降り注ぐ中を駆け抜けるゼアの足元から、土砂が吹き上がった。前方からだけでなく、真下からも攻撃を受け、ゼアが横へ身を投げる。その地面が盛り上がり、鋭利な刃を形作ってゼアへと迫る。ゼアは神器を逆手に持ち替え、土でできた刃を切り裂いた。
 着地した足元から岩の槍が噴き出すより早く、ゼアは後方に飛び退いている。
 相手が土を操るのなら、立ち止まる事は死を意味する。どこにいようとも、地面があれば真下からも攻撃ができるのだから。
「できるな、人間……!」
「お前もな」
 フィルダニアに、ゼアは笑って見せた。フィルダニアも笑ったように見えた。
 だが、次の瞬間、ゼアの手から神器が離れていた。
「――磁鉄鉱か!」
 ゼアが始めて驚いた表情を見せる。
 神器はゼアの背後で盛り上がった地面に突き刺さっていた。
 土を操り、磁気を強く帯びた土砂でゼアの手から神器を奪ったのだ。雷撃を纏い、金属で出来た翔雷は、磁気に強く引き寄せられる。
「お前の負けだ」
 フィルダニアの言葉に、しかしゼアは笑みを見せた。神器の鞘を握り締め、フィルダニアへと突撃する。目の前の地面が膨れ上がるのを見て、ゼアは鞘の先端を地面に突き立てた。そのまま、棒高跳びのように盛り上がった地面を飛び越え、フィルダニアを間合いに捉える。
 神器の鞘が唸りを上げて振り抜かれた。フィルダニアの身体に横合いから叩き付けられた鞘は、それでも決して折れる事はない。そのままフィルダニアを大きく吹き飛ばした。
「まさか、我に触れられる人間が現れようとは……!」
 地底人達にどよめきが走る。
「なら、負けるのも初めてか」
 フィルダニアに対し、ゼアが言い放つ。
「言ってくれる!」
 ゼアを取り囲むように地面から土砂が噴き出し、視界を塞ぐ。土砂はゼアの周囲全てから吹き上がり、砂嵐のように暴れ回る。その中から、時折岩の槍が飛来する。最初はどうにかゼアもかわしていたが、やがて数が多くなるに連れて身体を掠めるようになっていた。
 神器の力を抑え込む程に強靭な鞘で、ゼアは攻撃を打ち払い続ける。砂塵に紛れて、一際大きな岩がゼアの背後から飛来する。その風の流れに気付いたゼアが鞘を振るう。だが、岩はゼアの鞘をかわした。
 フィルダニアがゼアの目の前にいた。
「勝敗は決した」
 無機質な声に、砂塵が納まる。フィルダニアの爪が、ゼアの身体を切り裂いていた。ただ、その瞬間、ゼアは一歩後ろへと退いていた。
「ほう、それでも致命傷は避けたか」
 感心したように、フィルダニアが呟く。
 深く切り裂かれた胸から、血が溢れ出す。滴り落ちる血が足元に赤い水溜りを作っていた。荒い呼吸のまま、それでもゼアは倒れずにフィルダニアを見据えている。
「気に入った。お前は最後まで生きていてもらおう」
 ゼアが、足元から噴き出した土に吹き飛ばされる。
「俺が、お前に勝つとは言ってないがな……」
 倒れながら、ゼアが呟いた。その言葉がフィルダニアに届いていたのか、ユウにも判らなかった。フィルダニアは、ただ一人だけその場に立っているユウへ視線を向けた。
 一歩も動いていない。視線だけを動かして、戦いだけを見守っていた。
「我等は、この世界を滅ぼす」
 フィルダニアが宣言し、静まり返っていた地底人達が雄叫びを上げる。
「……それは、困るな」
 静かに、だがはっきりと、ユウは呟いた。
「なに?」
 フィルダニアがユウに視線を向ける。
 そこに、いつものユウの姿はなかった。優しげな笑みはなく、眦が吊り上っている。どこか達観したような雰囲気はなく、どちらかと言えばゼアに近い、鋭い目つきに変わっていた。

 *

 ディガン達は一箇所に固まってその様子を見ていた。
「おい、ユウの様子が……」
「そっか、おじさんは知らないんだ」
 少しだけ苦しげに、リネアが言った。
「知らない?」
「ユウの実力よ」
 熱っぽい息を吐きながら、ソールが呟く。
「あいつ、戦えるのか?」
 ユウが戦う姿を、ディガンは一切見ていない。いつも薄く笑みを浮かべ、戦いを避けるように動いていた。仲間達の中で、ユウが最も弱く見えたのだ。
「戦えるなんてもんじゃない。俺達全員でかかっても、あいつに傷一つ付けられないだろうな」
 上体を起こしたゼアが忌々しげに呟いた。
「何だって……?」
 ディガンには理解できなかった。神器を持つ四人がかりでユウが倒せないどころか、傷一つ付けられないなど、信じられなかった。
 戦いが、始まるまでは。
「あいつの苗字、知ってるか?」
「そういえば、知らないな」
 ユウの言葉に、ディガンは首を傾げた。
「ユウ・ライウ。それがあいつの名前だ」
「ライウ……?」
 ディガンは眉根を寄せる。ライウと言えば、かつての大戦を終結させた存在の名前だ。だが、勇者に因んでその名前を付ける者も多くないが、いる。珍しいといえば珍しいが、驚く程の事でもない。
「違う、あいつが、本人なんだ」
 そのディガンの考えを読んだかのように、ゼアは告げた。
「バカ言え、五百年も前の話だぞ」
「クオンって言葉、知ってる?」
 訳が解らないといったディガンに、ソールが口を挟んだ。
「クオン、創世樹を守る、古い種族。人間と同じ外見を持ちながら、寿命は人間の十倍近く。そして、一生の八割を青年期で過ごす種族よ」
 ソールが言った。
 見た目は人間でも、中身は全く別の生き物と考えても差し支えのない種族がクオンだ。寿命は平均千年と言われ、生まれて五十年で青年期を迎える。青年期はそれから九百五十歳まで続き、それ以降は急速に老化していく。最も身体能力が高い、活動力がピークに達する期間が長い種族なのだ。同時に、その身体能力は人間を遥かに上回る。
 膨大な知識と経験を抱え、高い身体能力を長期間保ち、創世樹を守るのがクオンという種族なのだ。
 彼らの唯一の難点は、クオン同士でなければ種を残せない事と、その生殖能力の低さがある。長寿故に、一生のうちに残せる子孫が極端に少ないのだ。
「って事は……!」
「あいつは、五百歳を超えている」
 声を震わせ、目を見開くディガンに、ゼアが告げる。
 正確な年齢はユウ自身しか知らないが、五百年前の大戦を治め、それ以来この世界を影で支え続けて来たのは間違いない。ライウという名を使わなかったのは、自分の身分を隠すためだ。
 そして、ディガンはユウの戦いに目を見張った。
 彼が手にはめたグローブの水晶球から水流が溢れ出している。ユウはその水流を意のままに操り、無数の地底人を薙ぎ払っていた。ただ、真っ直ぐに歩くユウの周囲を水流が守っている。近付く地底人を水流が薙ぎ払い、どの攻撃をも通さない。
「あいつ、こんなに強かったのか……!」
 ディガンが首筋が粟立つのを感じていた。四人が苦労した数を相手に、ユウは平然と戦っている。
「元々、神器は全てユウが使っていたんだよ」
 リネアが呟いた。
「何で、最初からあいつが戦わないんだ……」
「お前みたいに考える奴が多いからだ」
 ディガンの疑問を、ゼアが一蹴した。
 ゼアの冷ややかな視線に射抜かれて、ディガンははっとした。
 最早、人間の中にユウと肩を並べて戦える相手はいない。五百年もの間、生きて来たユウの戦闘経験はかなりのもののはずだ。そこで培われてきた身体能力に追い付ける人間がいるとは思えない。何せ、人間の寿命はクオンに比べて短く、青年期も極端に少ないのだ。同じだけの経験をする期間がないのだ。
 だが、それを知れば人間達は厄介ごとを全てユウに押し付けたがるだろう。戦いはユウに任せればいい。そう考えるに違いない。最初からユウが戦えば誰も傷付かず、苦労せずに済む、と。
 しかし、それでは人間が堕落するだけだ。自ら戦おうとしなければ、人間は近い将来、滅びるだろう。だからこそ、ユウは戦わない。自分の代わりに戦う仲間を集め、ユウは言葉だけで対応する。いわば、ディガン達の方が人間の代表なのだ。
「俺は、いつかあいつを超える」
 ゼアが言った。
 ディガンは、ゼアに視線を向けた。彼はただ、真っ直ぐにユウを見つめている。
「そのために、俺はあいつの仲間になった」
 ゼアの目標は、ユウなのだ。ユウを超える強さを身に付け、彼を倒す。それがゼアの最終目標になっていた。
「あいつの力を借りなくても、人間はこの世界で生きて行けると、証明する」
 ゼアは、きっぱりと言い切った。
 そのために、ユウの戦いから、彼の全てを吸収する。確かな意志がゼアの目にはあった。
「ユウはね、人間のためには戦わないんだよ」
 リネアが言った。その目は、少しだけ残念そうに見えた。
 ディガンも、リネアの言葉で理解した。ユウは人間のためには決して戦わない。人間のために戦う事で、人類が堕落してしまうかもしれない。そう思っているから。
 なら、今ユウが戦っている理由は――。

 *

 ゼア達が敗れたのならば、ユウが戦う以外に創世樹を守る術はない。
 だから、ユウはかつての自分に戻った。ライウという名だけを残して、大戦の世界を歩き回った時の自分自身に。
「この世界を、滅ぼさせるわけにはいかないんだ」
 ユウは呟いた。
 この世界には、大切な人がいる。ユウが何よりも大切にしている、シルヴィアが。暫く会っていなかったが、寿命の長いクオンにとってはまだ短い期間に過ぎない。これからシルヴィアと過ごす時間は沢山ある。その世界を滅ぼさせるわけにはいかない。
 まだ、希望はあるのだ。この世界も、地下界も共存できる道はあるはずだから。
 グローブの甲から溢れ出す水流がユウを守る。
 神器は、魔術を用いて創世樹の一部から作り出したものだ。魔術を用いて樹液を結晶化した、ユウが今使役している神器『流聖(りゅうせい)』だ。全ての水を生み出し、操る特性を持つ武具だ。
 高圧の水流が向かってくる地底人を薙ぎ払う。形を変える水を抑え込むのは難しい。防壁を張る者もいたが、防壁の隙間へと水は流れ込み、地底人達を押し流す。
 水晶球から直に水流を放ち、鞭のように振り回す。細く絞り込まれた高圧の水流が複数の地底人を両断する。
 ユウはソールが取り落とした弓へ手を伸ばした。ユウの手の甲から放たれた水が弓を運び、神器『息吹』を手に掴んだ。水に守られながら、ユウは弓を引く。
 衝撃波も、炎も、風も、ユウを中心に荒れ狂う水流を貫けない。衝撃波や風は水の質量と圧力に負け、炎は冷やされて掻き消される。金属片も水流が削り去り、消滅させる。
 引き絞られた弓から矢が放たれる。光が弾けると同時に、暴風が吹き荒れた。無差別に拡散した風の矢が地底人の半数近くを吹き飛ばし、命を奪う。
「お前……」
 フィルダニアが絶句する。
「俺にはかつて、フィクタスという仲間がいた」
 表情を変えず、淡々と地底人を薙ぎ払いながらユウは語り出した。
 大戦の最中、ユウはシルヴィアと共に戦っていた。大戦の原因と解決の方法を探す二人は、フィクタスという男と出会った。彼は、地底人だった。興味本位で地下の禁忌を破り、地上へ出て来た彼の力は、身体の外見を変化させるというものだった。人間と同じ姿でありながら、人を超えた身体能力を持つフィクタスは、ユウとシルヴィアに力を貸してくれた。
「あいつは、色々俺に教えてくれたよ」
 戦いを最も嫌っていたのは、フィクタスだった。当時のユウは今とは比べ物にならないほど、好戦的な性格をしていた。しかし、大戦はユウを変えた。
 魔物を率いていたのは、人間だった。創世樹に触れ、その一部から魔物を生み出し、自らも強大な力を手に入れた人間だったのだ。ユウは三長老から創世樹の一部を用いて作り出された神器を手に、戦った。
 しかし、大戦の末期、フィクタスは戦いの中で命を落とした。
 ユウはその時から、戦いを避けるようになった。フィクタスのように、戦いとは違う解決策を模索するようになったのだ。
 大戦後、ユウは人間の復興に尽力し始める。しかし、ユウ自身は極力戦わないようにしてきた。人間の中から数人の仲間を選び、彼らに戦う役目を担ってもらうようになったのだ。
 全て、フィクタスに教えられた事だ。人間達の問題は人間達自身が戦い、解決せねばらなない、と。
「地下の事も、聞いたよ」
 ユウは、彼から地下の存在を聞いた。
「あいつは、この世界も、地下も、手を取り合うべきだと言っていた」
 フィクタスは確かに人間だった。
「だから、お前の一方的な意思でこの世界を滅ぼさせはしない」
 口を閉じた時、残っているのはフィルダニアだけになっていた。
 吹き荒れる風と、ユウの周囲を守護する水。いつの間にか、右手には翔雷を握っていた。雷撃が水を伝い、ユウの周りで火花を散らしている。
「……安心しろ、俺を殺せば強硬派はいなくなる」
 フィルダニアは言った。
 そして、砂塵を纏う。
 ユウは左腕をゆっくりと薙いだ。手の甲、グローブの水晶球から霧が舞う。砂粒に触れた水滴は重さに耐え切れず地面に落ちた。フィルダニアが巻き上げた土砂へ、ユウの身に纏った水流が真っ向からぶつかっていく。混ざり合う水と砂は泥と化して地面に崩れ落ちた。
 土はあらゆるものに強い。風も通さず、炎を掻き消し、雷を受け止める。だが、水とだけは混ざり合う。混ざり合ってしまえば、意思の強い方が勝つ。
 雄叫びを上げ、突撃してくるフィルダニアを、ユウは真っ直ぐに見つめていた。
 ふっと、小さく笑う。負けを認め、殺されに来るのだと、解ったから。
「お前がそれを望むなら」
 ユウは水平に持ち上げた翔雷を振るった。水流が切断力を強化し、雷撃の威力を倍加させる。振るわれた軌跡に水滴が舞い、尾を引く雷光を反射して煌めいた。
 両断されたフィルダニアがその場に倒れる。
 ユウはだるそうに溜め息をつくと、水流を周囲にぶちまけた。水流が地底人の死体を飲み込み、創世の場から流し去った。
「まぁ、今回は戦ってもいいか」
 大樹を見上げ、ユウは物憂げに呟いた。
 創世樹はただ美しい姿で立っていた。
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