第二章
 第五話「ダイターンな峻くん」



「と、言うことがあってねぇ」
 などと言いながら、ワハハ、と笑う聖哉の横で、美玖がニコニコしながら話を聞いてくれていた。会話の内容は、先程の老貴兄弟の頼みごと。三日後にサッカー部のレギュラー陣と、兄弟のポジション争いをかけて行われる試合のことだ。
「へぇー、じゃあ聖哉さんも、その試合に出るんですね」
 声を弾ませたように、美玖。少女は何だか、嬉しそうだ。
「……うん、出るよ」
 何かを期待されている、と言うことを直感で察した聖哉。本当は老貴兄弟のマヌケぶりを披露する笑い話のはずだったのになぁ、とやや冷や汗。
「面白そうですね。どこでやるんですか?」
「んぅ、とね。河川敷のサッカー・コートって言ってたかな。あの、微妙に芝生が生えてる所だよ」
「何時ごろですか?」
「三日後の午後、やたら暑い時間帯だったと思うけど……み、見に来るの?」
 嫌な予感を言葉に出すと、美玖は満面の笑顔で、
「はい、行きたいです!」
 と元気に返事をしたのである。明るい君が眩しいぜ。
 聖哉は背中に流れる冷や汗を感じた。
「え、えぇ〜、とね。多分、そんなに面白くないかなと。ほら、昼の後でやたら暑いし、ほぼ遊びみたいなものだしさ、止めといた方が宜しいのでわないかと……?」
 歯切れ悪く、聖哉がマイナスポイントを並べ立てていくと、途端に美玖が眉尻を下げて、
「もしかして、迷惑ですか……?」
 なんて可愛らしい言い方をしてくるので、聖哉は慌ててギクンとなるのである。
「イ、イヤイヤイヤヤイ! 迷惑なんかじゃないよ! ただ、色々と厳しい条件だから、見に来てくれるなら色んな準備が必要だよね、って話でさ」
 冷や汗を頭から飛ばす、器用な焦り方で必死に言い訳をする聖哉くん。カッコ悪いです。
「あ、そうですよね。日焼け止めやタオル、日傘なんかも持ってかなきゃダメかもです。水分も必要ですし……私、ちゃんと用意しますね」
 ニコ、と微笑む美玖の表情に華麗にノックアウトされる聖哉。彼はもう、ホントは来て欲しくないなー、カッコ悪いところを見せたくないなー、なんて後ろ向きな思想はどこへやら吹き飛んでしまって、彼女の笑顔に脳内を支配された情けない地球人になってしまったのである。
 それどころかあまつさえ、
「俺も、美玖ちゃんが見に来てくれるの、嬉しいよ。今回は真剣勝負らしいから、美玖ちゃんのために、頑張ってプレーするからね」
 なんて、別人になったかのごとく頼りになるセリフを吐いてしまう始末である。
「はいっ、たくさん応援しますから、頑張ってくださいね!」
 ファイト、と小さなコブシを握り締める美玖ちゃんラブ。とか思ってる聖哉の脳みそは既に茹だっているのだ。
 そんな、二人が歩く真夏の夕暮れ、やや遅い時間帯の住宅街。太陽が山陰に沈まんとする眩しい西日の中で、彼らが雑談を交わしながら先に進む、そんな時。
 ふと、聖哉の視界に見知った影が映った。
 アレ? と思って振り向いた先には、短めの髪の毛とガッシリした体格の少年が一人。颯爽とチャリンコを駆るその後姿は、正しく硝子 峻くんその人である。
 隣の美玖も気付いたようで、彼女は聖哉に促した。気にせず声をかけてください、ということである。聖哉はそれに甘えて、今まさに大声を張り上げようとするのだ。
「うぉ〜い、峻く――!」
「せ、聖哉さん!」
 張り上げた声音が途切れると同時に、美玖もまた驚愕の表情を浮かべた。視線の先には、峻が自転車を止めて、一人の少女と対峙している様子が展開されているのである。
 そして聖哉と美玖は、互いに顔を見合わせた後で、コソコソと峻の背後へと忍び寄った。その間にも峻は自転車を降りて、本格的に少女と会話を始めようとしているではないか。
 住宅街の中で、電柱に隠れてベストポジションをキープする古臭い二人。そんな彼らの様子に気付くことなく、峻は目の前にいる小柄で愛らしい少女を見詰めていた。一方の樹理もまた、ちょっとだけ眼つきを険しくしながら、隣家の幼なじみを見詰めているのである。



 峻は、偶然にも道端で樹理に会えたことを、素直に嬉しく思った。
 夕暮れの帰路で遭遇した少女は、峻を睨みつけるような目で見ているが、避けようとはしていない。それはとても喜ばしいことである。本当に嫌われているのなら、彼女はきっと無視してしまうだろうから。
 それが分かっているからこそ、峻は朗らかに樹理へと声を掛けるのだ。
「やぁ、樹理ちゃん。久しぶりだね。いま帰り?」
「別に、……あんたなんかには関係ないでしょ」
 ぷい、とそっぽを向いてしまう少女。でも峻には、返事をしてくれるだけで、充分だった。
 だから、うん、そうだね、とだけ苦笑いして、すぐに話題を変えるのだ。
「あのさ、三日後、暇かな?」
「へ、三日後……? 三日後が、どうしたのよ」
「うん。三日後にさ、河川敷のグラウンドで、サッカーやるんだ。良かったら見に来てくれないかな、と思って」
 と、朗らかに会話を続ける峻くんだが、正面の樹理は面食らった表情になり、
「さ、サッカー? なに言ってんのよ、いったい?」
 突然の話題に困惑気味である。
 だが峻はそんな彼女の様子に構うことなく、話を続けていく。
「老貴兄弟に誘われたんだけどさ、なんかサッカー部と試合をするんだって。それにオレも出るからさ」
 だから応援に来てよ、と。峻は微笑んだ。
「な、……なんでよ! そんなの、あたしには関係ないじゃない!」
 当惑した樹理が、顔を真っ赤にしながら怒鳴る。だが峻は微笑を消さずに、
「確かに、樹理ちゃんには関係ないよね。でも、オレは、樹理ちゃんに来て欲しい。見て欲しいんだ、樹理ちゃんに」
 その声はとても穏やかで、峻は自分がこんなに落ち着いた気持ちでいられることに、不思議な気分を抱いていた。だが今は、そんな自らの心境が、とてもありがたいと思える。
 一方の樹理はと言うと、相変わらず顔を朱に染めながらも、まるで峻に気圧されたように言葉を出せないでいるようだ。峻は、ちょっと畳み掛けすぎたかな、と思いながらも、言葉を止めることはしない。
「お願いだよ、樹理ちゃん。三日後の昼過ぎに、試合を見に来て欲しいんだ。そうすればオレは、全力を出せる、そんな気がするから」
「そ、だっ、あたしは……その、そんな暑い時間に、あんたなんかの為にそんなとこ行かなきゃいけないなんて、じょ、冗談じゃないわよ。女の子が夏に出かける大変さ、分かってないんでしょ……」
「うん、ごめん。ワガママ言ってる。でも、オレには樹理ちゃんが、必要だから」
「な、なななな、な――! あ、あんたねぇ……!」
 しどろもどろな樹理が、耳まで真っ赤にしたまま、さらに反論しようと口を開く。峻はその後に続くどんな罵詈雑言も受け付けない覚悟で、彼女の言葉を待った。だが当の本人は目を見開くと、驚いたような表情で固まってしまう。
(………………?)
 どうしたのかな、と思った瞬間に、彼の肩に触れる手があった。
 ポン。
「うわひゃあっ!?」
 思わずそんな声を上げてしまった後で、焦ってそちらに首を巡らすと、そこには呆れたような聖哉の顔が存在したのだ。
「峻くん……なんか、もうちょっと、落ち着こう」
 うええええっ!? と混乱する峻だが、その視界の中では美玖が、樹理の傍へと寄っていたのである。
「樹理ちゃん、一緒に帰ろう」
 と樹理を促す美玖。
「み、ミクち? どうしてここに?」
「それは良いからさ、行こうよ、ね?」
「う、ううぅ、うぇ? え、あ、ちょっと……!」
「それじゃあ、聖哉さん。また連絡しますね」
 あっ、と言う間に、美玖は樹理を押しながら曲がり道へと消えてしまった。その、そそくさとした態度から、峻は一つの結論へと達したのである。
(み、見られてた!?)
 先程までの自分をリフレインして超赤面。
 その横では聖哉が、じゃあねー、と笑いながら美玖へと手を振っていたのだが、彼女たちの姿が見えなくなるとこちらを振り向いて、
「あのさぁ峻くん、強引すぎだよ。もうちょ、――ちょおー!?」
 言葉が途切れたのは、峻が唐突に尻餅を付いたからだ。ドスン、と音がして衝撃を認識した時、峻はようやく、自我を取り戻したのである。
 だ、大丈夫かー!? と呼びかける聖哉の声を少し遠くに聞きながら、峻はボンヤリと虚空を見上げ、
「は、はは、は、ハハハハ、……」
 と乾いた笑い声を響かせて更に聖哉を心配させた。
 だがすぐに正気に戻った峻は顔を上げると、
「み、見てたの? 聞いてたの?」
 と問うている。とても頬が熱い。
「……うん、残念ながら」
「やっぱりー!?」
 うわー、うわわー、と慌てふためく峻くんに、聖哉はボソリと、
「いや、なんか、意外な一面を見たなーって、そんな感じ」
 などと言ってくるので恥ずかしさは倍増である。
 うっわ恥ずかしー! と思わず叫んでしまう峻に聖哉は苦笑を一つ。
「とりあえず立ち上がりなよ」
 と手を差し伸べてくれるのだが
「……うん、まぁ、その」
「ん?」
「こ、腰抜けた……」
「……はぁ?」
 素っ頓狂な声を上げる聖哉に、峻は大粒の汗である。
「腰抜けって……そんなに驚いたの?」
「いや、そうじゃなくてさ。なんか、落ち着いたら、力が抜けちゃって……」
 どうやら峻は、樹理を目の前にした時、自分の想像以上に緊張していたようである。あんなに落ち着いていた気分が今は何処へやら、樹理の姿が見えなくなった瞬間に安心して、膝が折れてしまったのだ。情けない。
 そんな事情を察したのだろう、聖哉は一つだけ、そうか、と頷いただけだ。笑うでもなく真剣な表情になった彼は、よっこいしょ、と腰を下ろして峻と視線を合わせる。
「そんなに好きなんだね、あの娘のこと」
 聖哉は真面目に、そう言った。
 だから峻も、真面目に返したのだ。
「うん、やっぱり、大好きだ。オレは昔みたいに樹理ちゃんと仲良くしたくて、だから……」
「だから、あんなに強引だったんだね」
「ん、……だから必死になってたんだと、思う」
 そうなのだ。彼女への気持ちが強いから、峻は脈絡も無く話題を切り出して、自分の主張だけを繰り返したのだ。
 本当に、必死だったのだ。
「そか」
 聖哉はまた、そう言った。その後で、
「大丈夫、きっと来てくれるよ。だって彼女は、峻くんの思いを、受け取ってたんだから」
「うん……そうだよね」
 だから、頑張ろう。そう笑った聖哉の心遣いが嬉しくて、峻は深く、頷いたのだ。



 はい、と差し出した缶ジュース。樹理はそれをゆっくりと受け取って、ありがと、と言ってくれた。それを聞いて、美玖はニッコリと笑って、自分のジュースのプル・トップを空ける。
 小さく、空気の抜ける音が聞こえて、次にもう一つが空けられる。樹理が小さく、冷たい飲み物を口に含んだ。
「落ち着いた?」
 美玖はそう聞きながら、自分もまた、ブランコに腰を下ろす。すでにそれに腰掛けていた樹理は、小さくそれを動かしながら、うん、と頷いた。まるで拗ねているような様子に、可愛いな、と美玖は微笑んでしまった。
 ここは先程の位置から少し離れた、樹理の家の近くの公園だ。夕暮れ間近の黄昏時に、二人の少女はジュースを飲みながらブランコに座っているのである。幸 い、夏休みとは言え既に公園に人の姿は無く、微かに子どもが遊んでいたであろう砂山が、西日を受けて小さく影を作っているだけだった。
 美玖はジュースを一口、喉に流す。甘くて冷たいオレンジの風味が、ゆっくりと全身を満たすようだった。
「樹理ちゃん、あの先輩と知り合いだったんだね」
 優しい声音。それはただの、確認だ。
「うん……幼馴染み」
 樹理もまた、ゆっくりと答える。
「そっか。だから樹理ちゃん、私と先輩の――聖哉さんとのこと、反対してたんだね」
「うん。――ごめんね」
 ううん、良いの。と美玖は笑った。樹理は少しだけ顔を俯けてしまった。
 項垂れて、そして真剣な顔で何かを考えている樹理。彼女の姿は愛おしい。
「――好きなんだね、その人のこと」
 自然と、口をついて出た言葉。それは、確信だ。
 少しだけ間が空いて、樹理は、うん、と頷いた。
「好きだよ。昔からずっと、大好きで……でも、ずっと、すれ違ってた。それが苦しくて、辛くて、でも、変えられなかった」
 ポツリポツリと、漏らすように。その言葉は悲しそうで。彼女は多分、必死なのだ。
 美玖は自分の中で、優しい気持ちが広がっていくのを、感じていた。
「……何があったの、樹理ちゃん。そんなに好きな人に、辛く当たってしまう、きっかけがあったんでしょ?」
 呼びかける様に、じっ、と見詰めたまま。でもその微笑は消すことなく。美玖は樹理に語りかける。
 少しだけ、沈黙。話す事を迷っているのか、と思ったが、違う。樹理は言葉を整理しているのだ。
 話の内容を決めたのか。少女はゆっくりと顔を上げて、美玖の瞳を、真っ直ぐに見詰めた。
「あたし、ね。峻のこと、昔からずっと、大好きだった。優しくて頼りがいのあるお兄ちゃんで、何でも一生懸命で。小学校まではずっと、ベッタリだったなぁ。そうそう、時々マヌケで、変なドジをする所もカワイくて、……あと、笑顔が可愛いの。くしゃ、てなる感じで」
 そっ、と目を細めて、樹理は思い出を呼び起こす。その表情は柔らかい。
「でも、ね。中学に入って、一年間、学校が違ったでしょ。だから久しぶりに同じ校舎に居られる、て張り切ってたら、さ。案外、モテてたのよね、あいつ」
 苦笑。照れ臭い事を言っている、とばかりに軽く頭を掻く樹理だが、美玖は黙って続きを待った。
「……だから、ね。小さな嫉妬心が芽生えてたんだと思う。誰にでも優しい峻だから、好意を持たれてたって言うよりも、便利屋みたいに頼られてたってだけな んだろうけど。でも、他の女の子に優しくしてる所を見て、やっぱり悔しかったんだろうね。何となくイライラし始めてさ。ある日、小さなことで喧嘩になった んだよね。内容もよく覚えてないような小さなことなんだけど、あいつの優柔不断な性格が災いしたんだと思う」
 それから、何となく避けるようになって、と樹理は続けた。表情が沈んでいるのを見て、彼女はそれを後悔しているんだ、と分かる。
「そう、なんだ……」
「うん。その後、峻はすぐに謝ってくれたんだけど、あたし、意固地になってて。そんな態度をとり始めたら、収まりが付かなくなっちゃったんだ」
「だから、あんな風に素っ気無い態度を装ってたんだね」
「くっだらない理由だよね。あたし、自分がこんなに頑固なんだって、考えてもいなかったから」
 明るい口調を装っているけれど、樹理の声は少しだけ、震えていた。自分の中で改めて反省して、それがどれだけ偏狭で情けない事なのかを、自覚してしまったのだろう。
「ううん。それは、しょうがないよ。確かに樹理ちゃんは意地を張っちゃって、時間を無駄に過ごしてしまったのかもしれないけれど、でもちゃんと振り返れてるじゃない。後悔もしてるんでしょう? なら、もう大丈夫だよ」
 美玖はそう、優しく笑いかけた。
「そう、かな?」
「うん、そうだよ。樹理ちゃんはただ、キッカケが欲しかっただけ。ほんとは早く仲直りしたいんだもんね」
「……うん、そうだよ。あたし、また昔みたいに、峻と――」
 そう言ってから、少しだけ言葉を詰まらせた。そして思い立ったように再び口を開くと、
「違うよね。あたし、ちゃんと峻に、好きって伝えたいんだ。それで、ごめんね、て言いたいんだ」
 確認するように、自分に言い聞かせるように、樹理が言葉を紡ぐ。それは、彼女が少しずつ問題を解決して行っている、と言うことなのだ。
 だから、美玖は、笑みを深くした。
「よかったね、樹理ちゃん。それが分かれば、もうすぐ仲直りできるよ」
「えっ?」
「だって、キッカケはもう、向こうが用意してくれたじゃない」
 美玖がそう言うと、キッカケ? と眉を寄せた樹理が、すぐに思い至って目を軽く開く。
「その……三日後?」
「うん、そう。硝子先輩は樹理ちゃんに来て欲しくて、仲直りしたくて、誘ったんだよ。だから、応援に行こうよ」
 私も行くから、と美玖が言うと、少しだけ眉根を寄せた樹理は、
「ミクちは、彼氏の応援に行くんでしょ」
 と半眼で睨んでくる。
「えへへ」
 美玖が悪びれたように舌を出すと、まったく、と樹理が溜息一つ。でもその後で真っ直ぐに視線を合わせて、真面目な顔をすると、
「うん。あたし、行くよ。それで、伝えたいことを……キッカケを、ちゃんと掴んでくる」
 そう、決意の言葉を口にする。そのサッパリしたような表情を見て、美玖は、良し、と立ち上がった。そんな彼女の背中に、ありがとねミクち、と小さく声が掛かってきた。
 美玖はニッコリと微笑んだ。これで問題は解決だ。あとは三日後の試合を楽しみに待っていれば、きっと良い結果に繋がってくれるだろう。
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