第三章
 第九話「前半の終わりに」



 ゴール後のガッツポーズから、駆け寄ってきた輝やら伊佐樹やらによって揉みくちゃにされる祐人。その姿を後方から眺めつつ、あんにゃろう、と真二は思っていた。
 その気持ちは、始めからそれで行けよ、という苦笑である。わざわざ一言を渡さなければ火が付かないとは、ウチのキャプテンは世話が焼ける、という物だ。
「やったな」
 笑いながら背中を叩いてくる奴は、馴れ馴れしさ的にも位置的にも、一人しかいない。
「おう。これで追い上げムードだ」
 真二も笑って、うはは、と浮かれてる聖哉へと顔を向ける。
 すると予想外に、聖哉は真二の顔を見てニタニタしているではないか。それを察知して、なんだよ、と文句をたれると、聖哉は更に真二の背中を数回ほど叩いた。
「なーに、お前のお陰だって、感謝してんだよ。何を言ったか知んないけど、いつものプレーが見られたもんでね」
 などと笑ってくる親友に、見てたのかよ、という羞恥心が湧いて、顔を少しだけ上気させてしまう。そして、照れたままでは何を言っても説得力がないのが分かっていたので、結局は追い払うしかないのである。
「うっせ。とっととゴールに付いてろ」
「へいへ〜い」
 シッシッ、とぞんざいに手を振ると、あっさり引き返していく聖哉。しかしその態度はふてぶてしく、なんだか悔しい思いも抱いてしまう。
 ふうっ、と一つ息を吐くと、前から戻ってくる峻と祐人の会話が聞こえる。
「ねぇ、さっき蹴る時、オレのとこ狙ってなかった?」
「んあ? 狙ってないよ。気のせいじゃない」
「いーや、確かにあの時、オレのこと睨んでたじゃん。だから急いで壁どかしたんだよ」
「んなわけないって。被害妄想じゃん」
 そんな内容に、思わず噴き出してしまった。相も変わらず、この二人はアホな掛け合いをするものだ。
「ほらほら、さっさと守備の準備。相手は位置についてるんだぞ」
 真二は二人に注意して、無駄話を止めさせた。ちょっと膨れたような峻の表情が通り過ぎつつ、祐人に目配せすると、彼は静かにウインクを一つ。それが彼なりの、感謝の表し方なのだろう。
 祐人はすぐに後ろを向いてしまい、ヘアバンドで後ろに流された髪がふわりと揺れる。その姿を見ながら、もう大丈夫だな、と確信した。
 ゲームが再開される。しかしその後は双方ともに攻め手を欠き、試合が動くような決定的な場面が生まれるような状態にはならなかった。これは真二たちが、一点を取ったことで集中力を増したことで、実力が均衡するようになったからである。
 ただ、だからこそ面白い展開が無かった、という訳ではない。ボールポゼッションに余裕ができて来たために、チームのサイドアタックはより有効になった。 ウインガータイプの快速アタッカーである輝と利一は、その足と持ち前のテクニックでタッチライン際を切り崩そうと試みるも、相手の守備組織が整っている 為、どうしても深い所までは攻め込めなかったのだ。一方でサッカー部も、個人技から攻撃を仕掛けてくるが、そのほとんどが単調なカウンターで、攻め手の数 は多くない。そういう意味では、人数的に余裕のある守備陣には、恐れが無いのだ。特にFCホシノさんの最終ラインはそつが無く、約束事をしっかり守って対 処する。個人技での突破さえ許さなければ、処理は簡単だった。
 そして何より、センターバックの真二と峻は鉄壁である。クレバーな統率で堅守を実現する真二は、上背も高いし足も速い。果敢にボールへアタックする峻だ が、その無謀とも思える勇猛さも、真二がフォローしてくれるという信頼感の上で成り立っているのだろう。彼らのコンビネーションはまるで、マンチェス ター・ユナイテッドのリオ・ファーディナンドとネマニャ・ビディッチを想起させるような補完性を発揮しているのだ。
 こうして両者は、互いに攻めあぐねた膠着状態のまま、10分以上を経過させてしまった。30分ハーフの試合であるためこの時間はとても貴重で、リードを 許している方としては焦りも出てくるのである。そしてこの灼熱の太陽も重なって、精神的にも肉体的にも、大幅に体力を削られることとなってしまった。
 だからだろう。前半終了まで間が無くなった時、中盤に無駄な動きが出てしまった。輝がボランチへとプレッシャーをかけ、ツートップが挟み込もうと背後から迫る。しかしこの時、輝は何も考えずに6番へと近づいていった為、躱された瞬間には打つ手が無かった。
 連動が乱れていたのだ。ボランチは振り向いた瞬間に、自分の前方に広大なスペースがある事を認識し、同時に中盤のプレスが止まっていることも意識したの だろう。ダブルボランチを形成する春輝と祐人の両方が足を止めて、遠い自分を見てるだけなのに気付いて、素早いパスを通してきた。
 真二は、ハッ、とした。ハーフラインを越え、棒立ちのセントラルの間を素通りした縦パスが、9番の足元へと納まったのである。ゴールを背にしてのキープ。しかしペナルティーエリアに近い場所で、マークの峻は振り向かせないよう密着するのが精一杯。
 フォワードは、上手く上体を使ってバランスを取り、ボールをキープする。それに合わせるように敵のアタッカー陣が動き出してきて、こちらの対応は出足が鈍い。
「カバー、早く!」
 長山が、フォワードを追い越すように前線へと走りこむのを見て、真二は慌ててマークに付いた。それを嘲笑うかのようにセカンドトップが9番に近づいてパスを受ける。その後ろから海杜がボールを奪取しようとするが、彼は2タッチ目で逆サイドへと展開していた。
 左に振られた。そこには和真が走っていて、すでにボールに追いついており、ゆっくり顔を上げるほど、周囲にプレッシャーが無い。
 裏を取られた、と思いつつも、
「ニアには走り込ませるな!」
 注意は遅かった。同時に背後で、ファーのマークを促す聖哉のコーチングが聞こえたが、そんな物に構っている余裕は無い。
 和真がセンタリングを入れる。簡単な、グラウンダーの柔らかいパス。ニアサイドに空いてしまった広大なスペースへ、フォワードの巨体が滑り込んでくる。半歩遅れた峻は、相手のシャツを掴みながら、スライディングに身体を沈みこませていた。
 肉体がぶつかり、ボールが弾けて、9番が地へと転がった。同時にホイッスルが甲高く響き、真二はバッと振り向いた。
 審判はペナルティーエリア内を指差していた。それが何を意味するかは、明白だ。
(PK、か……)
 絶望に近い気持ち。ようやく一点を返したのに、ここでまた突き放されてしまうのか。
 真二は後ろを振り向いた。そして、腰に手を当てて息を吐いていた聖哉に近寄ると、
「頼んだぞ」
 とだけ、言った。彼もそれには頷くだけ。
 峻には、先のタックルが危険だと判断され、イエローカードが提示された。微妙なファールの判定に抗議しようと数人が主審に詰め寄っていたが、大事にするのを嫌った輝と祐人がメンバーを宥め、フィールドプレイヤーはペナルティーエリアの外へと追い出される。
 ボールをスポットに置いたのは長山だ。そして、ゴールマウスにはいつになく表情を険しくした聖哉。ボールを一心に見詰め、ただ集中する様子を見て、頼む、止めてくれ、と願う。
 聖哉が重心を低くした。長山がゆったりとしたステップから勢いをつけ、ボールへと迫っていく。そしてインパクトの瞬間、聖哉は右に倒れていた。だが、無常にもボールはその反対へと転がり、伸ばした足も虚しく、ゴールネットを揺らしてしまう。三点目。
 聖哉はただ奥歯を噛み、目を瞑って天を仰いだだけだった。サッカー部がまた歓喜の声を上げる中、FCホシノさんのイレブンは溜息混じりに、背後を振り向くのみ。
 誰も文句は言わない。止められなかった聖哉自身が、悔しさを噛み殺しているからだ。その姿に何かを言うことなどできるはずも無かった。
 ただ、峻だけが聖哉へと近づき、「ごめん」、と呟いた。
「気にするなよ。足はボールに行ってた。あれで笛鳴らされたのは、運が悪かっただけだよ」
「でも、オレが不用意に裏を取られたせいで、フォワードを侵入させちまった……」
「あの時は全員がボールウォッチャーになってたんだ。それでも付いてった峻くんは、良くやったよ」
「だけど、エリア内で引っ張って、背後からスライディングなんて、軽率だったよ」
 沈み込む峻。責任感が強いだけに、ああいうミスが重石になっているのだろう。これは祐人以上に厄介だ、と真二には思えた。聖哉に何とか、立ち直らせてもらわねばなるまい。
 聖哉は苦笑を浮かべただけだ。
「俺だって、飛び出すべき時に逡巡しちまった。あのまま打たれてたら間違いなく一点だったんだから、謝るべきはこっちだ、て考えもできるさ」
 バンバン、と峻の背中を思いっきり叩く聖哉。その後で笑いながら、
「トランキーロ、な?」
 と、言った。慌てるな、という意味のスペイン語。峻が焦りすぎている事を見越している。
 それを感じ取った真二は、二人から目を逸らして前を向いた。聖哉に任せておけば心配ないだろうと思えたからだ。
 同時に浮かんでしまうのは複雑な苦笑い。
(トランキーロ……か)
 恐らく聖哉は、自分自身にも言い含めるように、この言葉を発したのだろう。そう確信にも似た思いが過ぎる。
 なぜなら真二自身、その言葉を自らに当てはめるように、口に出していたからだ。



 前半終了間際のキックオフ。表示される時計は、残り時間が幾ばくも無い事を示している。ただロスタイムを含めるとしたら、まだ攻める機会は残っているだろう。
 そう思えるからこそ輝は、慌てることなくボールを後ろに戻せるし、チームとしてもパスを繋ぐ意識を保てているのだと思う。
 啓一が出したボールを祐人が拾い、輝が預かってから、再び祐人へ。そして左サイドの奥へと開いた秋寛が持つも、敵に囲まれて動けなくなる。それをフォ ローして横に出しつつ、さらにスペースへと走って敵を引き付けねばならない輝は、暑さで汗に塗れた眉を顰めつつも、悔しい胸の内を沸々と燃え上がらせてい た。
 前半だけで3失点。しかも二回は、自分が考え無しに動いたせいでプレスが弱まり、ゴールへと繋がってしまっている。攻撃でも見せ場が無い現状を併せても、そんな事はプライドが許してはくれなかった。だから怒りが沸いてしまうのだ。それも、自分自身への。
(情けない……。しっかりと仕事をしてみせろよ、じゃなきゃ10番なんか着けんな!)
 試合中に、どうしても集中力を切らしてしまう瞬間がある。それはサッカーだけでなく全てにおいてだが、気紛れな自分の癖を、最も疎ましく思っているのは自分だ。そういう思いがコンプレックスに似た重圧をかけるからこそ、早く何らかの挽回を欲しているのである。
 奥歯を噛みながら、逆サイドで利一が攻めあぐねて、背後の海杜へとボールを渡すのを見ていた。二人が数回、パスを交換し合ってから、結局は後ろへ戻す様に溜息を吐きながら、タッチライン際へと近づいていく。
 そして前を向いてから、こちらをジッ、と見据える秋寛に気付いた。その視線を合わせた時に、何をやろうとしているのかを、理解する。
 目を配る。祐人がボールを持った時、秋寛が近づいてきたのを見て、輝は彼と擦れ違うようにサイド深くへと進んでいった。
 秋寛は左サイドの浅い場所に戻って、ボールを欲する様に見せたのである。それに敵が釣られてしまうのは、秋寛にボールを持たせることへの恐怖心だろう。
 輝は、自分のマークがセンターバックの一人だけになったのを確認すると、即座に内側へと走り出した。
 初速でマーカーを振り解いたと同時に、ペナルティーアークへと一目散に走る。と同時に祐人がそれを見つけ、パスを出してくれた。止まって、受ける。ゴールを背にして足元にボールを置くと、センターバックが迫ってくるのを、背中に感じた。
 振り向く。その1動作で躱し、腕でボランチの身体を遠ざけながら、左サイドへ。そこに数人のディフェンダーが待ち構えているのを見て、輝はボールを蹴った。
 トン、と小さく跳ねる程度のキック。一拍遅れてから首を振り向ける。そして、ニアに空いたスペースへと、思ったとおりにボールが滑り込むのを見て、叫んでいた。
「決めろよ、伊佐樹ぃ!」
 ボールに向けて飛び出すキーパーよりも先に、マーカーを躱していた伊佐樹の小柄な影が到達していた。その異常なまでのボールへの嗅覚が、小さく空いたスペースと、輝からのパスの匂いを検知していたのだ。
 そして伊佐樹には、ゴール前にスペースができた時、多くの時間は必要ない。足がボールに届いた時には、爪先でちょん、と触れる程度に逸らして、それが四 肢を投げ出していたキーパーの頭上を越える。ゴールへと吸い込まれたワンタッチのシュートは、優しくバウンドしてネットを揺らした。
「っしゃああああああっ!」
 その咆哮は、輝と伊佐樹、どちらが大きかっただろうか。走りこんだ勢いそのままに、両手を広げながらコーナーフラッグへと駆け寄る伊佐樹が、ピッチへと ヘッドスライディングしてビブスを汚す。一方の輝は雄叫びを上げながら、両手を高々と天に突き出して、喜びに飛び跳ねていた。
「やったなオラぁ!」
「ナイッ、スゥー!」
 チームメートはそう言いながら、次々に伊佐樹へと駆け寄ってくる。彼らによって揉みくちゃにされる少年を見ながら、自分もその輪に入ろうと輝も駆け出した。
 ピッチの中では、伊佐樹のオフサイドを主張するサッカー部が主審へと詰め寄っていたが、その一年生は頑として首を振り、腕時計に目を落としてから、笛を咥えたのである。
「こんにゃろ、良くやったなオイ!」
「おう、もっと褒めろ!」
 輝が伊佐樹の頭を腋に抱え込んでワシャワシャと頭を掻き回し、伊佐樹もまた、うひゃひゃひゃひゃ、と笑い声を上げる中、前半終了のホイッスルが鳴り響いた。
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