第四章
 第十四話「真夏の雪融け、告白編」



 そこが公園だったのは、二人にとって、とても思い出深い場所だったからである。
 二人にとって――いや、少なくとも峻にとって、ここはとても大切な所なのだ。そして、それが彼女にも共通する思いであることを、信じなければならない。
 だから峻は、ベンチに座る樹理の顔を盗み見て、俯く彼女の赤い頬に、愛しさと緊張を綯い交ぜにした感慨を抱いてしまうのである。
 そんな胸中を隠すように。彼は急いで彼女の所へ近づくと、はい、と手に持った缶ジュースを差し出すことにした。
「ん、ありがと……」
 そっ、と受け取る樹理の、そのほっそりした指と、小さい手。それを視界に収めた後で、焦ったようにドッカとベンチに座る峻は、自分が相当にマヌケなことを意識せざるを得なかっただろう。
「うんん、良いんだよ、うん」
 と早口で捲くし立てる少年の哀愁である。それは、赤みの射した夕暮れの明かりの中で、ゆっくりと微笑む少女の魅力に取り付かれた、峻の心を表しているのだ。
 樹理は、そんな少年の様子にクスッ、と笑うとゆっくりと缶を開けて、オレンジジュースを口に含む。その後で、おいし、と小さく呟いてくれた事で、峻がどれだけ救われる思いであったか。
 彼女が昔から好きだったミカン味の飲料水。銘柄が若干、変わってしまったが、その味覚は記憶とは変化がなかったようだ。近くの自販機で買ってきた定価の ジュース一つではあるが、そんな事実に安心感を覚えてしまうのは、些か軽率なのだろうか。いや、そんな筈は無い、とそう思う。
 峻はその後で、ようやく自分の飲み物に手を付けることが出来たのだが、彼のそんな様子を見ていた樹理が、微笑しながら口を開いた。
「今日の峻、カッコ良かったよ」
 優しい言葉。突然の褒め言葉に、峻は少し驚くが、やはり嬉しさの方が強い。返事の声も弾んでしまうものである。
「あは、ありがと。樹理ちゃんが来てくれたから、精一杯、がんばったよ」
 こういうセリフを臆すことなく言ってしまえる彼の性根は、凄い物であろう。樹理はちょっと、くすぐったそうにしてしまう。
「まぁ、ちょっとカッコ良過ぎたっていうか、出来すぎてたけどね、峻にしては。珍しく頑張ってたってのは、認めたげる」
 ちょっと唇を尖らせるように、恥ずかしさを誤魔化す彼女の、その仕草が可愛い。
 だから峻は、より笑みを深くして、さらに言葉を重ねるのだ。
「うん、自分でもそう思う。でもやっぱり、樹理ちゃんに見てもらいたいから、樹理ちゃんがそこに居てくれたから、全力で走り抜けることができたんだと、そう思うんだ」
「ばっ……」
 真っ直ぐな瞳でここまで言ってしまえる峻に、樹理は夕陽の中でもより際立つような赤面を見せてしまう。絶句したようにパクパクと口を動かした後で、
「バッカ! そんなこと、その、なんて言うか……っ、バカみたいなこと言わないの!」
 なんだかモゴモゴした後で、今度は思いっきり怒鳴りつけるように。真っ赤な頬っぺで言葉を吐いても、それは単なる照れ隠しでしかないことは明らかであった。
 だから、当の本人である峻も、本心からだよ〜、なんて暢気に笑って見せるのである。
 その後で――ちょっとだけ、沈黙が降りる。
 樹理がプイと、赤い顔を隠すように視線を背けてしまって、峻も笑いを納めて、ジッと彼女を見詰めていた。それは一種の緊張感を場に付与するものであったが、長くは続かないだろうことも、二人とも了解していたと言える。
「……その、ごめん、ね」
 やがて小さく、樹理が呟いた。
 え? という顔で身を乗り出した峻。そんな彼に、やはり視線を向けないまま、少女は小さく続けてしまう。
「その、さ。今まで、冷たく当たって、ごめん。小さなこと気にして、ずっと素直になれないでさ、ここまで来ちゃったこと。反省してるの……」
 樹理の声は小さかったけれど、峻にはちゃんと聞こえている。ボソボソとしたその言葉の響きが嬉しくて。彼女の気持ちが切なくて。峻は俯く少女に、身を近づけた。
「あの、さ。あたし、ずっと考えてたんだけど、ね。今みたいに謝ることができたら、ちゃんと伝えたいって、思ってたの。それはね、やっぱり、あたしは、その……峻のこと、ね」
 つっかえつっかえのその言葉。しかし峻は、その先を彼女から言わせてはならない、という焦燥感の大きさに、反射的に動いていた。だから樹理が、きゃっ! と小さく悲鳴を上げたのは、峻が彼女の右手を握ったからなのだ。
 驚き振り返った樹理の顔。その瞳を真っ直ぐ見詰め、この言葉だけは自分から言わねばならない、という小さなプライドを込めて、口を開く。
「樹理ちゃん、オレ、話したいことがあるんだ。きっと分かってくれると思うけど……その事を話す時、オレ、君の手を握りたいんだ」
 流れ出たのは唐突な――そして、馴染み深い、言葉の羅列。峻の頭の中には、聖哉がこっそり教えてくれた、秘密の告白が過ぎったのだ。
 樹理はただただ、驚いた表情で峻を見詰めるのみ。えっ、え? と困惑の声音を繰り返す彼女の唇をチラと見て、自分の心拍数が余計に跳ね上がったのを、彼は認識してしまう。
 構うものか、と思った。だから、言葉を続けた。
「ねぇ、……お願いだから、言って欲しい。オレを、恋人にしてくれる、て」
 声が裏返らなかったのが不思議だ。それ位、この決定的な言葉を発する緊張に、心が震えていたのである。峻は自分の臆病さ加減を意識しながら、それでも、見開かれた樹理の瞳を見詰め続けるのである。
「頼むから、こう言って欲しい。オレに手を握らせてくれる、て。オレ、樹理ちゃんの手、握りたいんだ……」
 少し尻すぼみ気味だったけれど、峻は自分の中に用意した言葉が全て流れ出たのを確認した。それが滞りなかったと思えたから、そっ、と唇を閉じて、少女の揺れた瞳を自分のそれと重ね合わせる。精一杯の誠意を込めて。
 あっ、と、樹理の唇が動いた。しかしか細い声が続きを発せず、躊躇うように動くのを止めたその口が、真一文字に結ばれる。それと同時に、まるで耐えるように潤んだ瞳で、樹理は握られた峻の手を強く抱くようにした。
「、バカっ……」
 漏れ出た単語のすぐ後に、伏せるように逸らされた視線。同時に彼女は、倒れこむように、コツンと峻の胸へと頭をつけた。
「この、大バカっ。誰がそんな、カッコ良いこと言えっていったのよっ」
 拗ねたような樹理の言葉に、峻も思わず苦笑を浮かべる。それが照れ隠しだと分かったのは、震えた肩と、その涙声に表れているからだ。
 だから峻は、意地悪するように、そっ、と彼女の耳元へと顔を寄せる。
「ね、樹理ちゃん。返事は、どうかな?」
「……言わなきゃわかんない?」
「――ううん、分かってるよ」
「……じゃあ、聞かないでよ、大バカっ」
 樹理の涙混じりの声に、ちょっとだけ不機嫌な色が混じったので、峻は、ごめんね、と囁いてから、彼女の頭に自分の頬を擦り付けるみたいにする。そうすると、んっ、と少し心地良さそうな吐息が返ってきた。
「そうしててね、峻……。なんだか、安心する」
「うん。落ち着くまで、こうしてる。ずっと、傍にいるよ」
 自然に口をついて出た言葉に、そっ、と樹理が顔を上げて、嬉しいな、と呟いてくれた。それで峻は、少女の可愛らしい笑顔を前に、ドキドキと心臓を高鳴らせながらも、樹理の肩を抱いたのだ。
 ん、と小さく吐息して、樹理は峻の胸に身体を預ける。彼女の小さな身体の、その温もりを感じながらも、幸せな気持ちが満ちる自分に峻は笑みを浮かべる。
 夕暮れ時の公園の中。何年もの小さなわだかまりを乗り越えた幼なじみは、言葉を交わすことも無く時間を共有し続ける。
 今はきっと、それが許される時なのだ。



 そんな甘い一時を過ごす二人の背後、ベンチの後ろに生い茂る草むらというご都合展開満載のロケーションで覗き見をする複数というか大量と言うか、やたら 大人数の影がある。よもやそれに気付かない程、峻たちは自分たちの世界に浸りきっていると言う状況は、些かマヌケなものであるが、むしろ彼ららしいという か、それが観衆の興奮を煽り立てる材料にすらなっているのであった。
「おいおい、おいおい、おいをいおい! なんか見詰め合って、手を握ってるぜよ!」
「あらまぁ、樹理ったら動揺しちゃって。キョトンとした目が愛嬌タップリね」
「夕陽よりも赤い顔……写真とりたーい! 何かスゴイ面白いわよ!」
「峻くんめ、なんて大胆な所業を。あんな度胸が奴にあったとわ……」
 などなど、口々に(小声で)囃し立てる野次馬たち。ベンチと草むらでは一転して、マナーや雰囲気という物がもはや掛け離れた状態であるという、ちょっと色々な常識が欠如したカオスと化しているのであった。
(う〜む、なんか、ゴメンね、峻くん……)
(失敗しちゃいましたね、聖哉さん……。皆の前で言っちゃったのは不味かったです)
 観衆の後ろ、彼らのボルテージを遠巻きな瞳で眺めながらヒソヒソしている聖哉と美玖。彼らは、このアレな状況を創りだしてしまった責任感と、渦中のカップルに対する罪悪感で、バツが悪そうに冷や汗を浮かべ通しているのである。
「うは、クサーっ! クサ過ぎるわあの人!」
「おいおい、あれ、『I want to hold your hand』の歌詞じゃねぇか?」
「捻りがないよな、そのままかよ……」
「それならそれで、まんま『手を握りたい』じゃなくて、日本語名のままに『抱き締めたい』にするぐらいの機転が欲しかったよね」
「ま、そんな器用な事を思いつかないからこその、峻くんなんだろうな」
「でも、なんか見詰め合っちゃって、スゴイいい雰囲気よ、あの二人」
「うわーっ、ビートルズで成功しちゃったよ、あこぎだな峻くん……」
 やんややんやと、野次にも似た小声ツッコミで楽しむ観衆の姿は、聖哉にはもはや鬼か悪魔にしか映らないのである。
(うう、ほんとに何か、色々とスマン!)
 と心の中で真にお詫びをしてしまう聖哉は、峻と樹理が二人きりになることを何となく喋ってしまった軽はずみ加減を呪うのだが、同時に峻の告白法が、自分が伝授したことであることも後ろめたさを感じさせる要因なのである。だからこうも、思ってしまう。
(うぅむ、あの事は峻くんと真二にしか話さなかったけど、本当に良かった……)
 他の人間に、美玖への告白法を話していたらどうなっていたか、今の惨状を見るに付け、背筋に悪寒すら走ってしまうのである。
 そしてもう一人の当人である美玖は、顔を赤くしながら聖哉の耳に顔を寄せて、
「は、恥ずかしいですね……」
 と言ってきてしまうものだから、そんな思いも一入なのであった。
 ちなみに事情を知ってる真二は、観衆の中で会話に混ざりながらも、チラと聖哉に向けた視線が少し冷たい物であったのを聖哉が感じ取っているのである。だから冷や汗タラリ。
 ただ、そんな彼らの思いとは裏腹に、この状況はまだまだ続いていくのであり、野次馬の目は更に二人に釘付けなのであった。
「あーっ、と! 樹理が涙目で彼の胸に顔を埋めたわよ!」
「おぉ! 受け入れられたぞ、あのパクリでクサイ告白が!」
「まさかの展開に全米が泣いた!」
「ヒディンクならぬギャラス・マジック! ワールドカップはあいつの物だ!」
「おおっと! ついに峻くんが肩を抱いたぞ!」
「これは、全盛期のアルバロ・レコバを越える魔法を見せられたな……」
「しかも甘いムード一色だ!」
「なんかもう、キスの一つも起きそうな流れだぞ」
「きゃーっ! ここからは大人の時間よ、18禁だわ! お子様たちは見ちゃいけない時間なのよーっ!」
 ハイテンションな杏里の絶叫が尾を引く公園の中、峻の一世一代の告白タイムと、樹理の甘い感動の余韻は、公開の見世物と化したまま続いていくのであっ た。後に残るのは恥ずかしい姿を見た友人たちの、興奮混じりのネタ話題と、この惨劇を引き起こしてしまった聖哉と美玖の、申し訳なさ一杯の罪悪感だけで あった。
 色んな意味で、ヒドイですね。
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