エピローグ ――「明日、へ」―― * ありがとう、優―― そう、聖は囁きかけた。 優は聖を助けてくれたのだ。 左の胸ポケットに入れていた、優のお守り。どこにでもあるような土産物のイルカキーホルダーだ。しかしそれは彼にとって、何物にも変えがたいほどに大切なものであり、彼を、そして大切な親友を救ってくれた、命の恩人だ。 そのお守りを媒介にして、優は聖の能力を開放してくれたのだ。ウィルバートが『ガルム』の狙いを定めたとき――聖の命が、最も危なかったとき、優がその手を差し伸べてくれた。自分でも信じられないくらいの能力開放の発現を起こした、あの時。聖は確かに、優の温かな抱擁を感じたのだ。 胸から染み渡った、あの時の熱源。それも『お守り』を介して聖の全身へと広がった。絶叫、と言う形で自己の精神を振動させていたときに、正しい力の具現へと、聖を導いてくれた、あの時の不思議な発熱は、妹の優しい先導だったのだ。だから重力制御を暴走させずに、鉄筋コンクリートのビルを破壊し、その巨大な瓦礫を寸分狂わず操作する、などと言う、離れ業をこなすことが出来たのだ。 それに、精霊起動の瞬間も、優が手助けをしてくれたのだ。天使の姿で聖の前に現れて、強力な、カレンを護るための力を授けてくれた。それはつまり、優が聖とカレンを大切に思っていてくれた、と言うことである。聖の愛しい妹は、優しく、自らの良心の為に、行動することが出来るようになっていたのだ。優が力を貸してくれたから、聖はここまで生きてこれた。 優が居てくれたから、聖はここに居ることができる。優が居てくれたから、聖はカレンと巡り会うことができた。大切な、『今』、と言う時間を過ごすことができているのだ。それはとても嬉しいことであり、ありがたい事だった。 だからこそ、聖は優に礼を述べる。そして、優と、別れを告げねばならなかった。 そっ、と。大切に、大切にしていた『お守り』を置く。 聖は背を向け、歩き出した。 優を捨てるわけではない。優を忘れるわけではない。そんなことはできないのだ。彼女はこれから、いつまでも、聖の中に残っている。ただ、それでも、聖は彼女と別れを告げるための、明確な儀式が必要だったのだ。そうでもしなければ、これから先、苦難のたびに優に頼ってしまうことだろう。それではいけない。 今まで、立ち直るまでは、聖はひどく不安定な状態だった。しかし今は、違う。聖は立っている。自分の足で、自分の意思で。そうなったならば、優に助けを請うことなど、してはいけないのだ。 だから、別れる。 それが重要だった。 (優……。俺はこれからも生きていく。生きて、カレンと、幸せになるよ。だから優は、ただ、見守っていて欲しい。俺たちの姿を、天国から、優しく見つめていて欲しいんだ) それは多分、凄く身勝手な言い分だと思う。 でも、それをしなければ、何も始まらない。 (俺たちはもう、大丈夫だよ。優に心配かけるばかりじゃない。俺たちは天使の翼に頼ることなく、自分たちの足で、歩んでいくよ) だから、ね。 聖は瞳を閉じて。ゆっくりと、深呼吸した。 ありがとう、優―― もう一度、深く、感謝を捧げる。 ――あのクーデター事件から、一ヶ月が経っていた * 寺裏の墓地の一角に、真新しい線香の白い煙をあげる墓標があった。 聖が近づいてみると、そこにはしゃがみ込んで、手を合わせる、綺麗なブロンド髪の少女がいた。 カレンだ。その美しい顔を、静かに引き締めて、彼女は黙祷を捧げている。 その墓標には、「宮枇家の墓」、と彫られてあった。 今も優が眠っているお墓だった。 そっ、と足を踏み出して、聖はカレンの傍らに立つ。気配に瞳を開けたカレンは、すっ、と立ち上がって、聖を見上げた。 聖は微笑んだ。その後で自分もしゃがみ込んで、お線香に火を付ける。ジリジリと炙って炎を移し、それを掌で払って消して、墓前に手向けた。 花挿しは、カレンが持ってきた新しいもので埋められていたので、聖は自分の分の花束を、そっ、と墓前に置く。 掌を合わせて黙祷を捧げ、その後でポケットから、あるものを取り出した。 手元を覗き込んだカレンが、それは? と尋ねた。 「奈津のお土産、だよ」 包みの中から取り出したのは、シャチを象ったキーホルダーだ。優のイルカのキーホルダーに対抗して、奈津が聖に送ってくれたものだった。2人して対抗心を燃やした優と奈津が、「どっちが可愛いの?」、なんて質問をぶつけてきた時の、こそばゆい様な嬉しい思い出の品だった。 (優……。ごめんな、俺は、優との約束を守れなかったよ。奈津のことを頼まれたのに、俺は奈津を、死なせてしまった) 優は聖にこう言った。 『あの子達を、お願いね!』 曇りの見えない綺麗な笑顔。それが今でも、鮮明に思い出される。 優は、「あの子達」、と言った。それはカレンだけではない、奈津のことも含まれていたのだ。しかし聖は奈津を救えなかった。約束を守れなかったのだ。 (すまない、と思う。その代わり、優に、奈津の思い出を預けるよ。優が心配してた、大切な、大親友だから。だから2人で、天国で仲良くやってくれよ……) 聖は奈津のキーホルダーを、優の墓石に置いた。 同じように、優のキーホルダーを、奈津の墓石に預けてきた。 これで2人は、いつまでも一緒に、天国で過ごせるだろう。 優と奈津が仲良くしていること。それは、聖がいつまでも信じて疑わない、彼女たちの友情には欠かせない事だ。 (いつまでも仲良く、2人で一緒に、居てくれよ) 一つ微笑み、聖は立ち上がった。 そっ、とカレンが、寄り添うように横に並んだ。 カレンが聖に微笑みかけた。可愛い、愛しい少女の笑みが、聖の心に浸透していく。暖かな気持ちが、聖に多大な、勇気をくれる。 だから聖は、口を開いたのだ。 「優……それに、奈津も。安心していて良いよ。カレンは絶対、俺が護る。お前たちが大切に思っているこの娘は、お前たちが精一杯、命を懸けて護ってくれたカレンは、俺が絶対、幸せにして見せるから」 「聖……」 墓前で力強く、言葉を発する聖。そんな彼に、驚いたように瞳を広げたカレンは、その後に少し俯いて聖を小突いた。 「なに言ってるのよ、もう……」 カレンの頬が、ほんのり赤く染まっている。そんな少女の様子に、思わず聖本人も照れを思い出してしまった。 しかしカレンは、すぐに表情を引き締めて、優のお墓に向かって宣言する。 「私だって約束するわ。私は聖を支えてみせる。あなた達の大好きな、大切な『お兄ちゃん』を、私が護って、幸せにしてみせるんだもの」 だから、安心して、ね―― そう、言った。 暫くして、2人はその場を離れて道路に出た。言葉はなかったが、それでも充分、安心できた。心地良い沈黙が、その場には流れていたからだ。お互いの気持ちが一つに溶け合っている、そんな不思議な感覚が、2人の間には確かに存在した。共有、という言葉が真に当て嵌まる、そんな状態なのだ。 日は既に沈みかけている。辺りを薄暗いヴェールに覆われて、しかし一月前には戦場であったはずのこの街は、静かな活気を取り戻しつつあった。 今でも所々、アスファルトが削れていたり、生々しい弾痕が残っていたりする。ビニールシートに覆われた場所なんかも少なくはない。しかし人間生活は戻ってきているのだ。メインストリートに通じるこの道を通る人も、決して少なくはない。 人間とは強い生き物なんだ、と実感できた。 彼らも、今回のことで心に傷を負っているはずなのである。しかしそれでも、普段と変わらぬように、早く元に戻ろうと、仮面を被って生活しているのだ。仮面の下が早く治るように、と祈りながら。 そうできる事が、そうできる者が、社会を動かしていく。そして、そうできなかった者を、立ち直らせていくのだろう。 聖は少し、救われるような思いであった。 ふうっ、と息をついて、視線を下へ。足元を流れ行くアスファルトを一瞬だけ見つめ、すぐに顔を上げた。 カレンがこちらを覗いているのが見えた。 今度はそちらへ、完全に視線を向けてしまう。なに? と尋ねると、カレンは小さく微笑を刻んで、 「随分と遅かったのね?」 と言った。 それに、ああ、と答える。自衛隊のことだ。 「事後処理があったから。それに報告書も書かなきゃいけなかった。あとはまぁ、その……。お世話になった人への挨拶回りとかね」 一ヶ月も掛かったことに後ろめたさを感じている。待たせてごめん、と素直に謝った。 実は一ヶ月前、聖とカレンが若槻市の戦闘域を出て、自衛隊の防衛網に辿り着いたときに、聖はカレンと約束を交わしていたのだ。 一旦は部隊に戻らなければいけなかった聖は、少女に、こう言った。 『戻って、くるから――』 ――だから、待ってて。 まさかこんなに時間がかかるとは、聖も思ってはいなかった。だからやっぱり怒ってるのかな、と思ったが、意外とそうではないようだった。 少し安心した。 「他にも理由はあるんじゃないの?」 カレンが茶化したように聞いてくる。それに少し眉根を寄せながらも、 「伯父さんに泣かれてた……。『何の為にお前を手元に置いたんだ?』、なんて説得しながら、片づけが終わるまでは辞めさせない、て」 その話を聞いて、カレンがクスクス、と笑い出す。少しばかりバツが悪い。 聖は自衛隊を退官した。辞表を出したら樋山師団長に殴られたのだが、それでもめげずに直訴し続け、それを受け取らせたのだ。 そうまでして自衛官を辞めたのは、もちろん、カレンの為だ。 カレンと一緒に寄り添い、この泥沼化した戦争を止めさせる。どうやるかは解らない。しかしカレンには、この事態を引き起こした張本人として、行動を起こさなければいけないのだ、という使命感があったのだ。 だから2人は、旅に出る。 そうして試行錯誤を重ねることにしたのだ。 自分たちには何ができるか、この世界にどう贖罪すればいいのか、を。 「ふふふっ……」 カレンがまだ可笑しそうに笑っている。なんだか情けない気持ちになって、聖は懇願するような声を上げた。 「もう笑うなよ……。時間かかったのは謝ったんだからさ」 「ふふっ、ごめんなさい。そうよね、笑ったら失礼よね」 カレンが微笑んだ。 「私の為に、してくれたことなんですもの」 ふわり、と。 その時に少女が見せた笑顔は、今までのどの微笑よりも、柔らかいものだった。 それだけで、聖の心が安らいでいく。自分もふたたび微笑を浮かべる。これから先の苦難なんて、きっと気にならないと、そう思えた。 「ね、聖――」 カレンが聖を追い越した。前に数歩行って、突然に振り返ると、先程の柔らかい微笑で手を差し出してくる。 「ありがとう――。そして、これからも、よろしくね」 そう言ったときのカレンは、年相応の可愛い女の子の顔だった。いつもの大人びた表情ではない、自然な笑顔の愛しい少女。 可愛いな、と思えた。だから聖は、彼女の所へ走りより、その小さな掌を握り締める。 こちらこそ、と答えて笑いあい、二人は前へと踏み出した。 * この先に何があるかはわからない。でも、歩き続けなければ、いけないんだ。 俺たちは止まらない。きっと、2人でいることが幸せで、だからどこまでも行けるはずだから。 強く握り締めた手が。その温もりが、俺たちの絆を、保障してくれるのだ。 <end> |
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