ファイル8 「意思」


 遺跡都市リア・ファイル。
 Ωサーバとも呼ばれる最上級ルートタウン。ストーンヘンジを思わせるように、石造りの鳥居がカオスゲートの周囲に配置されている。正面に鳥居はなく、階段が伸びている。その正面には大きな月、が見える。見方によっては隕石と見る者もいるかもしれない。
 周囲には木々が茂り、人の手が入っていないことを象徴しているかのようにも見えた。
 昨年は調整やバグのために公開が停止され、別のマップがリア・ファイルとして稼動していた。だが、今では元のリア・ファイルに戻っている。
 ヴァリッドはカオスゲートの前の階段に腰を下ろし、アーティとルーネが来るのを待っていた。
 暫くして、アーティとルーネがログインして来た。すぐさまパーティを組む。
「結論は、出たな?」
 ヴァリッドの問いに、二人は頷いた。
「私、最後まで関わるわ」
 アーティは言った。どうやら、アーティのプレイヤー、雪も覚悟が決まったようだ。
「ボクも最後まで見たいね」
 ルーネも言った。
「いいんだな?」
「うん、最後まで見れなかったら絶対に後悔する」
 ヴァリッドの問いに、ルーネは言った。確かに、エンスとヴェインの決着を見ることができなかったらヴァリッドも後悔するだろう。ただ、安全な後悔する方を選ぶか、危険ではあるが最後まで見るかを選ぶかの二択で迷っていたのは三人とも同じだ。
「後で、友達にも教えてあげたいしね」
「友達?」
「リアルの友達だよ。自分のことは絶対に話さないんだけど、深い話ができる数少ない友達がいるんだ」
 首を傾げるヴァリッドに、ルーネは微笑んだ。
「この前も、放浪AIのことでちょっと相談したことがあってね」
「まさか、辰巳?」
「え?」
 ヴァリッドの言葉に、ルーネは驚いたように目を見開いた。
 ルーネの言う友人の心当たりは、自分自身だった。放浪AIのことで少し言葉も交わしたし、自分のことを話さないのはヴァリッドのプレイヤー、由宇の特徴でもあった。
「もしかして、由宇?」
 おずおずとルーネが問う。互いに、確信していた。
「お前、ネカマだったのか!」
 言って、ヴァリッドは一歩身を退いた。
 インターネット上で男性が女性として振る舞うことを、俗称でネカマと呼ぶ。
「リアルの性別言ってないし」
 ルーネは苦笑した。
 確かに、ルーネはPCこそ女性型だが、言動や態度は中性的だ。PCが男性型であっても違和感はない。一人称は、ボク、だったのだから。
「今じゃ珍しくもないじゃん?」
 インターネットでは、顔が見えないが故に自分を偽ることができる。性別も自分の性格も全て偽ることができるのだ。ディスプレイとネットワークを通じて見えるものを信じるか否かは、見る側、受け取る側に委ねられるのである。
「まぁ、そうだけどさ……」
 ヴァリッドは小さく溜め息をついた。
 考えてみれば、ルーネはヴァリッドと気の合うことが多かった。少し哲学的な話をしたこともあった。リアルで由宇が辰己と会話していた時のように。
 同時に、戦闘の時には息が合う。体育の時のコンビネーションで培われたのか、はたまた逆なのかは判らない。
「嫌いになった?」
「いや、驚いただけかな」
 ルーネの問いに、ヴァリッドは肩を竦めて見せた。問いを投げたルーネ自身、さほど心配している様子はなかった。
「アーティも藍川だったし」
「えっ! マジ?」
 ヴァリッドの言葉にルーネが目を丸くする。アーティは苦笑を浮かべていた。
 本来ならインターネット上で実名に触れるのはタブーに近い。ただ、この時は純粋に互いを確認し合いたかった。
「なんか、皆知り合いだったんだね」
「偶然って凄いな」
 ルーネの言葉にヴァリッドは頷いた。ただの偶然と呼んでもいいのかどうか迷うほどに、三人は近しい存在だった。
「じゃあ、行くか」
 ヴァリッドの言葉に、二人は頷いた。
 既に、エンスからはショートメールが来ている。同時に、ヴェインからもショートメールが届いていた。二人とも、互いにエリアワードを示し合わせているのか、そこで決着をつけるという内容だった。
「Ω 彷徨いし 黄昏の 旅人」
 ヴァリッドはエリアワードを入力し、カオスゲートを起動させた。
 エリアレベルは90。転送先のフィールドは草原だった。ダンジョンへの入り口が目の前に見える位置に、ヴァリッド達は転送されていた。
「移動の手間が無くていいね」
「魔方陣がない……」
 ルーネとアーティがそれぞれに周囲を見渡して呟く。
 ダンジョンへの入り口を探す必要もなく、魔方陣も見当たらない。ダンジョンの内部へ来いと言っているかのようだ。
 三人は互いに視線を交わし、ダンジョンへと足を踏み入れた。内部は一般のエリアワードと特に変わった様子はない。地下遺跡とも呼べそうなダンジョンを、三人は真っ直ぐに進んだ。相変わらず魔方陣はなく、マップも短い。最終階層まで辿り着くのに時間はかからなかった。
 妖精のオーブで表示させたマップには、アイテム神像の部屋がなかった。最後の部屋は大きな正方形のマップが表示されている。
 三人は最深部の部屋へと足を踏み入れた。
 その場には、エンスとヴェインが距離を取って互いを見つめていた。
「来たか」
 ヴェインがヴァリッド達に視線を向け、呟く。
「まさか、待っててくれるとは思わなかったけどな」
 ヴァリッドは言った。
 三人が最深部へ来るまで、エンスとヴェインは待っていたのだ。エンスの断片を回収するのが目的と語ったヴェインが、攻撃をせずに。加えて、自分の命を狙っているヴェインを相手に、エンスも逃げようとせずに。
 だが、戦闘になっているという事態もヴァリッドは予想していなかった。エンス、ヴァリッド達、ヴェインの順で現れると予想していたのだ。ヴェインとエンスが顔を合わせて待っている状況は考えていなかった。
「私も、ヴェインの問いへの答えに興味がありますから」
 エンスが言った。
 ヴァリッド達は互いに顔を見合わせ、頷き合った。
 ヴェインが投げた問い。
 それは、ヴァリッド達のザ・ワールドとの向き合い方だ。三人はそう判断して、答えを導き出した。
「ボクの意思は、理想。リアルとは違う自分になれるから、ボクはこの身を纏う」
 ルーネが答える。
 女性になりたいという訳ではない。ただ、リアルとは違う、こうあっても面白いのではないか、という思いがルーネという存在には込められている。ザ・ワールドの中での自分自身がリアルと必ずしも一致していなければならないという理由はない。なりたい自分、なってみたい自分になることができる。
 だから、ルーネという存在になった。楽しむために、ルーネを創造したのだ。
「私の意思も、理想。リアルで出せない自分になれるから、私はこの身を纏う」
 アーティが答える。
 リアルで出すことができない、本当の自分をザ・ワールドなら曝け出すことができた。アーティという身を纏うことで、雪は本音を言えた。抑えてきた自分自身を吐き出す場所を求めて、ザ・ワールドに来たのかもしれない。ザ・ワールドなら人に嫌われても本音が言えた。
 雪は、そんな自分になりたかった。自分の理想を、アーティに投影したのだ。
「俺の意思は、意志だ。リアルの自身を投影して、俺はこの身を纏う」
 ヴァリッドは答える。
 リアルの自分と、ヴァリッドに本質的な違いはない。人と接したくて、それでも踏み込んでいくのが怖くて、距離を取る。多くの人と関わりながら、適度に距離を取れる傭兵というスタイルをヴァリッドは選んだだけだ。普段の自分自身の人格をそのままに、ヴァリッドという名でザ・ワールドをプレイしているに過ぎない。
 ザ・ワールドの中での由宇。それがヴァリッドだ。
「それが、答えか」
 ヴェインが口元に笑みを浮かべた。
「満足のいく答えになってるか?」
「そうだな」
 ヴァリッドの問いに、ヴェインは小さく頷いた。
「それで、あなた方は私とヴェイン、どちら側につくつもりですか?」
 エンスが問う。
「穏便に済む方法はないのか?」
 ヴァリッドは問いを返した。
 だが、ヴェインもエンスも首を横に振る。ヴェインの使命はエンスのデータを回収し、自らと共に抹消することだ。そして、エンスはヴェインから逃げ切りたいと考えている。ただ、逃げるエンスを追うというだけでも既に終わりが見えない。いや、いずれはヴェインが追いついてしまうかもしれない。
 エンスが安心して生きていくためには、ヴェインと決着をつけなければならない。今を、その時だと判断したのだろう。
「この世界のことを考えるなら、エンスを消すべきだ」
 ヴェインが言った。
 エンスは放浪AIであると同時に、ヴェインと同じ力を持っている。最終目標が自身の抹消であるヴェインと違い、エンスはその力を無差別に振り撒く可能性がある。
 ヴァリッドは身震いしていた。ヴェインの力を目の当たりにした時の恐怖が蘇る。あんな力を振り撒かれてしまっては、ザ・ワールドのシステムに影響が出ないとは言い切れない。
「そうですね、あなた方にとってはその方がいい」
 エンスが呟いた。
 ヴァリッド達がエンスに注目する。
「このエリアにはプロテクトをかけた。私が消えるまで、ここから出ることはできない」
 ヴェインが告げる。
 エンスを逃がさないための処置だ。恐らくは、ヴァリッド達もここからは出られない。ヴェインが消えるまでは。
「それは、あなたも逃げられないということ」
 エンスが言った。
 元々、ヴェインには逃げるつもりはないのだろう。それでも、ヴェインも退路を断ったと考えるべきだ。自分と同じ断片の力を持つエンスを逃がさないようにするためには、ヴェイン自身が逃げられないようなプロテクトを用意するしかないのだから。
「ヴァリッド、どうするの?」
 ルーネが小声で問う。
 ヴェインとエンスが睨み合っている状況に、ヴァリッド達は口出しができずにいる。というよりも、ヴァリッド達がこの場にいる存在意義があまり感じられなかった。ヴェインの力は恐ろしい。同じ力をエンスも持っているとなれば、戦うことは避けたかった。
 だが、ヴェインとエンスの戦いは止められそうにない。この場に居合わせた以上、ただ見ているだけという訳にもいかないだろう。
「二人はどうしたい?」
 ヴァリッドは問いを返した。
 見ているだけではいけないと、頭で解っていても行動が思いつかない。ヴェインにつくべきなのか、エンスにつくべきなのか、判断できない。
 三人が悩んだのは二人の放浪AIに関わるか否かだった。どちら側について、どのような行動をするのかまでは考えが回らなかった。
 結局、ヴェインとエンスがどのような結末を迎えるのかを見たかっただけなのだ。
 ルーネとアーティは苦笑を浮かべただけだった。
「俺、ヴェインの側につくよ」
 ヴァリッドは言った。
 アーティもルーネも目を丸くした。
 このザ・ワールドのことを考えるのならば、ヴェインの側についた方がいいと思えた。ヴァリッド達が今後、プレイし続けるためにも、ヴェインやエンスの力を放ってはおけない。
 それに、ヴァリッドはエンスが持ち掛けた依頼を引き受けるとは答えていない。
 ヴェインの問いを考えて、ヴァリッドは結論を出した。
 問いを投げ、危険性を示しながら、ヴェインは答えを求めた。ヴァリッド達が関わることを拒むのならば、ただ三人と接触を避ければ良かったのに。エンスを追いながら、ヴェインはヴァリッド達を求めていたのかもしれない。
 同時に、エンスはヴァリッド達の身を危険に晒した。バグモンスターを配置し、碧衣の騎士団ともぶつけた。騎士団と交渉させたいのであれば初めからそう伝えれば良かったのではないか。何故、バグモンスターでヴァリッド達を足止めする必要があったのだろうか。
 エンスがバグモンスターを作り出すことができるなら、放っておけない。バグモンスターが大量に放たれてしまったら、ザ・ワールドの世界を揺るがすことになる。同時に、エンス達と関わると騎士団にも認めさせてしまった。エンスの存在やバグモンスターに関わっていけるのはヴァリッド達しかいない。
 騎士団に言った手前、ヴァリッドはこの状況を解決しなければならないと考えていた。
 リスクも考えてヴェインとエンスに関わる覚悟を、ヴァリッドは決めてきた。
「それが、あなた達の意思ですか」
「俺の、な」
 エンスに告げて、ヴァリッドは剣を引き抜いた。
「ヨルムンガンド……!」
 ルーネが目を見開いた。
 ヴァリッドが手にしていた片手剣は、ヨルムンガンドだった。手に入れた時は扱えなかった片手剣を、ヴァリッドは装備していたのだ。いや、装備できるレベルに上げてきたのである。
 ヴァリッドの隣にアーティが立ち、槍を手にする。それを見て、ルーネも杖を握り締めた。
「私達も手伝うわ」
「ヴァリッドの判断なら、信頼できるしね」
 アーティとルーネが言う。
「そう簡単には勝てると思わないで下さい」
 エンスが右手を水平に持ち上げた。
 途端に、周囲に合計八体のバグモンスターが現れた。以前、ヴァリッド達が苦戦したスカルナイトメアのバグモンスターだ。
「……エンスを任せる」
「ヴェイン?」
 ヴェインの言葉に、ヴァリッドは驚いていた。
「あなた達に、こいつらの相手はできない」
 言われて、ヴァリッドは納得した。
 既に、一度戦っている相手だ。いくら戦闘のための準備をしてきたとはいえ、ヴァリッド達のような一般PCではバグモンスターには敵わない。相手をできる者がいるとすれば、ヴェインだけだ。
「解った、やってみる」
 ヴァリッドは頷き、駆け出した。
 アーティが続き、ルーネが補助呪紋を唱える。迫り来るバグモンスターの間を駆け抜けて、ヴァリッドはエンスへと飛び掛った。
 エンスの杖がヴァリッドの剣を受け止める。呪紋使いとは思えない力で、ヴァリッドを強引に押し退けた。横へと弾き飛ばされたヴァリッドに代わって、アーティが槍を突き込んだ。エンスは身体を横へと移動させ、かわしている。
「ライオテンペスト!」
 雷撃の光を帯びた槍を、アーティは水平に薙ぎ払う。脇にいるエンス目掛けて。
 エンスは飛び退いて、かわすと同時に距離を取った。
「ライネック・ファ」
 杖を掲げ、エンスが唱える。
 エンスの頭上に闇属性の精霊神が召喚され、アーティに闇属性のエネルギーが炸裂する。HPが一気に激減し、アーティが膝を着いた。
「ファリプス!」
 ルーネの回復呪紋がアーティを即座に回復させる。
 立ち上がるアーティの脇を駆け抜け、ヴァリッドは剣を振り上げる。
「ギリウクラック!」
 大きく跳躍し、水属性の光を帯びた片手剣ヨルムンガンドをエンスへと叩き付ける。だが、エンスはヴァリッドの攻撃を杖一つで受け止めて見せた。
「ウルカヌス・ファ」
 剣を受け止めたまま、エンスが呪紋を唱える。
 エンスの頭上に、火属性の精霊神が召喚された。剣をエンスの杖に叩き付けたままの体勢のヴァリッドに炎が炸裂し、凄まじい爆発を起こす。
「ぐっ!」
 痛みを、感じた。リアルな痛みだ。由宇の身体に傷はない。ただ、それでも確かに熱さと痛みを感じた。
 エンスが、ヴェインと同じ力と危険性を持っているということを改めて実感する。ヴェインの攻撃を受け、瀕死になった時の恐怖が蘇った。身体の感覚が遠退いていく恐ろしさに、背筋に寒気が走る。汗がどっと噴き出すのが解った。
 アーティも、同じ感覚に襲われていたに違いない。それでも、彼女は立ち上がろうとしていた。
「ファラリプス!」
 ルーネの回復呪紋が、ヴァリッドのHPを全回復させる。
 ヴァリッドは、膝を着いていた。激減したHPが最大になった直後、ヴァリッドは目の前にいるエンスを見上げていた。
「あんたの望みは、何だ……!」
 言い、ヴァリッドは立ち上がった。ヨルムンガンドを構え、横薙ぎに振るう。
 エンスは後退してヴァリッドの攻撃をかわした。アーティがヴァリッドの脇を駆け抜け、エンスを追撃する。
「ギバクボルテクス!」
 アーティの槍が炎を纏う。彼女はそれを振り回す。槍を回転させながら、エンスへと何度も叩き付ける。
 エンスは槍を杖で受け止め、弾いていた。何度も繰り出されるスキルを、ただの杖だけで凌いでいる。並の呪紋使いにできる芸当ではない。放浪AI、エンスだからこの力だ。
 アーティの攻撃から逃れるように距離を取ったエンスへ、ヴァリッドは飛び掛った。
「ギガノスラッシュ!」
 ヴァリッドは土属性を帯びた剣を袈裟懸けに振り下ろす。杖で凌いだエンスへ、剣が逆袈裟に振り下ろされた。
「メロー――」
「ファバクドーン!」
 エンスが呪紋を唱えるよりも早く、ルーネの呪紋が発動した。エンスの頭上へ、巨大な炎の塊が落下する。
 だが、ルーネの攻撃はエンスには届かなかった。エンスの背後に出現したバグモンスターがルーネの呪紋を受けたのだ。エンスを庇うように、その身に炎の塊を受け止めた。ダメージはある。だが、バグで狂ったステータスには微々たるダメージしか与えられていない。
 エンスが、僅かに笑みを浮かべた。
 ヴァリッドは視線をヴェインへ向けた。
 背後には、凄まじい数のバグモンスターがいた。最も後方にいるルーネの真後ろまで、バグモンスターは迫っている。
 だが、ルーネに攻撃する直前で、全てのモンスターが打ち倒され、消滅していた。ヴェインが槍を振り回し、敵を薙ぎ払っている。それでも、無限に湧き出すかのようにバグモンスターは現れる。
 エンスを倒さなければ終わらない。ヴァリッドは息を呑んだ。
「ギリウドゥーム!」
 アーティが水流を帯びた槍を振るう。
 エンスの目の前に、バグったスカルナイトメアが手を置いた。まるで、エンスの盾にするかのように。アーティの攻撃はバグモンスターの腕に阻まれ、エンスまで届かない。
「メロー・ファ」
 エンスが水属性の精霊神を召喚する。
「わぁっ!」
 ルーネのHPが激減する。HPはヴァリッドやアーティよりも格段に低いが、魔法防御と属性防御が高かったお陰で即死せずに済んだようだ。
「完治の水!」
 ヴァリッドがアイテムを使用し、ルーネのHPを回復させる。
 バグモンスターとエンスの攻撃がヴァリッド達のHPを奪う。ルーネのSPの減少が早い。ヴァリッドとアーティはエンスだけをターゲットして攻撃を続ける。だが、バグモンスターが常にエンスを守っていた。
 反撃で減少するHPを、ルーネが回復させる。
 以前、バグモンスターと戦った状況と同じになっている。いや、エンスがいることを考えればもっと悪い状況かもしれない。回復アイテムも凄まじい勢いで減っていく。ヴェインはバグモンスターを食い止めるので精一杯らしく、協力は期待できそうにない。
「やっぱり、君達じゃ私は倒せそうにないね」
 エンスが呟く。
 バグモンスターの腕がアーティを吹き飛ばした。吹き飛ばされたアーティはルーネに激突し、地面を転がる。アーティは瀕死だったが、物理防御の低いルーネは即死だった。
「蘇生の飛躍!」
「た、助かった……!」
 ヴァリッドがアイテムを使用し、ルーネを蘇生させる。だが、次の瞬間にはヴァリッドがバグモンスターに吹き飛ばされていた。
 瀕死のヴァリッドをアーティがアイテムで回復する。ルーネがアーティを回復した直後、エンスの呪紋が彼女を直撃した。また瀕死状態になったアーティを、ルーネの呪紋が回復させるが、すぐさまバグモンスターの攻撃がアーティのHPを奪う。
 手も足も出ない。
 それでも、ヴァリッドもアーティもルーネも、諦めずに攻撃を続けた。
「少しは期待したけれど……」
 エンスが呟き、杖を薙いだ。
 衝撃波か、突風か、エンスが放った攻撃でヴァリッド達は吹き飛ばされた。壁に激突し、大ダメージを受ける。ヴァリッドの目の前にバグモンスターが迫り、爪を振り下ろした。
 咄嗟に、ヴァリッドは剣でモンスターの攻撃を受け止める。
「な――っ!」
 瞬間、ヴァリッドの目の前で剣は砕け散った。防御には成功したが、ヨルムンガンドは攻撃力を失っていた。バグモンスターは、もう一度爪を振るった。
 反射的に、ヴァリッドは今まで使っていた片手剣に持ち替えていた。だが、それも砕け散った。ヨルムンガンドと違って、柄までが砕けていた。破片が散らばる中、ヴァリッドは折れたヨルムンガンドを手にバグモンスターを見上げていた。
 視界には、槍を折られたアーティと、杖を砕かれたルーネが見えた。武器を失った二人も、壁際でバグモンスターに追い詰められている。
「元々、君達に勝ち目はなかった」
 エンスが呟いた。
 そう、初めからヴァリッド達がエンスに勝つ見込みはなかった。エンスだけならばともかく、バグモンスターが相手となるとヴァリッド達には勝ち目がない。エンスがバグモンスターを呼び出した時点で、ヴァリッド達にできることはなかった。
「そうだな……」
 アーティが呟いた。
「ボク達じゃ、バグモンスターには勝てない」
 ルーネが呟く。
「けど、お前なら、勝ち目がないわけじゃない!」
 ヴァリッドはバグモンスターの攻撃を横へ跳んでかわした。そして、折れたヨルムンガンドを投げた。エンス目掛けて。
 三人の傍には、バグモンスターがいた。そのうちの一体は、エンスが自身の護衛として呼び出したものだ。だから、今ならエンスの身を守る者はいない。
 折れたヨルムンガンドは、エンスの頬を浅く裂いて、背後の壁にぶつかって地面に転がった。刃が完璧な状態だったなら、エンスの顔を切り裂いて致命傷を与えていたかもしれない。
「やるじゃないか」
 ヴェインの声が聞こえた。
 部屋にいたバグモンスターが、いつの間にか全滅していた。斧槍を手に、ヴェインは歩み出る。水平に斧槍を薙ぎ払い、ヴァリッド、アーティ、ルーネを狙っていたバグモンスターを消し去る。
「動揺したか、人の意思に」
 ヴェインの口元には、微笑が浮かんでいた。
「終わりにしよう、全て」
 告げて、ヴェインは右手をエンスへと伸ばした。
 その右手首の周囲に、極彩色の光が現れた。極彩色の光は、まるで腕輪のようにヴェインの右手首を包んでいる。光の一部が棘のように、六方向へと伸びる。
「回収させてもらう」
 ヴェインが告げた。
 腕輪から、幾筋もの光が放たれる。閃光は渦を巻くようにしながら、エンスへと吸い込まれた。光はエンスの身体を貫く。瞬間、エンスの後方に腕輪から放たれたものとは別の光が生じた。まるで、エンスの中から弾き出されたかのように。腕輪から放たれた光は、そこで止まり、逆流を開始する。光が腕輪へと飲み込まれていく。エンスの存在を、飲み込むかのように。
 ヴァリッド達は、呆然とその光景を見つめていた。
「私の使命は終わった。礼を言う」
 ヴェインは、そう告げた。
「エンスも、私と同じ考えだったようだな」
「ヴェイン……?」
 少しだけ目を伏せて告げたヴェインの言葉に、ヴァリッドは眉根を寄せた。
「ヴェイン、これからどうするつもりだ?」
 ヴァリッドの問いに、ヴェインは笑みを浮かべた。
 答えは、既にヴァリッド達に伝えてあるとでも言うように。
「もう、時間だな」
 ヴェインは小さく呟いた。
 その身体が淡い光を帯びているのが判った。断片を全て回収したら、自分自身の存在も抹消する。それがヴェインの役目だ。
「あなた達の答えを聞けて良かった」
 そう言い残してヴェインは消えた。
 ヴァリッド達は、ヴェインの最後を見届けた。光の粒子となって、分解していくヴェインを、最後まで見つめていた。
 後に残ったのは、三人と、三つの武器だけだった。
 斧槍と、杖と、剣だけが、その場に残されていた。
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