第六章 「為したいこと」


 ヴァンたちは東ヴォズ樹林を出て、バイロン寺院に向かっていた。
 創世樹を目覚めさせたことでメータとテルマが成長し、メータはヴァンの手首から肘までの外側を覆うように、テルマはノアの手首の甲側に装甲を増やしていた。
 そしてガラの右手にも『聖獣(ラ・セル)』が宿っている。拳当や籠手のように、ガラの右手首から手の甲の指の半ばほどまでの部分を覆っている。深い青い 色をした装甲に、澄んだ水色をした宝石のような目に似た部分がある。握り拳を作ると、前面に三つの棘のような部位が来るようになっていた。
 『聖獣(ラ・セル)』はオズマと名乗った。
「……これが『聖獣(ラ・セル)』の力か」
 奥底から湧き上がってくる膨大な力を実感して、ガラが小さく呟いた。
「私たち『聖獣(ラ・セル)』には使命があります。ですが、私たちは単独ではあまり動けません」
 オズマが静かな口調で語りかける。
 創世樹と『聖獣(ラ・セル)』は『獣(セル)』による文明が危機に陥った時のための存在だ。だが、創世樹も『聖獣(ラ・セル)』も、単独ではその使命を果たすことができない。
「ですので、私たちは人と言葉を交わす力を持ち、身に着ける人を選ぶのです」
 オズマが言う。
 人が真に世界を救おうとする時、創世樹も『聖獣(ラ・セル)』も機能する。『聖獣(ラ・セル)』は、それを成し遂げる可能性を感じた者を装着者に選ぶのだ、と。
「あなたは私に身を委ねると言ってくれたけれど、私も自分の運命をあなたになら任せられると思ったのよ。そのことだけは忘れないでね」
「……ああ」
 優しい声音で囁くオズマに、ガラはややぶっきらぼうに返事をした。
「良かったのか?」
 感情を押し殺しているようなガラの横顔に、ヴァンは問う。
「いいんだ。俺が決めたことだ」
 ガラは静かに首を横に振った。
「ガラはこれからノアたちといっしょにいくのか?」
 ノアが聞いた。
 『聖獣(ラ・セル)』の仲間が増えたこと自体は嬉しく思う部分がある。だが、ガラがヴァンたちと共に旅をするかどうかは別の問題だ。
「……ゾッブ様に話をしてから決めようと思っている」
 ガラはそう答えた。
 バイロン僧兵であるガラが『聖獣(ラ・セル)』を身に着けた。ここが一番の問題だ。ガラ自身が最も悩んだところでもあるだろう。
 悩み抜いた末の結論なら、ヴァンたちがとやかく言うことはできない。オズマの使命はメータやテルマと同じだと思うが、必ずしも行動を共にしなければならないというわけでもない。
 ソンギのこともある。むしろガラにとっては、そちらの方が重要かもしれない。
「エイミ、もとにもどってるかな……」
「大丈夫、戻ってるよ」
 心配そうにぽつりと呟いたノアに、ヴァンはそう言って笑いかけた。
 創世樹が目覚め、『霧』が晴れたのだからバイロン寺院の『獣(セル)』に取り付かれた人々も元に戻っているはずだ。
 夜が明け、空が白み始めた頃、ヴァンたちはバイロン寺院に辿り着いた。
 バイロン寺院では既に破壊された壁の瓦礫の撤去や、破損した場所の修理などの作業が行われていた。ヴァンたちが戻ってくるまでに死者は一ヵ所に集められ、バイロン寺院内の血痕などは拭き取られていた。とはいえ襲撃の痕を修復するには数日はかかりそうだった。
 外で作業をしていた僧兵の一人が戻ってきたヴァンたちに気付き、別の一人が皆に知らせに行った。ヴァンとノア、それにガラは生き残った皆に迎えられ、ひとしきり感謝された。
 ガラが『聖獣(ラ・セル)』を身に着けていることに気付いた者もいたようだったが、その場では何も言わず、最終的に三人はゾッブ老の部屋へと通された。
「多くの犠牲は出たものの、ヴァン殿とノア殿のお陰でバイロンから『霧』を消し去ることができた。重ねて礼を言おう」
 ゾッブ老が頭を下げる。
 結局、昨夜の襲撃でバイロン寺院にいる僧兵の約二割が命を落としたようだった。負傷した者はいるものの、辛うじて僧兵以外の者には死者を出さずに済んだ ようだ。エイミも元に戻り、『霧』が晴れると同時に様子を見に来た者に連れられて食堂に身を寄せていたようだ。ヴァンたちが創世樹に向かったことなどを 知った後は他の女性たちと共に雑務をこなしていたらしい。
 詳しい話はまた後で直接会ってすることにして、ヴァンたちは先にゾッブ老に報告をすることにした。
「あやつが少し歪んでいることには気付いておったつもりだったが、よもやこんなことになるとは……」
 ソンギのことを聞いたゾッブ老が悔しげに顔を歪める。
 バイロン僧兵は皆良い人たちだと思っていたヴァンにとって、ソンギの行動は理解できなかった。トッドや寺院にいるバイロンの教えを受けた僧兵たちは礼儀 正しい者ばかりで、『獣(セル)』を毛嫌いしていた出会ったばかりのガラも、『獣(セル)』に対する嫌悪感や不信感は見せてもせいぜい堅物という印象だっ た。
 ただ、ソンギだけが違った。そのことをゾッブ老が気付いていないはずがない。
「大禅師よ」
「はい!」
 ゾッブ老が静かに呼び、ガラが力強く返事をする。ガラの表情は引き締まっていた。
「お前はバイロンの教えに背き、『獣(セル)』を身に着けた……わしはバイロンを治める者としてお前を破門せねばならん」
 ガラの手に宿った『聖獣(ラ・セル)』と、ガラの目を見てゾッブ老が静かな声で告げる。
「はい! 元より覚悟の上です」
 ガラはその場に片膝を着き、ゾッブ老に頭を垂れた。
 『聖獣(ラ・セル)』といえど『獣(セル)』であることに変わりはない。バイロン僧兵であるガラはオズマを身に着けたことで教えに背いたことになる。
「……はもんてなに?」
 ノアが首を傾げて呟いた。
「俺はもうバイロンの仲間ではなくなったということだ」
「え?」
 ガラが答えると、ノアは目を丸くした。
「それおかしいよ! だってガラわるいことしてないのに! いいことだけしてたのになかまはずれにするなんてひどいよ!」
 ノアが怒った顔でゾッブ老に詰め寄る。
「いいんだ、ノア! ゾッブ様は当然のことを仰っただけなんだ!」
 ガラが割って入り、ノアを引き離す。
「でも……!」
「俺たち僧兵のような修行者には自分で守ると誓った掟、約束がある。俺はその約束を破ってしまったんだ」
 悲しそうな顔をするノアに、ガラが言い聞かせる。
「先に約束を破ったのは俺なんだ。そして修行者たちをまとめるゾッブ様は掟を破った者を罰さねばならない」
 ガラの言葉を聞くゾッブ老は、感情を押し殺しているような表情をしていた。努めて無表情にしているように見えた。
「じゃあ、ガラはノアとヴァンのなかまになればいいよ!」
 いいことを思いついたという表情で、ノアが言った。
「ノアもヴァンもガラをぜったいなかまはずれにしないもん! ね、ヴァン!」
「ノア……」
 その言葉に、ガラが唖然とする。
 励まそうとしているのか、同じ『聖獣(ラ・セル)』を身に着けた仲間として一緒に行こうと誘っているのか、あるいは両方か。
 最初にヴァンが笑って、それからゾッブ老の表情が緩んだ。優しい表情でガラとノア、ヴァンを見る。
「ガラよ……」
 穏やかな声音で名を呼ばれ、ガラがゾッブ老を振り返る。
「お主にはソンギのことを頼みたいのだ」
「ゾッブ様……」
 真剣な表情のゾッブ老に、ガラが言葉に詰まる。
「たとえ『獣(セル)』を着け、バイロンの教えに背いたとしても、ガラもソンギもわしの大切な息子も同然の存在なのだ……」
 その言葉で、ヴァンはゾッブ老がガラを破門にした真意に気付いた。恐らく、ガラも気付いたことだろう。
 当然、バイロンの教えに背いたというのも理由の一つに違いはない。だが、それ以上に、ガラがソンギを追うことができるようにする意味合いがあったのだ。
 大禅師の称号を持つガラは、恐らく容易にはこのバイロン寺院を離れることができない。故に、破門することでバイロン僧兵の、それも大禅師であるというある種の縛りから解放したのだ。
 ガラ自身、『聖獣(ラ・セル)』を身に着けることで破門されることを覚悟していた。むしろ、破門されてでもソンギを追おうとしていたのだろう。
 ゾッブ老は汚れ役を買って出たのだ。
「はい……!」
 ガラは真剣な表情で頷いた。
「本音を言えば、『獣(セル)』を身に着けずにソンギを打ち負かすべきなのでしょう。しかし、あれはもはや人の限界を超えている……。いくら体を鍛えても、あの領域には辿り着けない」
 ガラは目を伏せ、悔しそうにつぶやいた。
 ただの『獣(セル)』ではない、何か特別な『獣(セル)』を身に着けたソンギを追い、対等以上に向き合うためにはガラにも『聖獣(ラ・セル)』のような 特別な『獣(セル)』が必要だった。バイロンの教えは『獣(セル)』を否定し、鍛錬と技のみでそれらを超えることを目標としているが、ソンギが身に着けて いた『獣(セル)』の力はその理想を易々と打ち砕いた。鍛錬のみで辿り着ける領域を超えたソンギを追うためには、ガラもそれと同等以上の領域に踏み入らね ばならない。
「みなまで言わずとも良い……誠実なお主のことだ、『聖獣(ラ・セル)』とはいえあれほど毛嫌いしていた『獣(セル)』を身に着けた……悩み抜いた末のことだと分かっておるよ」
 ゾッブ老はそう言ってガラの両肩に手を置いた。
「だからこそ、お主にソンギのことを託す」
 バイロン寺院の長老であるゾッブ老は、立場だけでなく年齢を考えてもソンギを追うことは現実的ではない。ソンギもガラを意識していた。
「はい!」
 ガラは力強く頷いた。その目には強い決意が宿っている。
「話は聞かせてもらったわ」
 ふと、背後の扉が開いてエイミが入ってきた。
「エイミ!」
 彼女の無事な姿を確認したノアがぱっと笑顔になってエイミに抱き着いた。
「ありがとう、ノアちゃん……それにヴァン」
 胸に顔を埋めるノアを抱き締めて、エイミが礼を言った。
「体は大丈夫なのですか?」
「ええ、何ともないわ」
 ほっとした表情をしつつも体を気遣うガラにエイミが微笑む。
「しかしエイミ殿どうなされた? 後で二人とも会いに行くと言うておったが……」
 唐突に現れたエイミに、ゾッブ老が僅かに首を傾げた。
「ソンギのことでちょっと気になっていることがあって……」
 言うべきかどうか迷っているような素振りを見せつつ、ノアを離したエイミがガラを見る。
「ソンギが、何か?」
 ガラが怪訝そうな顔をする。
「あの子、寺院を襲撃した時すぐに私のところに来て、『獣(セル)』を取り付かせたのよ」
 エイミが言った。
「他の人にはそんなことをしているようには見えなかったけど、襲撃自体もあまり乗り気には見えなかったわ。何より、私に『獣(セル)』を着けさせようとし た時のあの子は、感情を押し殺して、表情に出すまいとしていたようだけど、私には申し訳なさそうな顔をしていたように見えた」
 どこか寂しそうに、エイミが語った。
「確かに、あれだけの力を手に入れたソンギならもっと被害は大きくできたはず……」
 ガラも腕を組んで考えるように呟いた。
 ヴァンも思い返してみる。
 バイロン寺院の被害は決して小さなものではない。だが、東ヴォズ樹林で見たソンギの力は『聖獣(ラ・セル)』に匹敵するもののように思えた。ヴァンかノアが一瞬でも戦っていたらもう少し何か分かったかもしれない。
 ただ、本気で戦っているようには見えなかった。相手が『獣(セル)』を身に着けていないガラだったからかもしれないが、だとしたらソンギの目的は何だったのだろう。
 本気で暴れていたなら、もっと被害は拡大していたはずだ。
「何か裏がありそうだな……」
 ガラが出した結論は、ヴァンと同じだった。
 ソンギの言動や行動には不可解な点が多い。ソンギの身に着けた『獣(セル)』についても分からないことが多い。もしソンギが『霧』に与するのであれば、ヴァンとノアも無視できなくなる。
「でもノアはあいつきらいだ」
 ノアが頬を膨らませた。
「エイミにも、ここのみんなにもひどいことした」
「そうね……でも、そうしなければならない状況に巻き込まれてしまっていたとしたら、あの子だけ責めるわけにもいかないわ」
 諭すようにエイミが言った。
 エイミは優しいな、とヴァンは思った。
 もちろん、ソンギの行動に理由があれば許されるという簡単な話ではないだろう。とはいえ、事情があったとしたら同情の余地はある。
「私にとってあなたたち二人は息子のようなものだから、あの子にも事情があったと思いたいのよ」
 ガラを見つめて、エイミが言う。
「……ソンギのことは、俺が何とかします」
 そんなエイミに、ガラは静かに答えた。
 エイミは頷いてガラに笑みを見せる。それからヴァンの方へと目を向けた。
「ヴァン、あなたのことだから次はあの盆地に向かうつもりなんでしょう?」
 エイミの問いに、ヴァンは頷いた。
「何があるか分からないから、今日はまたここで一泊させてもらうつもりだけど、明日の朝には出発しようと思ってる」
 ドルク王領における『霧』の発生源は今のところ盆地にある建物だと言われている。『霧』に関する何かがそこにあるのはまず間違いないだろう。
 バイロン寺院が襲われたことで、ヴァンもノアも寝る間を惜しんで東ヴォズ樹林に向かうことになった。『聖獣(ラ・セル)』のお陰かまだ余裕はあるが、万全を期すためにも今日はバイロン寺院で休むつもりでいる。体を休め、最良の状態で盆地に向かおうと考えていた。
「やっぱり、あなたは勇敢なヴァルの息子ね」
 そう言って、エイミが微笑む。
「おばさんは……?」
 ヴァンは聞き返した。
 この後、エイミはどうするのだろうか。リム・エルムには帰らないつもりなのだろうか。手紙のことを思い出して、ヴァンはエイミの結論を知りたくなった。
「私は……最初はここに留まるつもりでいたわ」
 一度目を伏せて、エイミは答えた。
「ガラとソンギをもう少し見ていたかったのだけど、こんなことになってしまったから、私がここに留まる理由はなくなってしまったわね」
 苦笑を浮かべて、エイミは語った。
 真面目で誠実なガラはまだしも、ゾッブ老の言うソンギの歪みがエイミも気がかりだったようだ。一見するとガラに対抗心を剥き出しにしているだけだが、ガラにも原因があるのではないかというのがエイミの考えらしかった。
「俺にも……?」
 そのことを指摘されて、ガラが驚いたように自分を指さす。
「あなたは良い子だと思っているわ。だけど、あなたの何かがソンギに対して歪みを作ってしまったのかもしれない。それが何か分からないから、曖昧な言い方になってしまうけど……」
 エイミもはっきりと言い切れるほどの確信があるわけではないようだった。
 ただ、ソンギが一方的にガラを意識した結果としてあんな行動を取るまでに歪んでしまうだろうか、というのがエイミの疑問だったようだ。ガラにももしかしたら原因があるのかもしれない。だとしたら、もう少し二人を見守っていたい、エイミはそう思っていたのだ。
「気がかりだった二人がいなくなってしまうのなら、私はリム・エルムに帰ることにするわ」
 そう言って、エイミは少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
 エイミがバイロン寺院に残ろうと思っていたのはガラとソンギが気がかりだからだと手紙にも書かれていた。そのソンギは姿を消して行方知れずとなり、ガラ はそれを追うために破門されることを承知の上で『聖獣(ラ・セル)』を身に着け、旅に出ようとしている。二人が共にバイロン寺院に帰ってくる保障も、帰っ てこれる保障もない。
 バイロン寺院に残り、ガラとソンギが帰ってくるのを待つという選択肢もある。だが、それならリム・エルムで待つという選択肢もあるはずだ。
「ガラ、あなたはヴァンとノアちゃんと一緒に行くのよね?」
「……はい、そのつもりです」
 エイミの問いに、ガラは一瞬考えた後、そう答えた。
「ソンギを追うとは言っても、アテがあるわけではありませんし……『聖獣(ラ・セル)』の使命というものもありますから」
 右手に宿るオズマへ視線を向けて、ガラが言った。
 確かに、ソンギがどこへ向かったのかは分からない。手掛かりらしい手掛かりはなく、アテもなく世界を探し回ることになる。ガラとしてはソンギの捜索を最優先にしたいところだろう。だが、手掛かりが何もないのでは探すのも困難だ。
 世界中を回ることになるであろう『聖獣(ラ・セル)』の使命、創世樹の覚醒をさせながらソンギの手掛かりを追うことにしたようだ。
「なぁ、ガラ。これは俺の推測なんだけど……」
 ヴァンはメータに一度視線を向けてから、ガラに声をかけた。
 ずっと考えていたことがあった。
「ソンギの着けていた『獣(セル)』……あれを与えたのはゼトーって奴かもしれない」
「ゼトー? ヴァン、どういうことだ?」
 ヴァンの言葉に、ガラが眉根を寄せる。
「ソンギは『聖獣(ラ・セル)』だったものを改造した、って言っていただろ?」
 それはヴァンの推測でしかなかった。
 元々『聖獣(ラ・セル)』だったものが、何者かの手によって改造されてしまった。その改造された『聖獣(ラ・セル)』をソンギが手にしたというところまではソンギの言葉から想像できる。
 ヴァンには、『霧』に敵対する存在がゼトーしか思い付かなかった。だから、『霧』の敵となる『聖獣(ラ・セル)』を改造したのではないかと考えたのだ。
「メータ、テルマ、オズマ、あの『獣(セル)』、やっぱり『聖獣(ラ・セル)』なんだろ?」
「ええ、そうです……」
 ヴァンの問いに、一番初めに答えたのはメータだった。不可解さに対する疑問や、呼びかけに応えなかったことへの不安、敵対する可能性もあることから心苦しさといった感情が伝わってくる。
「……あれは、ジェドだね」
「闇の『聖獣(ラ・セル)』です」
 テルマが言い、オズマが説明した。テルマもオズマも、複雑な思いを抱いているのが声のトーンで分かる。
 メータたちの声がソンギにもそのジェドにも届かなかったということは、『聖獣(ラ・セル)』と呼べる存在ではなくなってしまっているのかもしれない。 『聖獣(ラ・セル)』の改造が可能なのかどうかさえ、ヴァンには分からない。ただ、もし改造したとするなら、真っ先に思い浮かんだのはゼトーだった。
 あの得体の知れないゼトーなら、『聖獣(ラ・セル)』を改造してしまいそうだと思った。むしろ、ゼトーが改造したと考える方が自然だとさえ思えた。
「俺がリム・エルムで見たゼトー……あいつが何かを知ってる可能性が高い」
 少なくとも、盆地にある建物には『霧』に関する手掛かりがあるはずだとヴァンもメータも考えている。
「ソンギが『霧』の側につくなら、『霧』を晴らしていけばあいつの手掛かりも見つかるかもしれない」
 ヴァンはそう結論付けた。
 今のところ、ソンギはヴァンたちの仲間だとは言えない。ソンギの行動は明らかにヴァンたちの妨害であったし、何より生まれ育った故郷であるバイロン寺院 を襲撃したとなれば、『霧』に敵対する存在とは考えられない。むしろ、『獣(セル)』に指示を出していたところを見ると『霧』の側についたと見るのが妥当 だ。
 だとすると、世界を巡り『霧』と戦って行けば『霧』そのものやゼトーだけでなくソンギについても何か分かるかもしれない。
「なるほど……筋は通っている。同行する意味はあるということか」
 ガラが呟いた。
「ヴァン、ノア、改めて宜しく頼む」
「ああ、こっちこそ」
 小さく笑みを見せたガラにヴァンも笑みを返した。
「私はリム・エルムに帰るけれど、もしソンギのことが何か分かったら、リム・エルムにくることがあった時に教えてね」
 エイミの言葉に、ヴァンとガラは頷いた。
 これからガラが同行するのであれば、ソンギのことをヴァンが知ることにもなる。ガラでなく、ヴァンがリム・エルムに帰った時に報告することもできるはずだ。
「では、今日はゆっくり体を休めていきなさい。ヴァン殿の荷物は客間に置いてある」
 話がまとまったところで、ゾッブ老が言った。
「はい、ありがとうございます」
 ヴァンは礼を言って、ノアたちと共に部屋を出た。
「あ、そうだエイミおばさん」
 一緒に部屋を出たエイミを、ヴァンは呼び止めた。
「どうしたの?」
「実はノアのことで相談が……」
 振り返ったエイミに、ヴァンは頬を掻いた。横でノアが自分の名前が出たことに首を傾げている。
「……下着とか、見繕ってやったりとか、色々教えてやってもらえないかな?」
 苦笑して、ヴァンはエイミに事情を話した。
 ノアが洞窟の中で狼に取り付いた『聖獣(ラ・セル)』に育てられたことは昨日のうちに話してはいたが、知らないことが多過ぎることについてはあまり話す ことができなかった。ドルクの城下町でノアの服を買った時、下着のことを忘れていたとヴァンはエイミに話した。ノアは気にしていないようだったが、これか らを考えると知っておいた方がいい。とはいえ、男のヴァンでは気持ち的にもやりづらい。
 創世樹のことがあって忘れていたということもあるが、昨日はとても言い出せる雰囲気ではなかった。
「そういうことなら任せなさい!」
 エイミは自分の胸を叩いて笑みを見せた。
「じゃあノアちゃん、おばさんが色々教えてあげる!」
 そう言って手を差し出したエイミを見て、ノアがヴァンを見る。
「ノア、エイミおばさんに色々教えてもらってきなよ」
「うん、わかった!」
 ヴァンが微笑んでそう言うと、ノアは元気良く頷いた。
 エイミがノアを連れて通路を歩いていくのを見送って、ヴァンはひとまず客間に向かうことにした。ガラはバイロン寺院の皆に事情の説明や挨拶をすると言って一人で行ってしまった。
 客間に敷かれた布団の横に荷物が置かれているのを確認して、ヴァンは布団の上に腰を下ろした。
 一息ついて、天井を見上げる。
 ひとまず、何とかなった。
 西ヴォズ樹林の創世樹が枯れてしまっていたのは残念だった。バイロン寺院の襲撃もあり、一時はどうなるかと思ったが東ヴォズ樹林の創世樹が無事だったお陰で『霧』を払うことができた。
 気がかりなことも増えたが、同時に仲間も増えた。
 一時は『獣(セル)』に取り付かれてしまったが、エイミも無事だ。リム・エルムに帰るとも言ってくれた。村長に頼まれたことは達成できたと言えるだろう。
 後は、ドルク王領の『霧』を完全になくすことができれば完璧だ。
 リム・エルム以来、ゼトーの姿を見ていない。何をしているのか、目的は何なのか、分からないことが不気味だった。
 食堂で昼を頂いた後、ヴァンはガラに声をかけられた。
「ヴァン、頼みがあるんだが」
「何だ?」
 食堂ではノアがエイミに食器の使い方や簡単な作法を教わっていた。エイミの教え方がいいのか、ノアは素直に教わっているようだ。時折褒められてもいた。
「一つ手合せをお願いしたい」
 ガラの頼みは、ヴァンとの手合せだった。
 『聖獣(ラ・セル)』を身に着けた自分の実力をはかりたいというのが理由のようだ。もちろん、ヴァンの実力と、ガラ自身との実力差なども知っておきたいのだろう。
「だったら外の方がいいかな」
 寺院の中ではあまり派手なことはできない。ヴァンの提案にガラも頷いた。
 『聖獣(ラ・セル)』の力を試すなら外でやるべきだろう。
 近くで話を聞いていた僧兵から話が広まって、バイロン寺院の外に出てヴァンとガラが向き合う頃には観客ができていた。
 ゾッブ老やハイアムの姿もある。集まった者たちの中にはエイミやノアを含めた女性陣はほとんどおらず、僧兵たちが中心だ。
 大禅師の称号を持っていたガラの実力はかなりのものだ。西ヴォズ樹林に向かう時、ヴァンはそれを実感している。『聖獣(ラ・セル)』を手に宿した今、恐らくガラの方に分がある。
「お手柔らかに頼むよ」
 苦笑しながら言って、ヴァンは身構えた。
 実践ではないのだから短剣は使わない。やや半身になって左手を前に、右手を引いてヴァンが構えると、ガラもヴァンに近い構えを取った。ガラの方が腰を落としていて、左手を目線の高さまで持ってきている。右手もより体に引き付けた型だ。
「では、行くぞ!」
 試合を申し込んだガラの方が先に仕掛けた。
 踏み込み、腰を捻って体重の乗った右の拳をヴァンへと振るう。風を切る音を聞きながら、ヴァンは身を屈めてかわした。ガラが右手を引くと同時に左手が突き出される。下から左手の甲で払うようにして突きを逸らし、ヴァンが右拳を繰り出す。
 ガラはヴァンの拳を右の手のひらで受け止めた。そのまま腕を掴まれ、引き寄せられる。投げ飛ばされそうになるのを、自ら先に跳んで勢いと力を殺し、驚いたガラに空中から蹴りを放つ。ガラが手を放し、距離を取ってかわす。
 着地したヴァンへとガラが肩から突撃してくる。足払いを跳んでかわしたガラと擦れ違い、対峙する。
「中々やるな!」
 ガラが笑みを浮かべる。
 まだガラには余裕がありそうだ。対するヴァンは何とか対応できている程度だ。トッドから武術は教わっているが、ガラほどの領域にまでは達していない。当然と言えば当然だが、純粋な実力はガラの方が上だろう。
 ヴァンに分があるのは、『聖獣(ラ・セル)』を身に着けてからの時間が一番長いという点ぐらいか。
「メータ、加減は頼むぞ」
 小声で囁いて、ヴァンは右手を握り締めた。
 メータの瞳が僅かに光を帯びて、ヴァンの右手に熱が宿る。炎になる寸前の熱量がヴァンの右手を中心に渦を巻いて、風を生み出す。服の裾と青い髪が微かに揺れる。
 今のヴァンとメータにどれだけのことができるのか、試したことはなかった。最も力を込めたのはリクロア山でノアを助けた時だっただろうか。東ヴォズ樹林でソンギが呼び寄せた『獣(セル)』と戦う時も、木々が燃えてしまわないように気を使っていた。
 ガラも試したくなったのだろうか。
 ヴァンは足に力を込めて踏み込んだ。今までよりも早く鋭い踏み込みにガラが目を見開いた。
 熱気を纏った拳を、ガラが身を反らしてかわす。そのままの勢いで回し蹴りに繋げ、防いだガラが熱量に驚いて後退する。
 ガラの目つきが変わり、向こうも右手を握り締めた。オズマが僅かに火花を散らしているのが見えた。
「オズマの力は雷です」
 メータがそう助言をくれた。
 ガラの突きが鋭くなった。かわし切れずに腕で払うと、火花が散った。僅かに痺れたような感触が残る。
 決定打に欠けたまま、攻防を繰り返す。お互い、どこまで力を発揮していいものかを探り合うように拳を交えた。どちらかと言えばヴァンの方が押されていた。
 ガラが手加減をしてくれているのかとも思ったが、どうやら『聖獣(ラ・セル)』の力に慣れていない部分の方が大きいようだ。オズマによって強化された身体能力に驚いている。同時に、自分の知っている力加減とは異なる、その先の感覚というものに戸惑っているのだ。
 ヴァンにも経験があるものだが、メータとの付き合いが数日とはいえ長い分、慣れがある。
 相手が仲間であることと、明日出発するというところで怪我はさせられない。お互いにそう考えているから、実力を知るための試合とはいえどこまで力を込めていいものかと迷っている。
 距離を取って向き合ったところで、ヴァンは大きく息を吐いた。
 もう少しメータの力を引き出してみよう。ヴァンの考えが伝わったようで、メータから了承の感情が返ってくる。
 ヴァンの右手に集まっていた熱気が炎に変わる。
 踏み込み、思い切り右手を振り被る。ガラは咄嗟に横へ跳んだ。振り下ろした右手は地面に触れなかった。それでも小さな爆発が起こる。
 目を見開くガラへ回し蹴りを放つ。ガラがオズマを盾にするように右手で受け止める。蹴った場所が爆発し、ガラが衝撃に数歩後退る。
 ガラが負けじと放った右拳のオズマが青白い火花を増していた。ヴァンは身を捻ってかわそうとする。メータがヴァンの体に熱気を纏わせ、ガラの拳の勢いを僅かに弱め、逸らしてくれた。
 そして、蹴りを防いだガラが突き出したオズマの宿る右拳に、ヴァンはメータの宿る右手を叩き付けていた。
 衝撃がヴァンとガラの体を硬直させる。二人を中心に真紅の炎と青白い火花が踊る。
「このくらいにしておかないか?」
 ヴァンが言った。
 これ以上は怪我をしそうだ。
「そうだな」
 ガラも頷いた。
 組み合った状態からお互いに力を抜いて、一歩ずつ後ろへ下がる。
「さすがだな……『聖獣(ラ・セル)』の力の使い方では敵わないか」
「そうでもないさ。単純な実力はガラの方が上だろ」
 息をついたガラにヴァンは苦笑して、汗を拭いながら答えた。
 やはり武術的な実力ではガラの方が上だ。これに関しては疑いの余地はない。バイロン寺院の中でも屈指の実力者であるガラに対し、ヴァンは一僧兵であるトッドにすら及ばぬ腕前だ。単純に考えれば話にならない。
 どうにか試合の形になったのも、ヴァンの方がメータを身に着けてからの時間が長いからだろう。メータとの意思疎通や、力の扱い方ではヴァンの方が長けている。
 恐らく、ガラはまだ『聖獣(ラ・セル)』を信用し切れていない。オズマを身に着けたことで身体能力は上昇し、オズマの持つ力も使えるようにはなっている はずだ。ただ、オズマを身に着けることを受け入れたとはいえ、今まで毛嫌いし憎んでいた『獣(セル)』でもある。悩み抜いた末の決断ではあるのだろうが、 そう簡単に命を預けるほど信頼できないのだろう。
 こればかりはヴァンが何かを言ってもすぐには変わらないだろう。ガラとオズマたち自身で信頼関係を築くしかない。
 その点においては、ヴァンもノアも『聖獣(ラ・セル)』に対する信頼感は強い。ノアにとってテルマは育ての親みたいなものだし、ヴァンにとってメータはリム・エルムの窮地を救うために力を貸してくれた存在で、『霧』を払う力まで与えてくれた。
 その差だろう、とヴァンは思う。
 きっと、ガラがオズマの力に慣れ、信頼関係が築かれたならば、ヴァンよりも強くなるだろう。
 ヴァンにはガラほどの武術の腕前も無ければ、ノアのような俊敏性もない。もしかしたら三人の中でヴァンが一番弱いかもしれない。
「ヴァンは短剣も使うのだろう? 素手での試合が全てではないはずだ」
 ガラも汗を拭いながら言った。
 確かに、元々が狩人になった時のことを考えて鍛えてきたヴァンの戦い方は、武器を使うことが前提だ。短剣を持っていたら結果は違ったのだろうか。
「どうかな、あんまり変わらない気もするけど」
 ヴァンは頬を掻いた。
 短剣を武器に選んではいるが、特別剣の扱いに秀でているわけでもない。
 そう考えて、ヴァンは自分の右手に宿るメータに目を落とした。
 今は『聖獣(ラ・セル)』の加護で十分通用しているが、これから先もそうとは限らない。『聖獣(ラ・セル)』を身に着けているからと、その力にばかり頼っていてはダメだ。
 メータの持つ力や、自分の出せる力については何となく分かってきている。だが、それでリム・エルムの壁を壊したあの巨大な『獣(セル)』に勝てるだろうか。一瞬だけ見えた、あの悪魔のような『獣(セル)』の化け物とも、いつか戦うことになる気がしていた。
「俺も、もっと強くならないとな……」
 ぽつりと、ヴァンは呟いた。
 恐らく、今のヴァンではあの巨大な化け物には勝てない。何となく、そう思う。
 もっと強くならなければ。創世樹を覚醒させてメータたち『聖獣(ラ・セル)』が成長すれば、それだけでもヴァンたちは強くなれる。だが、それと同時に装着者であるヴァン自身も強くなるべきだ。
 ヴァンが自身を鍛えたところで、変化は微々たるものかもしれない。それでも、しないよりはマシだろう。
 これから先に何が待ち受けているのかは分からない。十年もの間、世界は『霧』に覆われて滅んでいるようなものなのだ。楽観視していられる状況ではない。
 ただの『獣(セル)』よりも『聖獣(ラ・セル)』が強い力を持っているのは事実だ。だが、それに頼り切っていては『聖獣(ラ・セル)』と同等以上の敵が現れた時に対処できなくなるだろう。
 今、この世界で『霧』を晴らすことができるのは『聖獣(ラ・セル)』を身に着けたヴァンたちだけなのだ。
 どんなものが相手でも、ヴァンたちが負けることは許されない。それは即ち、この世界の滅亡を意味する。創世樹の覚醒という希望がなくなることを意味する。
 それは、世界の未来を背負うということだ。
 『聖獣(ラ・セル)』の装着者であることの本当の意味が、分かった気がした。
 それだけの覚悟があっただろうか。
「ヴァン?」
 バイロン寺院に戻ろうとしていたガラが、立ち止まっているヴァンを見て声をかけた。試合が終わったことで観客たちは皆バイロン寺院の中へと戻って行っている。
「……なぁ、ガラ」
 顔を上げて、ヴァンはガラを見る。
「ガラは、『聖獣(ラ・セル)』を身に着けると決めた時、何を考えてたんだ?」
 そんな疑問が口をついて出た。
「そうだな……」
 腕を組んで、ガラは思い出すように遠くへ視線を飛ばした。
「オズマが俺を選びたい、と言った時、俺は困惑していたな」
 何故自分だったのか、既に『聖獣(ラ・セル)』を身に着けているヴァンやノアがいる中で、オズマはガラを選んだ。
「私たち『聖獣(ラ・セル)』は、それぞれ重視するものがあるのよ」
 オズマが言った。
「重視するもの?」
 ガラが聞き返す。
「例えば、私なら熱意や勇気といったものです」
 メータが答えた。
 強い思いや、熱意、勇気といったものがメータの求める装着者の条件らしい。リム・エルムを旅立つ前、メータがヴァンを選んだ理由に思いの強さを挙げていた。
「私は誠実さを」
 オズマが選ぶ条件は誠実さのようだ。
 その『聖獣(ラ・セル)』が求める条件を満たしている者には声が聞こえるということなのだろう。そして、身に着けた後は仲間である他の『聖獣(ラ・セル)』の声も聞こえるようになる。
「テルマは純真さですね」
 この場にいないテルマのことを、メータが補足した。
「ノアにぴったりだな」
 ヴァンは小さく笑った。
 赤子だったノアにテルマが反応したのも、まだ自我もない故の純粋な心を持っていたからだろう。もしかしたら、純真なまま育つ素質というのもあったのかもしれない。
「ともかく、俺がどうしたいのかを考えていた」
 話を戻したガラの次の言葉を、ヴァンは待った。
「『獣(セル)』を身に着けることはバイロンの教えに反する。俺は大禅師だ。身に着けるべきではない。当然、そう思っていた」
 ガラはオズマを見つめて、言った。
 大禅師という立場にありながら、『聖獣(ラ・セル)』に選ばれた。
「だが、『獣(セル)』を身に着けたソンギと戦って、手も足も出なかったのは事実だ。あいつとの実力差はほとんどなかった。ソンギは不真面目な態度や言動を取っているが、鍛錬は怠っていない」
 大禅師に選ばれるぐらいなのだから、試合ではガラが勝っていたのだろう。それでも、ガラから見ればソンギとはほぼ互角、同等の実力だった。不真面目で粗 野な言動や態度を取ってはいても、ソンギもバイロン僧兵の一人だ。文句を言いながらも鍛錬自体はしっかりやっていたのだとガラは語った。
「ソンギが道を踏み外した理由は何なのか、望んでそうしたのか、俺は知りたかった」
 ソンギが『獣(セル)』を身に着けるに至った経緯や、バイロン寺院を襲撃した真意は何なのか、ガラは知りたいのだ。ソンギが自ら望んでそうしたのか、何かそうせざるをえない理由があったのか。あるいはもっと別の原因があるのか。
「追いかけるとして、俺に何ができる? あいつを説得するのか? 叩きのめすのか? 色々な考えが頭を巡っていた」
 結局、ソンギを追うことを選んだとして、ガラ自身はどうしたいのか分からなかった。追いかけてどうするのか。ソンギを説得してバイロン寺院に連れ帰るの か、それともバイロンに仇なす者として叩きのめすのか。説得を試みたとして、ソンギが応じるだろうか。仮に応じるとしたら、何をどうするべきなのか。原因 や理由を突き止めて、それを解決することがガラに出来るのだろうか。
「あいつは、俺の幼馴染みで、兄弟のようなものだ……」
 拳を握り締めて、ガラは呟いた。
「だから、放っておくという選択肢だけは、俺にはなかったんだ」
 バイロンを去ったソンギを放置して、これまで通りの生活に戻る道もあった。ソンギのことは忘れて、大禅師としてバイロン寺院でこのまま暮らしていくこともできる。
 性格は正反対でも、ガラにとってソンギは他人ではない。忘れて生活することなど、ガラには選べなかった。
「『聖獣(ラ・セル)』の使命などより、俺にとってはそちらの方が重要だった」
 ソンギを追うと決めた時、ガラに必要なものは何か。バイロンの教えを取り、身一つでソンギを追うべきなのか。あるいはソンギと同じように『獣(セル)』を身に着け、同じ条件で対峙するべきなのか。
 ガラの理想はヴァンにも分かる。
 その身一つで『獣(セル)』を身に着けたソンギを叩きのめすことで、『獣(セル)』の力を得たソンギを否定する。『獣(セル)』などなくとも、高みに至ることができると証明し、ソンギの目を覚ます。それが理想だ。
 あるいは、ソンギが身に着けたのがただの『獣(セル)』であれば、それも可能だったかもしれない。しかし、ソンギが手に入れたのはただの『獣(セル)』ではなかった。
 だから、ガラは悩んだのだ。『聖獣(ラ・セル)』だったという謎の『獣(セル)』を身に着けたソンギの力は、常人には到底及ばぬものだった。
「結局、俺はソンギを止められる可能性の高い方を選んだ」
 オズマは、判断をガラに任せると言った。オズマはガラを選んだが、ガラがオズマを選ぶ必要はない、と。拒否する選択肢を残した。それはオズマの優しさだったのかもしれない。これから運命を共にするであろう者が後悔しないように。
「『聖獣(ラ・セル)』の使命のことを全く考えなかったわけではなかったが、な」
 ガラは空を見上げてそう呟いた。
 『聖獣(ラ・セル)』を身に着けることで背負うことになる使命があることを承知の上で、ガラはオズマを選んだ。その使命の意味や重さよりも、ガラにとってはソンギのことの方が大きかった。いや、その使命を背負ってでも、ソンギを止めなければならないと思ったのだろう。
「俺は……ただ『霧』をなくしたかった」
 ヴァンは右手を見つめていた。
 リブロが死んだことを知った時も、メイが泣き崩れていた時も、イクシスが悲しんでいた時も、ネネがヴァルに泣きついていた時も、リム・エルムの壁が壊さ れて『霧』が入ってきた時も、ヴァンはただただ『霧』を晴らしたいと思っていた。それ以前から、創世樹に寄り添いながら広場でのんびり過ごしていた時でさ え、心の片隅にその思いは常にあった。
 『霧』さえなければ、救われた命が沢山ある。
 初めてメータの声を聞いて、『霧』を晴らしたいかと問われた時、ヴァンの中にあったのは『霧』からすべてを守りたいという思いだった。
 もし、自分にその力があるのなら、メータの力を借りることでそれができるなら。
 その時のヴァンには迷いも躊躇いもなかった。『聖獣(ラ・セル)』の使命の本当の意味や重さなど頭にはなく、ただ『霧』をなくしたいという思いだけがあった。
「今になって、『聖獣(ラ・セル)』の使命の重さに気付いたんだ……」
 肩を竦めて、ヴァンは苦笑した。
 使命の大きさや重さに、萎縮してしまっているのかもしれない。とてつもなく大きく重いものを背負っているのだと、自覚した。
「そんな覚悟が俺にあるのか、覚悟してたのか、って今になって考えちゃってさ」
 メータは何も言わず、ヴァンの言葉をただ聞いている。ただ、僅かに優しい熱を感じるのは、メータの感情だろうか。
「……それでも、止めるつもりはないのだろう?」
 静かな声音で、ガラが言った。
 ヴァンははっとして、ガラを見る。
「俺もそうだ。お前に言われて、とてつもないものを背負ってしまったんだと思い知った気分だ」
 そう口にするガラは、しかし動揺している風には見えなかった。
「だが、だからと言って、投げ出すか? 違うだろう? 俺も、お前も」
 ガラは使命よりもソンギのことを選び、オズマを身に着けた。使命が重いからと、旅に出ることを止めようとは思わない。ガラにとっては、人類の未来よりもソンギとのことを解決する方が重要だった。それだけのことだ。
「そうか……確かに、そうだよな」
 薄く笑みを浮かべて、ヴァンはメータを見る。
 ヴァンが為したかったことが、結果として人類を救うことになるかもしれない。それだけでいいはずだ。人類の未来がヴァンたちに懸かっているとしても、するべきことや目的が変わるわけではない。
 ヴァンたちが死ぬことで人類の未来が閉ざされる。だから負けは許されない。それを疑うことはできないだろう。
 ただ、そうでなくとも道半ばで死んでしまえばヴァンたちは自分の目的を果たせない。目的の大小や、背負っているものの重さも大切なことかもしれない。だが、ヴァンたちが今どうしたいかも同じくらい大切なことのはずだ。
 未来や世界の滅亡という背負ったものが重いからと、旅を止めようとは思わない。
「俺は、『霧』を払いたい……『霧』のない世界を見たいんだ」
 握り締めた右手に、熱が宿る。
 リム・エルムの壁が壊されて、メータの声が聞こえてから、胸の奥で燻っていた思いに火がついて、ずっと燃え続けているような気がする。
 責任感に押し潰されて旅を止めたとしても、ヴァンの代わりに誰かがメータを身に着けてくれるとは限らない。滅亡しかけているこの世界で、ヴァン以外にメータの適格者がいるか分からない。
 何より、『霧』をなくしたいという思いが強い。
 そのための力が自分に託された。背負うことになったものがどれだけ大きく重いものだったとしても、歩みを止める理由にはならない。
 自分にできるなら、と力を望んだのはヴァン自身なのだから。
「ありがとう、吹っ切れた気がする」
 そう言って、ヴァンは笑った。
 ガラも同様なようで、頷いた。
「そういえばオズマ、一つ聞きたいんだが二つの『聖獣(ラ・セル)』を一人の人間が身に着けることは可能なのか?」
 ふと、ガラがそんなことを口に出した。
「不可能ではないと思うけれど、それぞれ重視する要素が違うから、まずないと思うわ」
 少し考えているような口調で、オズマが答える。
 一人で二つ以上の『聖獣(ラ・セル)』を装着したらどうなるのか、言われてみれば興味がある。実際、普通の『獣(セル)』は用途別に使い分けたりすることはあったようだ。同時に身に着けることもある。だとすれば、『聖獣(ラ・セル)』の複数装着も不可能ではないだろう。
「意思の疎通ができることも考えれば、現実的ではないか」
 ガラが顎に手をあてて呟く。
 意思のある『聖獣(ラ・セル)』を複数つけたところで、それぞれが主張し合ったり遠慮しあったりするようなことがあれば混乱するだけだ。
「『聖獣(ラ・セル)』自体、この世界には極少数しか存在しませんから、身動きのとり易さを考えても一人につき一つの『聖獣(ラ・セル)』が最良でしょうね」
 メータが補足するように言った。
 元々、世界中に僅かしかない創世樹の中で『聖獣(ラ・セル)』が眠っている。創世樹自体、希少なものなのだから、『聖獣(ラ・セル)』自体も数えるほどしか存在していない。
「複数身に着けても、劇的に変わるわけではないと思うわ。それに扱える力が増えればその分、使い手への負担も増えてしまうから」
「だとすれば、『聖獣(ラ・セル)』を身に着けた者が集まって力を合わせた方が有意義だと思います」
 オズマの言葉に、メータが肯定するように続いた。
 『聖獣(ラ・セル)』が操る複数の力を一人で使うことができるというのは利点だと言える。だが、その分それを使う者には使い分けられるだけの力量や判断 力などが求められ、負担が増すことにもなる。身に着けることで強化される身体能力なども、単純に倍加されていくというわけでもないようだ。
 メータの言うように、装着者同士で力を合わせる方が効果的な場面も多いかもしれない。状況によっては、装着者が複数いれば分業することも可能だ。
「なるほどな」
 納得したようで、ガラが頷く。
「そうだ、ガラ、頼みがあるんだ」
 ガラと並んでバイロン寺院の通路を歩きながら、ヴァンは言った。
「これから先、旅をしていく中で一日に一回程度でいいから俺に稽古をつけて欲しいんだ」
 試合の後に考えていたことを、ヴァンは伝えた。
 『聖獣(ラ・セル)』の力だけでなく、ヴァン自身がもっと戦い方を知るべきだ。これから先、何が待ち受けているか分からない。どんな敵が現れても生き延びられる力をつけたい。
 そのために大禅師の称号を持っていたガラの武術の腕を見込んで修行に付き合って欲しい、と。
「ああ、構わないぞ。俺としてもその申し出はありがたい」
 ガラは快く了承してくれた。
 元々が修行者であるガラとしても、ヴァンの特訓の申し出は丁度良かったようだ。『聖獣(ラ・セル)』の力に慣れ、武術を学び、体を鍛えることが同時にできる。
 最初は『獣(セル)』を毛嫌いしていたこともあって、上手くやっていけるか不安なところもあった。だが、オズマを受け入れてからのガラはまだぎこちなさ はあるものの、抵抗感はかなり少なくなっているようだ。同じバイロンの武術を齧っていたことや、トッドと知り合いだったこともあって、上手くやっていけそ うな気がする。
 それからガラは旅支度のために自分の部屋に向かい、ヴァンは客間に向かった。
 どうやらノアはエイミと一緒に風呂に入ったりもしたらしい。通路ですれ違った時に、色々教えてもらっているとはしゃいでいた。かなりエイミに懐いていた ため、ノアはエイミの寝泊りしている女性たちの部屋で一緒に寝ることにしたようだ。面倒見のいいエイミがいるなら安心だと、ヴァンもそれを快諾した。
 夕食を終えた後は、徹夜になっていたことと、明日のことも考えて早めに休むことにした。
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