第十二章 「風車の町ウィドナ」 ジェレミを出た三人は北へ向かって少し進んだところで遅めの朝食を取ることにした。 丁度、庭園で貰った果実が沢山あったから、その日の朝食はいくつかの保存食と果実ということになった。 「あまーい!」 一口齧ったノアが笑顔で声を上げる。 甘さと香り、それに僅かな酸味が程好く口の中に広がる。噛み締めた時のシャクシャクと音を立てる程度の歯応えも心地良い。 「うむ、確かにこれは甘味と酸味のバランスが絶妙だな」 ガラも果実を齧ると、口元に笑みを浮かべて頷いた。 ヴァンもリム・エルムで同種の果実を食べたことがあるが、ジェレミの庭園でとれたものはそれよりも格段に美味しく感じられた。 「まだ沢山あるぞ」 「もういっこちょうだい!」 ヴァンが言うと、ノアが芯だけになった果実を放り捨てて、手を差し出す。 袋の中には一度では食べ切れない量の果実が入っている。ヴァンは新しく果実を取り出すと、ノアに手渡した。ノアは嬉しそうに齧り付く。美味しいものを食べている時のノアは本当に幸せそうだ。 「ほんと、美味そうに食べるなぁ」 そんなノアを見ていると、ヴァンも表情が緩んでしまう。 食事を終えた後、ヴァンはガラと軽く修行を行った。今日はお互いに『聖獣(ラ・セル)』の力は使わず、純粋な武術の訓練という形を取った。 「そういえば、一つ聞いてみたかったんだが」 特訓を終え、汗を拭いながらガラが言った。 「お前たちは『聖獣(ラ・セル)』の力を使う時、どんな感じなんだ?」 「どんな、って?」 ガラの問いに、ヴァンはそう返した。 どんな感じ、と聞かれてもどう答えていいかイマイチ分からない。もう少し具体的な質問が欲しいところだ。 「ふむ……何と言えばいいか、俺の場合はオズマの力を使う時に、ピリッとした電気のようなものが巡るのを感じるのだ」 ガラは顎に手をあて、どう説明すればいいか考えながらそう切り出した。 どうやら、オズマの力を使う際、ガラは電気刺激のようなものを感じているらしい。オズマが雷を司る『聖獣(ラ・セル)』だからだろうか。 腕や脚など、力を込める部位を限定すればその場所に、全身で力を引き出そうとすれば体中に、電流のようなピリッとした感覚が駆け巡るのだそうだ。そして、それがより一層気を引き締めることに繋がるのだ、とも。 規律正しくあろうとするガラらしい感覚だ。 「ああ、そういうことか。俺の場合は熱を感じるよ」 ヴァンはガラの言いたいことを察して、そう答えた。 確かに、言われてみればヴァンも気になることだった。ヴァンがメータの力を引き出した際には、熱を感じる。体の芯が熱くなる。 右手のメータで攻撃をしようとすれば、右手の中で炎が燃え上がるような錯覚を抱くほどの熱を感じている。右手でなくとも、何かしら力を込めてメータの能 力を使おうと意識すれば、その部位に体中から熱が集まるような感覚を抱くのだ。ヴァンの思いに応じて熱量は高まり、体中を駆け巡る。そして、その熱さは更 にヴァンの思いを強くする。 「ノアはねー、なんだかすごくすーっとするよ」 手を大きく開くように動かして、ノアが言った。 ノアが言うには、体の中を澄んだ風が駆け巡るような感覚があるらしい。ノアの思いを後押しするように、追い風のように風が吹くのだそうだ。ゼトーとの戦 いで津波を裂くほどの竜巻を作り出した時には、ノアの体がはちきれんばかりに体の中を風が吹き荒れていたらしい。それこそ、強く大きな嵐のように。そして それが、やらなきゃ、というノアの思いを大きくする。 真っ直ぐで曇りのない心を持つノアらしい。 ともかく、メータたち『聖獣(ラ・セル)』の持つ力を象徴するような感覚を、ヴァンたち使い手はそれぞれ抱いているようだ。 「じゃあ、メータたちは?」 ふと、気になってヴァンは聞いてみることにした。 「私たち、ですか?」 右手のメータが首を傾げたような不思議な気配が伝わってくる。 「ふむ、確かに少し興味があるな」 ガラも気になったようだ。 『聖獣(ラ・セル)』はどんな感じ方をしているのだろう。 「そうですね……基本的にはあなたたちと同じです」 メータが答える。 「私の場合は、力を使おうとするヴァンの思いを熱として感じ取り、それを糧に私は力を発揮しています」 火の『聖獣(ラ・セル)』であるメータは、ヴァンの思いや感情を熱としても感じ取っているようだ。力を使おうとする時にはそれが顕著に表れ、メータはその思いに応じるように力を発揮しているとのことだった。 「私はノアの心を空のように感じているよ」 風の『聖獣(ラ・セル)』であるテルマの感じ方は、メータとは違うようだった。 「そら?」 ノアが目を瞬かせて首を傾げる。 「そうだね、例えば、ノアが元気一杯で、楽しいとか、幸せだとか思っているとしたら、私はそれをとても青く澄んだ気持ちの良い快晴の空みたいに感じているのさ」 優しい声音でテルマが言った。 普段のノアが晴れた青空のようだというテルマの例えは、何だかとてもしっくりくるものだった。 ノアが明るく前向きな気持ちの時はそれを象徴するかのように、テルマは青空の中にいるような印象を抱いているようだ。そして、ノアの気持ちが曇れば、テ ルマはそれをどんよりとした曇り空を見るように感じ取っているということになる。激しい感情はそれこそ嵐のように感じられるのだろう。 「私もガラと同じです。あなたの感情や心が高ぶれば、その激しい思いは雷のように感じられます」 雷の『聖獣(ラ・セル)』であるオズマも、自分の力を象徴する感覚でガラの思いを受け取っているようだった。それは緊張感を促すような微細な電気刺激で あったり、毛が逆立つようなざわざわとした静電気のような感覚であったり、心地の良い痺れにも似た感覚であったりするらしい。激しい怒りなどは、まさに雷 を落とすかのように感じられるのだろう。 「なるほど……お互いの思いを重ねるというのがより強い力を発揮するのに重要だというのが何となく分かるな」 腕を組んだガラが小さく頷いた。 身に着けた者が抱いた思いと『聖獣(ラ・セル)』の思いが重なれば、互いに力を引き出して高め合うことに繋がる。 例えば、ヴァンが感じた怒りはメータに伝わり、メータはヴァンが攻撃しようとする意思に応じて力を発揮する。その時、メータも敵に対して怒りを感じてい れば、それは実際の力や熱となってヴァンにも伝わってくるのだ。メータから感じられる熱に対して、ヴァンが更に強く意思を持てば、それにメータも呼応す る。その連鎖が『聖獣(ラ・セル)』の力を高めていくことになる。 思いが別々の方向を向いていれば、そうはならない。 「俺に足りないのは、それか……」 ガラが小さく呟く。 その一言で以前、リム・エルムでガラが言っていたことを思い出した。ガラは恐らく、どうしたら『聖獣(ラ・セル)』の力を上手く引き出せるのか考えていたのだろう。 「ガラ、もしかして『聖獣(ラ・セル)』の力を使うってこと、意識し過ぎてるんじゃないか?」 果実を袋から一つ取り出しながら言って、ヴァンはそれを一口齧る。 「意識し過ぎている?」 僅かにガラの目が見開かれる。 「俺は確かにメータの力を使っているけど、何ていうか、使うって意識はあまりないんだ。力を合わせてるとか、貸してもらってるって感じが強くてさ」 事実上、ヴァンはメータの力を使っている。ただ、それを実際に使っているヴァンには、メータを使役しているという意識はない。 メータから力を借りる、貸してもらっている、あるいはメータと力を合わせている。そんな思いが根底にあるのだ。 ガラは生い立ちから、『獣(セル)』に対するマイナスのイメージが強かった。ソンギを追うために『聖獣(ラ・セル)』を身に着けたと言っても過言ではない。それに、ガラは頑固なところもある。 直ぐにオズマと打ち解けるのは難しい。オズマの方はガラを受け入れていても、ガラがオズマを受け入れ切れていない。気にしない素振りを見せていても、無意識のうちに、あるいは意識の奥底に、まだ割り切れないものがあるのではないだろうか。 頭や理屈では分かっていても、まだどこか引っ掛かるところがあるに違いない。 「焦らないで、ガラ。無理に私に合わせようとしても、どこかで綻びが出きてしまうわ」 オズマが静かな声で語り掛ける。 実際にガラと繋がっているオズマには、ガラが悩んでいるのも分かるのだろう。 「うむ……どうにも、気が急いてしまってな」 姿を消したソンギは、あの時よりも強くなって現れる。そんな確信がガラにはあるようだ。手を加えられたというソンギの『獣(セル)』と違い、ガラの『聖獣(ラ・セル)』オズマには自我がある。 次に会った時、どれほどソンギが力を付けているのか分からない。今の自分に、強くなっているであろうソンギと渡り合える実力があるのかどうか。 オズマの力を上手く引き出せていないという自覚が、ガラを焦らせているのだろう。 無理に気持ちを合わせようとしても、上手くいかないのは当然だ。心が繋がっているようなものなのだから、相手に合わせようとしているのが、無理をしてい るというのが伝わってしまう。分かってしまう。そうして生じた相手に対する感情は、一歩間違えれば負の方向に向かってしまう。 そうして、負の感情が混じってしまえば、心や思いを重ねるのは余計に難しくなる。 「気持ちが分からないでもないけど、こればっかりはどうすればいいかなんて言えないからなぁ」 「ああ、それは俺が自分でどうにかしなければならないところだろう」 ヴァンの言葉に、ガラが頷く。 ガラの気持ちが分からないでもない。ただ、これはガラの気持ちの問題であって、ヴァンにどうこうできるものではない。ヴァンがいくら言ったところで、ガラ自身が解決しなければ変わらない。 「ヴァン、もういっこほしい」 「まだ食うの?」 ヴァンが齧っているのを見て欲しくなったのか、ノアが芯だけになったものを放り捨てる。ヴァンは苦笑しつつ、袋から果実を取り出してノアに手渡した。 この分だと思った以上に早く消費してしまいそうだ。 休憩を終えて、ヴァンたちは歩き出した。 少しだけ荒れた道を進み、昼を過ぎた頃に橋を渡って次の島へと辿り着いた。日が傾いて景色が赤みを増してきた頃、ヴァンたちは『霧』の中に足を踏み入れることとなった。 覚醒した創世樹の影響圏から『霧』の中に入ると、やはり空気が重くなったような錯覚を抱く。不安を煽るような、嫌な雰囲気を感じる。 見通しも悪くなるため、警戒を強めながら進んで行く。襲ってくる『獣(セル)』を倒しながら、食料になりそうな動物を探し、狩って夕食の材料とした。 日が沈んだ辺りで雨風を凌げそうな場所を探す。近くの木陰の傍で焚き火を熾し、仕留めた野生動物を簡単に調理して食べる。それから寝袋を広げ、『聖獣(ラ・セル)』たちに夜間の警戒を頼んで眠りに着いた。『霧』の中では、夜空もあまり良く見えない。 翌朝、目を覚ましたところで軽く朝食を取り、焚き火の跡を片付けると地図を片手に先へと進む。 道沿いに進めば明日にはウィドナに着く目算だ。 その道中で、ヴァンたちは廃墟となった集落を見つけた。半壊した建物や、形は残っていてもドアや窓が開け放たれて草木が進入している家屋、手入れされずに放置されて荒れ放題の畑と、どこにも人が生活していた気配がない。 「……生存者はいないようです」 周囲の気配を探って貰っていたメータが、申し訳なさそうに言った。 『獣(セル)』に取り付かれて怪物化した人も含めての生存者の気配を探って貰っての結果だ。少なくとも、この集落を中心にメータたちの認識が及ぶ範囲に人はいないようだった。 「かなり荒れているな……」 「抵抗した、ということなのかもしれないですね」 辺りを見回して呟くガラに、オズマが推測する。 あまり大きな集落ではないが、それでも十年前は人が生活していたことを思わせるものが数多く残っている。『霧』と共に襲い掛かってきた『獣(セル)』に 抵抗したということなのだろうか。見ようによっては、放り出されている朽ちかけた道具などが抵抗した痕跡と考えることもできる。 「住人は逃げ延びられたのかな……」 荒れ果てた家の中を見渡して、ヴァンは呟いた。 その疑問の答えは、誰も持っていない。もしかしたら、ジェレミに辿り着いて『獣(セル)』に取り付かれていたかもしれない。この村を放棄して、逃げてい る最中に『獣(セル)』に取り付かれてしまっているのかもしれない。もちろん、それが希望的観測であることは分かっている。現実的には、ほとんどの人が命 を落としてしまったのだろう。 廃墟と貸した村の中を暫く調べてみたが、有益な情報は無かった。あまり長居しても良い事は無いと判断し、ヴァンたちは廃墟を後にする。 道なりに進み、橋を渡って次の島に辿り着いたところで夜を明かした。 「ヴァン、みて!」 翌朝、出発して暫く経った頃ノアが声を上げた。 ノアが指差した方向を見ると、薄っすらと大きな何かが動いているのが見えた。塔のようにも見えるが、上部で何か大きなもの動いているようだ。ぼんやりしていて、シルエットしか分からない。 「『霧』も薄くなっている?」 「風が流れてるね」 ガラが周りを見回して言い、テルマが呟いた。 「そういえば、確かに……」 ヴァンも周囲を見回す。 良く見れば、『霧』が薄くなっていると言うよりは、ゆっくりと流れていると言う方が正しい印象だ。それも、今まで旅をしてきて漂っているようなものではなく、規則的な法則性を持って流れているように感じられた。 地図上では、そろそろウィドナに着く頃だ。ジェレミの空中庭園から見た、『霧』がなくなっている場所とも近い。薄い雲海のように『霧』で遠くまで満たされた世界にぽつんと空いた穴。そこに何があるのだろう。 「行ってみよう」 ヴァンの言葉にノアとガラが頷き、三人は先を急いだ。 進むに連れて、『霧』が薄くなっていくのが分かる。 そして目に入ったのは、巨大な風車がいくつも立ち並んだ町の風景だった。 「これは……!」 ガラが風車を見上げて驚きの声を上げる。 ヴァンとノアも目を丸くして風車や町の様子を見つめていた。 町の住居は見たところレンガ造りの四角い形の物で、ジェレミのものと似ている。ただ、この町の建物は外壁が全体的に白く塗装されており、どこか清潔感の ある印象を与えている。地面も整備された石畳のようになっている場所が多く、起伏のある場所にも階段などが作られていた。 海に面している町ということで浜辺もある。リム・エルムと違うのは、土手がないところだろうか。リム・エルムでは浜辺と町との境には土手があったが、ここでは町から直に海が見える。 一番目を引く風車のついた建物は円柱のようなものになっていて、最上部には大きな六枚の羽根車が設けられている。 羽根車は勢い良く回転していて、それが常に風を生むことでこの町を『霧』から守っているようだった。 「ヴァン、ガラ、なんだあれ?」 ノアが指をさしたのはやはり風車だった。 「風車、だと思うけど……」 その存在自体を知ってはいても、あれほど大きなものを見るのはヴァンも初めてだ。 「ふーしゃ?」 「どうやら、あれが風を起こすことでこの町を『霧』から守っているようだな」 ノアが首を傾げ、ガラが説明する。 仕組みがどうなっているのかはここからだと分からない。ただ、風を受けて回っているのではなく、風を起こすために回っているのだということははっきりと分かった。 町全体に風が吹いている。 「とにかく、行ってみよう」 ヴァンの言葉にノアとガラが頷く。 町の入り口となる場所には看板があり、ウィドナであることが書かれていた。 入り口から見えるだけでも、町中には人がいる。皆、平然としていた。風は強くもなく、弱くもなく、絶妙な強さで吹いている。洗濯物や道行く人の髪や服は 靡いたりはためいたりはしているものの、不思議と強風とは感じない程度のものだ。かと言って、『霧』を吹き払っているだけあって、決して弱いわけでもな い。 「ほう、珍しいこともあるもんだ! 外が『霧』に包まれて以来、あんたたちが最初のお客さんだよ!」 ヴァンたちに気付いたらしい通りすがりの男性が驚いたように声をかけてきた。 近くにいた何人かが物珍しそうに集まってくる。 「ここはずっと『霧』から守られていたのか?」 「ウィドナは風車の町よ。風車の生む風が力強く『霧』を吹き払ってくれるの」 ガラの問いに、集まってきたうちの一人が答えてくれた。 「しかしよくもまあ『霧』の中を歩いてこれたな」 鎧のようになった『獣(セル)』を身に着けている青年が感心したように呟いた。 『獣(セル)』に気付いて一瞬身構えそうになったが、『霧』がないこの場では装着することに問題はないようだ。 「俺たち、『霧』を晴らす旅をしていて……」 「『霧』に触れると『獣(セル)』が狂暴化して人間を支配するって聞いたけど、嘘だったのか?」 ヴァンたちの手にある『聖獣(ラ・セル)』を見て、『獣(セル)』を身に着けた青年が訝しがる。 「いや、これは『聖獣(ラ・セル)』って言って、普通の『獣(セル)』じゃないんだ」 ヴァンが『聖獣(ラ・セル)』には『霧』に抵抗力があり、通常の『獣(セル)』は『霧』の影響を受けることを説明した。 「なるほどなー。でも『霧』がないこの町なら安心して『獣(セル)』を装備できるんだ。ま、使い道はないんだけどな」 青年は納得したようだが、あまり深刻そうではなかった。 「まぁ、ゆっくりしていってくれよ。『霧』が出る前、ここは世界一の保養地だったんだ。世界中からお客さんが来てたんだが、『霧』が出る直前にここに来て、故郷に帰れなくなった人も何人かいるんだ」 別の男がそう言って、集まってきた人たちが少しずつ離れていく。 「あ、そうだ。ユマとペペ、って人がウィドナにいるって聞いたんだけど」 「ペペさんなら温泉の裏の家に住んでいるわよ」 手紙のことを思い出してヴァンが訪ねると、女性が家の場所を教えてくれた。 教えてくれた女性に一言礼を言って、ヴァンたちはひとまず手紙を届けることにした。 「ほう、温泉があるのか……」 ガラが小さく呟く。 「おんせん?」 「自然に出来た露天風呂ことだよ」 首を傾げるノアに、ヴァンが答える。 歩きながら町の様子を眺めると、平和そのものだった。誰も、『霧』で世界が滅びかけていることなど気にしているようには見えない。壁で『霧』の侵入を防 いでいたリム・エルムでも、『霧』に対する危機感のようなものはあった。風車のお陰でウィドナの町だけでなく、広くはないがある程度の範囲は『霧』の影響 を受けずにいられる。その安心感が強いのだろう。バイロン寺院でも、『霧』から身を守るのに大きな換気扇装置を使っていた。 ウィドナは東側に山があり、南側が海に面している。風車のお陰で田畑は当然のことながら、山菜も海の幸も取れるのだろう。 温泉のある大きな建物の裏手に回り、一段ほど下りた場所にペペの家があった。 「すみません」 ヴァンが声をかけてドアをノックすると、暫くして一人の青年が顔を出した。ザランに似た面影のある若い男だ。 「ええと、ペペさんですか?」 「ええ、確かに私はペペですが、それが何か……」 突然の見知らぬ来客に驚くペペに、ヴァンが話を切り出そうとした時だった。 「あのね……! あのね……! いきてるペペがてがみいるから、ジェレミでね、ザランがね……!」 ペペが無事だったことに興奮したのか、ノアが一気に捲し立てる。 「はあ!?」 当然、わけの分からないペペは困惑するしかない。 「すまない、この子は興奮しやすい性質なのだ」 左手でノアを制し、右手で額を押さえながら、ガラが割り込んだ。 「ジェレミにいる父上から、あなたたちへの手紙を預かってきたのだ」 ガラが説明している間に、ヴァンは荷物の中からザランの手紙を取り出し、ペペに差し出した。 「父から……?」 驚きながらも、ペペは差し出された手紙を受け取った。 「ええと、とりあえず上がって下さい」 手紙を見る前に、ペペはヴァンたちを家に招き入れた。 板張りの床に、木製のテーブルと椅子、タンスなどの家具が置かれている。壁紙は白く、これが一般的なウィドナの家屋の様式らしい。 ヴァンたちはテーブルに座り、出されたお茶を飲みながらペペが手紙を読むのを黙って待っていた。 手紙には、妻と息子の安否を心配するザランの思いが綴られているようで、読み終えたペペは涙ぐんでいた。 「……実を言うと、父のことは心のどこかで諦めていました。でも、生きていてくれたんですね」 手紙を封に戻しながら、ペペは安心したように呟いた。 「『獣(セル)』に取り付かれていただけだったから、『霧』が晴れたら元に戻ったんだ」 「手紙をありがとうございます。本当にありがとうございます!」 ヴァンが手短にジェレミでのことを教えると、ペペは頭を下げた。 ふと、寝室の方に誰か女性の絵のようなものが飾られていることに気が付いた。大人の手ぐらいの大きさの、薄い石のような長方形の板に、女性が写っている。 「ペペ、あれ、なんだ?」 ノアが物珍しそうに女性の絵を指差す。 「ああ、あれは幻像って言うんです。写っているのは、母ですね」 「げんぞう?」 ノアが首を傾げる。ヴァンとガラも顔を見合わせた。 「ここのお土産でも売っているんですが、撮像石という特殊な石の板に、装置を使って景色などを記録しておけるものなんですよ」 ペペはそう説明しながら、母ユマの写った幻像が記録された石の板を手に取り、見せてくれた。専用の箱型の装置の裏側にあるスリットに撮像石をセットし、スイッチを押すことで目のようなレンズ部分から見える景色をセットした撮像石に記録することができるのだそうだ。 幻像として残しておけるのは一つだけだが、撮像石自体は上書きされてしまうものの複数回使えるようだ。ただ、あまりにも上書きをし過ぎると砕けてしまうらしい。 「私は恐らくもう使わないでしょうから、撮像装置は手紙を届けて下さったお礼に差し上げますよ」 ペペはそう言って、ヴァンに装置と余っていたらしい数枚の撮像石を差し出した。 「そういえば、ユマさんは……?」 「母は、三年ほど前に病気にかかり、亡くなりました。母が生きていれば……」 ガラの問いに、ペペは少し寂しそうな笑みを浮かべて答えた。 「そうだったんですか……」 ヴァンは目を伏せた。 三年も前に亡くなってしまっていては、もうどうしようもない。 話を聞くと、『霧』によって他の集落との交流が絶たれてしまっているせいで、手に入らない薬があったらしい。 「もう、過ぎたことです。私にとっては父が生きていてくれただけでも嬉しい」 ペペはそう言って、小さく笑って見せた。 強がりだったかもしれないが、それでも母親が亡くなったことを引きずり過ぎてはいないように見えた。 「『霧』が晴れたら、私も父に会いに行こうと思います」 「うん! ノアたちがきりはらすから!」 ノアの言葉に、ペペも笑みを浮かべる。 お礼を言い、頭を下げるペペに別れを告げて、ヴァンたちはペペの家を出た。 「三年前に病死か……」 ガラが小さく呟く。 「手紙、届けられて良かったよ」 ヴァンの言葉に、ガラもノアも頷いた。 母親が死に、父親の安否は不明で生存を諦めかけていた。そんな状態であったなら、ザランが生きていると伝えられたのはきっと無駄ではなかった。 「おう、あんたたちだな、『霧』の中旅してるってのは」 三人が歩いていると、袖の無い白いベストに青いスラックス、白い帽子と白い靴を身に着けた日に焼けた男が声をかけてきた。 「『霧』が無い頃、町に観光客が溢れてた頃、俺は観光案内を仕事にしていたんだ。良かったら、お前さんたちに観光案内をさせてくれないか」 「観光案内?」 「『霧』のせいで観光客が来ない上に、ウィドナから出られないもんだから、暇で仕方がないんだよ」 いきなりの申し出に困惑するヴァンたちに、男は苦笑しながらそう言った。 「あんたら、地理に詳しいって訳でもないんだろ?」 「まぁ、確かに……」 ヴァンは頭を掻いた。 三人とも、『霧』のせいで自分の住んでいた場所以外には疎いのは事実だ。『霧』が現れる前のことを知っている人から聞き及んだことがあるくらいで、今の旅も地図を片手に手探り状態ではある。 「ノアはきいてみたいな」 「まぁ、聞いておいて損はないかもしれんな」 ノアは興味があるようで、ガラは有益な情報があるかもしれないと考えたようだった。 「じゃあ、お願いしようかな」 「よし、じゃあ百Gでやってやるぜ!」 「金取るの!?」 男の返事にヴァンは驚いて声をあげた。 「十年ぶりなんだ……仕事させてくれよ!」 「しょうがないなぁ……」 両手を合わせて懇願する男に、ヴァンは硬貨を渡した。ドルク城で貰った資金にはかなり余裕がある。 「おお、すまねえな……よし、じゃあまずはウィドナの観光案内からだな……えー、こほん」 硬貨を受け取った男は笑顔を見せ、咳払いを一つすると語りだした。 「本日は遠路はるばる、ウィドナにようこそお越しくださいました。皆様もご存知のように、ウィドナは地熱の町、温泉と風車の町となっております」 すらすらと喋る男の声は淀みなく、しっかりとした抑揚がついていて非常に聞き取り易い。それまでの砕けた話口調とは違う、丁寧な語り口だった。 「百三十八年前の町長、ヘイル・オー・ミスタがこの地の豊富な地熱に目を着け、風光明媚な一等地として観光開発に着手した次第でございます。以来、生涯に 一度は行きたい地上の極楽として、ウィドナは有名となり、レガイア各地から多くの湯治客を集めてまいりました。ちなみに、ウィドナにはこんな宣伝文句がご ざいます。大地に地熱がある限り、風車は回る。お湯は沸く。二人の愛も終わらない。まあ、ウィドナの繁栄は永遠に続くといった意味でございますね」 「地熱の町、って言うのは?」 語り終えたところで、ヴァンは尋ねた。 「セブクス群島の地下には火山帯が広がっておりまして、ウィドナは特にその地熱の影響を強く受けている土地なのですよ」 観光案内の語り口のまま、男が答える。 セブクス群島は海底や地下に火山帯が広がっている地方らしく、中でもウィドナは地熱の影響が強いということのようだ。温泉も地熱により温められたもので、風車も地熱を動力に利用して動かしているらしい。 「オクタムについては知っているか?」 「オクタムなら俺も添乗員として良く観光案内したもんだ。任せとけ」 ガラが問うと、男は頷いた。 「皆様、こちらが久遠の古都オクタムでございます。オクタムは風来獣車による交通の要所として、また運命を告げる時の神レム様をまつるレム神殿の門前町と して有名な町であります。空中を行く風来獣車と地の底に眠るレム神殿、そしてレム神殿の生きたご神体ハリィ様も有名でございます。ことわざにオクタムを見 て死ねとございますが、皆様もハリィ様にお告げを貰えたら死んでも本望かもしれませんね」 「ふーらいじゅーしゃ?」 ノアが首を傾げる。 「大型の『獣(セル)』の力を利用した乗り物で、セブクス群島とカリスト皇国を行き来していたものですね。ゴンドラに人や物を乗せて、それを大きな『獣(セル)』で引っ張るんです」 男が答える。 ヴァンは地図を思い返した。セブクス群島の北側にはかなり険しく分厚い山脈があり、それがカリスト皇国地方との境になっている。 話を聞くと、その山々を迂回するように風来獣車という乗り物を使って人や物を運んでいたらしい。山を越えたりする道もあるようだが、時間も労力も風来獣 車の方が格段に優れているようだ。確かに、山を越えたり、船で海を迂回するとしたらかなり骨が折れそうだ。『獣(セル)』を利用することで交通の便を良く し、セブクス群島は観光地として栄えてきたということだろうか。 「オクタムを見て死ね、ってのはちょっとどうかと思うことわざだけど」 ヴァンは苦笑した。 「ハリィについては何か知っているか?」 「そこは観光案内にはないから手短に教えてやるけど、ハリィはレム神殿の生きたご神体と言われているな」 ガラの問いに、男の口調が元の砕けた感じに戻った。 「一説によれば、千歳とも二千歳とも言われているけど、そんな長生きの人間がいるなんて俺にはちょっと信じられないな。それにハリィって奴は、神殿の女官とオクタム市長しか会うことができないって言うし、本当に実在するかどうかも怪しいもんだ」 男はハリィの存在については半信半疑のようだった。観光案内の中で名前や概要については知っていても、実際に見たことはないらしい。 「ま、本当にハリィがいて、未来のお告げをしてくれるっていうのなら、俺が昔みたいに観光案内できるかどうかを教えて欲しいくらいだな。あーあ、世界が滅びるまで観光案内してみたいもんだぜ」 「セブクス群島から『霧』がなくなれば観光案内もまたできるようになるんじゃないか?」 苦笑する男に、ヴァンは笑みを見せた。 「そうだな、レガイア全土から『霧』がなくなればまた観光客は来るだろうが……」 「じゃあだいじょうぶだよ! ノアたちがきり、なくすから!」 肩を竦めて見せる男に、ノアは笑顔で言い切った。 「お前ら……」 「我々は本気だ」 呆気にとられる男に、ガラは腕を組んで告げる。 「ふ、そうなったらありがたいな。久々に仕事ができて楽しかったぜ。ありがとよ」 男は笑って、去って行った。 彼は相当自分の仕事が好きだったようだ。十年もの間、好きだった仕事ができなかったのはさぞかし退屈だったことだろう。 何となく、この町の様子も分かってきた。 平穏ではあるが、どこか皆退屈そうな印象を受ける。『霧』から町は守られていて平和ではあるが、町の外には出れない。観光地として栄えていた場所としては、観光客が来なくなったことで活気もなくなっているということかもしれない。 「ヴァン、あのいえからこえがする」 ノアが指差した建物からは、確かに物音や掛け声のようなものが聞こえてくる。 興味をそそられたのか、ノアが駆け寄っていく。近付くにつれて、ヴァンもどこか懐かしい感じがした。 ドアを開けてみると、中には数人のバイロン僧兵が稽古をしていた。聞こえてきた掛け声などは彼らのものだったようだ。 「ガラ、みて! バイロンのひといっぱいいるよ!」 ノアが目を丸くして、ガラを見る。 ガラは表情をやや曇らせて、顔を背けるように目を反らした。 「ガラ、どうしたんだ!? バイロンのひと、ガラのなかまじゃないのか?」 「いや……俺はバイロンの教えに背き、オズマを着けた身だからな……」 ノアの言葉に、ガラが右手のオズマに目を落とす。 「へんだよ、ガラ! ゾッブだってガラをゆるしてくれたんだよ! なのに……」 ノアがガラの顔を覗き込むようにして言う。 稽古をしていたバイロン僧兵たちがノアの声や、ゾッブ老の名が出たことに驚いて、動きを止める。 「考え過ぎだよ、ガラ」 注目が集まる中、ヴァンもガラの背中を軽く叩いた。 同じバイロン僧兵であるトッドも、ヴァンがメータを身に着けた後も普通に接してくれていた。いくら『獣(セル)』の装着を禁じていても、それだけで拒絶するというのは極端な例だろう。 「しかし……」 「ヴァンのいうとおりだよ! それに、オズマはセルじゃないよ、ラ・セルだ!」 「『聖獣(ラ・セル)』ですって!?」 渋るガラにノアが言った直後、部屋の奥から一人の女性が驚いた様子で駆け寄ってきた。 清潔そうな白い服に、赤い上着とタイトスカートが一体となっているような独特の服を身に着けた若い女性だった。やや緑がかった黒髪を頭の後ろで赤い色の長い帯のようなもので纏めている。額には緑色の紋様が化粧で描かれた、あまり見かけない恰好をしている。 「あなた、今、『聖獣(ラ・セル)』と仰いましたか!?」 「そうだよ! ラ・セルだから、セルと違うから……」 やや取り乱した様子の女性に、ノアが気圧されたように頷いた。 「ああ、ハリィ様……預言は成就されました……!」 両手を合わせ、祈るような彼女の言葉に、ヴァンたちは顔を見合わせた。 「あなたは?」 「申し遅れました。サシアと申します」 ヴァンの問いに、女性は落ち着きを取り戻し、一礼して名を告げた。 「サシアはハリィのともだちなのか?」 ハリィの名が出たことで、ノアが尋ねる。 「と、ともだちだなんて……! 私はハリィ様にお仕えする身。レム神殿の巫女です」 サシアは慌てて訂正する。独特な衣装は巫女装束ということらしい。 「『霧』の襲来前にハリィ様に命じられたのです。ウィドナに赴き、『聖獣(ラ・セル)』を身に着けた三人の若者を待ち、『言葉』を伝えるように、と」 サシアの言葉に驚いたのはヴァンたちだった。 「ハリィは俺たちがここに来ることを知っていたのか……?」 ガラが信じられないとでも言うように呟く。 「すごい! ハリィすごいよ! ハリィどこだ? ノア、ハリィにあいたい!」 「きっとハリィ様も皆さんのことをお待ちだと思いますが……私はハリィ様に『言葉』をお伝えするよう命じられただけですので……」 目を輝かせて興奮するノアに、サシアはたじろぎながら答える。やはり、ハリィはサシアと一緒に来てはいないようだ。 「その『言葉』っていうのは?」 ヴァンが問うと、サシアは一つ頷いて、言葉を記したと思われる紙を懐から取り出した。 「レム神殿を訪れよ。四巻の神託の書を見よ。全ての書を目にした時、秘密は明かされる。『聖獣(ラ・セル)』の勇者は大いなる鍵、星の真珠を手にするだろう」 はっきりした声音で、サシアが読み上げる。 「四巻の神託の書に、星の真珠……? まるで謎解きのようだな」 ガラが腕を組んで唸るように呟いた。 「ハリィ様はそれだけを『聖獣(ラ・セル)』の若者に伝えれば道は開かれると……」 サシア自身も、何を示しているのかは分かっていない様子だった。 ヴァンはサシアから言葉が記された紙切れを受け取り、改めて読み直す。サシアが口頭で読み上げたことしか書かれていない。 ハリィからの伝言は断片的で、それもヴァンたちにとってはまだ見たことも聞いたこともない物の名が示されている。今の段階では考えるだけ無駄だろうか。 レム神殿はオクタムの地下にあるとのことで、実際にその場に行かなければ言葉の真意も分からないかもしれない。 「うーむ……」 ガラが眉根を寄せる。 「あの……あなたはバイロンの方なのですか?」 話が終わったと見た僧兵の一人が声をかけてきた。 「い、いや、俺は……」 「ガラはバイロン寺院で大禅師だったんだ」 ガラが言い終わらぬうちに、ヴァンはそう答えた。 「大禅師! そうでしたか、これはこれは……」 「いやいや! 俺は既に破門された身ですから……!」 目を丸くする僧兵に対し、ガラが狼狽えたように慌てて手を振って訂正する。 「ヴァン、お前!」 「このような時代です。色々と理由もあるのでしょう」 ガラがヴァンに文句を言おうとするのを、苦笑しながら僧兵の一人が宥めてくれた。 「何より皆さんはサシアさんの待ち侘びたお客様ですから、ゆっくりして行って下さい」 「ありがとうございます」 歓迎して中へと招き入れてくれた僧兵に礼を言って、ヴァンたちは部屋の中へと足を踏み入れた。 「バイロン寺院のゾッブ様はお元気でいらっしゃるでしょうか?」 「ああ、ゾッブ様はまだまだお元気だ。ドルク王領の『霧』は晴れているから心配しなくてもいい」 「それを聞いて安心致しました」 ガラの言葉に、僧兵たちが安心したように笑みを見せる。 ヴァンたちの来客で稽古は休憩となり、皆がテーブルでお茶を飲みながらこれまでのことを掻い摘んで話すこととなった。 僧兵たちはバイロン寺院のことが気になるようで、同じバイロン僧で大禅師の称号を得ていたガラが質問攻めに合うこととなった。だが、ガラも元はバイロン 出身であるためか、打ち解けるのに時間はかからなかった。『聖獣(ラ・セル)』のことについても理解を示してくれたため、ガラも落ち着いたようだ。それ に、ガラ自身バイロン僧兵たちと話をするのが満更でもないようだった。 話を聞くと、彼らバイロン僧兵たちはバイロンの教えを世界に広めるために旅をしていたとのことで、『霧』が世界を覆った時、丁度ウィドナに滞在していたことで難を逃れたようだ。 この家はバイロン僧兵たちが共同で借りて寝泊りをしているようで、サシアは彼らの食事や炊事などの手伝いをするために訪れているらしい。 話のついでにそのまま昼食を御馳走になり、大勢と話が出来たこともあってかノアは上機嫌で楽しそうだった。 食糧などの買い足しもしなければならないため、食事の後ヴァンたちはバイロン僧兵たちの家を出た。消費されていた食糧や雑貨などを買いながら、ノアにお 金の使い方を教える。まだお金の計算自体は難しいようだが、お金を払う必要があることはこれまでの買い物の経験から理解できたようだった。 「リム・エルムへのお土産には丁度いいかもしれないな……」 雑貨の中に撮像石があったのでいくつか買うことにした。ペペから譲り受けた物も含めて、そこそこの数がある。 撮像装置に撮像石を入れ、隣で首を傾げるノアにレンズを向けてスイッチを押してみた。カシャッ、という音がしたので撮像石を取り出してみると、首を傾げるノアがしっかり撮れていた。 「おおお! これ、ノア?」 幻像の写った撮像石を見て、ノアが目を丸くする。 「案外はっきり写るもんなんだな」 感心したようにガラも幻像を覗き込んで呟いた。 「結構面白いな、これ」 自分で撮った幻像を見ながら、ヴァンも感心した。 「ノアにもやらせて!」 「壊すなよ」 目を輝かせるノアに、ヴァンは使い方を教えて撮像装置を手渡した。 腕を組んだガラが半分だけ写っていたり、ヴァンが目を閉じた瞬間が撮られていたりと、中途半端な幻像がいくつか撮れ、三人で笑い合った。 上手く撮るのは中々難しそうだが、思い出話だけでなく景色なども記録しておけるとなれば観光地のお土産としては最適かもしれない。 浜辺で撮れた幻像を見ながら歩いていると、近くにいた男女の会話が耳に入ってきた。 「はー、世界が『霧』に包まれて十年、外の世界は酷いことになってるんだろうけど、平和なウィドナにいたんじゃ退屈なばかりだよ。何か面白いことでもないかなー」 浜辺で寝そべっていた茶髪にサングラスの日焼けした男が溜め息混じりに呟くのが聞こえた。 「ウィドナもいい町なんだけど、ちょっと刺激が少な過ぎよね」 隣にいた白い水着姿の女性が相槌を打つように答える。 「平和なのはいいことだと思うんだけどな……」 小さく、ヴァンは呟いた。 『霧』に覆われた町や滅んでしまった集落を見てきたヴァンたちにとっては、このウィドナは良い状態だ。観光客のような人の行き来が途絶えていることで活気が無くなっているのは仕方ないとしても、退屈だと言うのは贅沢な悩みのように思える。 ふと、浜辺を出ようとすると近くで砂遊びをしている子供たちが歌を口ずさんでいた。 「星は静かに泣いてます。月はさやかに笑います。夢の小舟を浮かべたら、銀河の海を渡ります。ほら、ごらん。あれがトーンの門。ハリィがいるよ。ハリィの心は一つだけれど、ハリィは三つの顔を持つ。ハリィは三つの口を持つ。ハリィは三つの夢をみる」 セブクス群島の民謡か何かだろうか。不思議な歌だった。 「三つの顔、三つの口、三つの夢……ますますハリィというのが分からんな」 ガラが呟いた。 歌の内容が真実かどうかは分からないが、そういう言い伝えのようなものがあってできた歌なのかもしれない。だとしても、その歌が何を示しているのかは今のヴァンたちには分からなかった。 「あなたたち、ダンパスさんを知ってる?」 一番年長らしく見える女の子がヴァンたちに気付いて話しかけてきた。金髪の髪を左右で結った女の子だ。 「ダンパスさん?」 「あ、知らないんだ? 町の西のはずれに住んでるから、一度会ってみるといいよ」 ヴァンが否定すると、女の子はそう答えた。 「何かあるのか?」 「ちょっと変わった人だけど、この町で一番刺激的なことを口にする人だよ」 ガラの問いに、隣にいた男の子が言った。 「刺激的なこと……?」 ヴァンたちは顔を見合わせた。 「ダンパスは困った男じゃ、わけの分からないことを言って、皆を心配させておる」 話を聞いていたのか、通り掛かった老婆がそんなことを口にした。 気になったヴァンたちは、ひとまずそのダンパスを訪ねてみることにした。ダンパスの家はウィドナの西のはずれにあった。見たところ、普通の家と変わりはない。 「すいません、ダンパスさんはいますか?」 ドアをノックして声をかける。 「あら、見かけない人たちね。ダンパスに用があるの?」 ドアを開けたのは三十代半ばか後半ぐらいの女性だった。 「主人なら地下にいるわ」 そう言って、彼女はヴァンたちを家の中に通してくれた。 階段というには少し幅の広い、しっかりした造りのものが地下へ向けて伸びているのが入り口からでも目に入った。元々設計されていたものではなく、強引に後から造ったのだと素人目にもはっきり分かるほど、家の造りとは異質な雰囲気を放っている。 「では、失礼します」 ガラがダンパス夫人に頭を下げ、ヴァンたちは階段を下りる。 暫くすると、何かを削るような音や叩いているような物音が聞こえてきた。少し長めの階段を下りると、ランプの吊るされた洞窟のような地下室に辿り着い た。そこではタンクトップのシャツに紫色のズボンを身に着け、黄色いヘルメットを被った筋肉質な男たちが何やら作業をしていた。岩を削ったり、形を整える ように切り出したり、あるいは建築材を打ち付けたりと各々が仕事に励んでいる。 「ここは……?」 「おや、ダンパスさんに何か用かい?」 目を丸くするヴァンたちに、作業をしていた男たちが気付いて手を止めた。 「見かけない顔だな」 「我らは『霧』の中を旅してきたのでな、ここの町の者ではないんだ」 ヴァンたちの顔を見て、ウィドナの住人じゃないことに気付いた男たちに、ガラがそう説明した。 「ほう、そりゃ面白い。ダンパスさんとも話が合うかもしれないな」 男の一人が笑って、そんなことを言った。 「なにしてるの?」 「俺たちはシェルターを作ってるんだ」 ノアが首を傾げて尋ねると、男たちが説明してくれた。 どうやら、ダンパスという人物はかなりの金持ちで、地下に避難用のシェルターを造らせているということらしい。 「まさか風車が止まるなんてありえないことだけど、ここで働くと美味い物が食えるんだ」 かなり高い給料が支払われているらしく、ダンパスの意図は別として、彼らはここでシェルター造りのために雇われているようだ。 「シェルター自体はもう完成しているよ。そこのエレベータから行けるぞ」 男たちが示した場所には、小部屋のような場所があった。そこに鉄の柵でできた扉のようなものがあり、リフトで下に下りられるようになっているとのことだった。 シェルターは少し前に完成したらしく、今はシェルターの入り口となるこの地下室を整えているということらしい。 作業に戻る男たちに一言礼を言って、ヴァンたちはエレベータでシェルターへと下りた。 「おおおおお! すごーい! ひろーい!」 鉄柵が開き、シェルターの中に入ったノアが目を丸くして声をあげた。 「これは、確かに凄いな」 ガラもシェルターの中を見回して感心したように呟く。 二階建てぐらいはあろうかという高い天井に、家三軒ぐらいは丸々収まってしまいそうなほどの広さのある箱型の巨大な部屋だ。地面は丁寧に磨き上げられた石造りの床になっていて、天井や壁もかなり頑丈そうに見える。 「ん、何だあんたら?」 厳つい顔をした一人の男が三人に気付いて話しかけてきた。 いきなりの訪問者に、眉根を寄せ、怪訝そうにヴァンたちを見ている。 「あなたがダンパスさん?」 「あんたら、ウィドナの人間じゃねえな?」 ヴァンが問うと、男は一つ頷いてそう返してきた。 「ノアたちはきりのなかをあるいてきたんだよ!」 「ほう」 ノアが答えると、ダンパスは感心したように警戒した表情を解いた。 「どいつもこいつものんき過ぎると思わねえか?」 「確かに、このウィドナに危機感はないように見えるな」 ダンパスの言葉に、ガラは腕を組んで頷いた。 「この町の住民は皆、『霧』の恐さを理解してないと思わんか?」 「風車があるとは言っても、警戒心はもう少しあってもいいと思う」 続くダンパスの言葉に、ヴァンは頬を掻きながらそう答えた。 リム・エルムやバイロン寺院も、『霧』から身を守ってはいたが、ウィドナほど楽観的な印象はなかった。リム・エルムでは狩りに出た大人たちに『霧』によ る死傷者が出ていたし、バイロン寺院では換気室の戸締りをしっかりすることで『霧』や『獣(セル)』の侵入には常に警戒していた。 ウィドナはリム・エルムのように壁もなければ、バイロン寺院のように大きな建物の中で暮らしているわけでもない。巨大な風車で風を起こして、常に『霧』を吹き飛ばしているだけで、遮断しているようなものがあるわけではないのだ。 「あんたら、中々話が分かるな。もしも何かがあって風車が止まればどうなる?」 ダンパスは腕を組んで話し出した。 「皆『霧』に呑まれるんだ。皆『獣(セル)』の怪物に食われるか、自分が『獣(セル)』に支配されることになるんだ。わしはその時のために準備をしているんだ」 ダンパスの背後、シェルターの隅には山の様に樽や木箱、袋が置かれていた。ダンパスの話ぶりからすると、食糧などの備蓄だろうか。数人分以上が用意されているように思える。 見れば、別の壁際にはかなりの数のベッドが並んでいる。かなり簡素なベッドではあるが、造りは丁寧な印象がある。 「それを変わり者扱いしやがって……バカ共が……!」 変わり者扱いされているのにかなり不満が溜まっているようで、ダンパスが罵倒の言葉をぶつぶつと呟き始める。 「もしも町が『霧』に包まれたら、ここに逃げ込むといい。話の分かるあんたたちなら特別に匿ってやるよ」 一通り文句を言い終えてひとまず気が済んだのか、ダンパスが笑みを見せる。 「そんなことにならない方がいいとは思うけど」 苦笑して、ヴァンは答えた。 せっかく『霧』から逃れられているのだから、セブクス群島の『霧』が完全になくなるまでこのままでいて欲しい。今のウィドナが『霧』に襲われたら、ひとたまりもないだろう。 「そりゃそうだ。備えあれば憂い無し! わしはその言葉を実践しておるだけじゃ!」 ダンパスは豪快に笑って、ヴァンの肩を叩いた。 万が一のことを考え、しかもそれに対する準備をしているというのは立派なことだ。杞憂で終わればそれに越したことはない。 「もしきりがきてもノアたちがはらすからね!」 「おお、そりゃいいな、応援してるよ嬢ちゃん」 ノアが笑顔で言うと、ダンパスも笑って答えた。 ダンパスの心配が万が一当たっていたとしても、このシェルターに避難することができていれば、セブクス群島から『霧』を無くせばウィドナは元通りだ。皆 から変わり者扱いされていても、バカにされていても、このシェルターの大きさを見ればダンパス本人や家族だけのためのものでないことは一目で分かる。 備蓄の搬入や毛布などの用意もまだあるようで、ヴァンたちはダンパスと別れて家を後にした。 「しかし、風車か……」 ダンパスの家を出たところで、ガラが小さく呟いた。 「見に行ってみるか」 ヴァンも気になっていたところだった。 風車の動力があるのは機械室と書かれた建物だと、通り掛かりの人に教えてもらい、三人はその建物に足を踏み入れる。 「入るのは構わんが、くれぐれも気を付けてくれよ」 地下へと続く階段の隣で、何やら壁に配置された機械と睨めっこしていた髭面の男が注意してきた。 「この風車ってどういう仕組みで動いているんだ?」 「ここでは地の底から湧き出る温泉の熱と蒸気を利用して風車を動かしているんだ。元々は避暑地用の大型扇風機として造られたものだったんだが、思わぬところで役に立ったというわけさ」 ヴァンが問うと、男は簡単に説明してくれた。 地熱が豊富なウィドナは、本来は暑い地域らしく、観光地として少しでも快適にすべく考案されたのが風車だったらしい。温泉の熱と蒸気と言った、この地に 豊富なものを動力源とすることで、常に風を起こすことで無理なく暑さを緩和することを目的としていたようだ。だが、『霧』に対しても有効だったのは運が良 かったと言える。 地下に下りると、一気に気温が上昇したように思えた。 最下層の扉を開けると、熱気がぶつかってくるかのような錯覚を覚える程だった。 「あついね」 ノアが目を丸くする。 機械室には金属製の大きな窯のような機械がいくつも並び、蒸気が満ちて『霧』のように見えるほど立ち込めていた。金網のようなもので組まれた床や通路を 歩いて中を見回ると、直ぐ真下までお湯が満ちていることに気付いた。動力に使っている蒸気や地熱から溢れたものだろうか。 地面に下りられるように階段もあったが、熱湯に浸かることになりそうだ。 「ヴァンは平気そうだな?」 蒸し暑さに滲み出た汗を拭いながら、ガラはヴァンを見て言った。 ノアもガラもかなりの暑さを感じているようで、水蒸気による湿気も相まって汗が滲んでいる。しかし、ヴァンは暑さを感じてはいるのだが、汗をかいていない。 「メータのお陰かな?」 右手のメータに目を落として、ヴァンは答えた。 熱量を感じてはいても、その影響がほとんどないのだ。暑さによる悪影響が出ないというべきか。 「あ、ノア!」 ヴァンが気付いて声をかけた時には、ノアがお湯に右手を触れるところだった。 「あっつーいっ!」 熱湯に触れた手を押さえてノアが飛び上がる。 「だから言っただろ! 熱いから気を付けろって!」 近くで作業していたらしい中年の男が慌てて駆け寄ってくる。 「いってない! そんなこといってない!」 涙目になりながらノアが訴える。 「そうか? じゃあ聞かない方が悪いな、うん」 「ううう……」 一人頷いて、作業に戻ってく男の背中をノアが涙目で恨めしそうに見つめていた。 「大丈夫か?」 ヴァンがノアの手を見ると、多少赤くはなっていたものの、火傷はしていないようだった。もし、火傷をしてしまっても光獣ヴェーラで治療はできるのだが。 機械室には異常がなさそうで、男たちが点検をしているのを暫く見ていたが問題はなさそうだった。かなり大がかりな機械だが、十年間も動いていたことを考 えるとかなり頑丈に造られているようにも見える。これがいきなり止まってしまう、というのはウィドナで暮らしていれば確かに信じられない話かもしれない。 機械室から外に出たヴァンは回り続ける風車を見上げた。蒸し暑い機械室から出た三人には、風車の起こし続ける風が心地良く感じられた。 ダンパスには言わなかったが、ゼトーのような『霧』の使途が風車を破壊しに現れる可能性もある。これまでの十年間に現れなかったからと言って、今現れないとは限らない。現に、リム・エルムは十年経ってからゼトーに襲われたのだから。 安心はできない。やはり、創世樹を探し出して目覚めさせ、『霧』の巣を叩かなければ本当の意味で平穏は訪れないだろう。 風車の起こす風が頬を撫で、髪や服の裾を揺らす。これまでもそうであったように、そしてこれからもそうであると示すかのように、風車はただ回り続けていた。 |
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